20世紀の冒頭から半ばまで、ゆたかな詩歌を創りつづけた女性、
与謝野晶子の作品をみつめつつ詩想を記してきました。
与謝野晶子は生涯を通じて社会評論の他に、文学作品として詩や童謡など、とても豊かな詩歌を生み続けたことを、あまり注目されなかった視点を主にして記してきました。
最終回の今回、彼女自身も、また周囲も評価してきた
歌人としての作品、
短歌をみつめます。
今回彼女の第一歌集『みだれ髪』全篇と、生涯に歌われた数万首のなかから晶子自身が自選した歌集を読みました。後者のあとがきとして、彼女の作品の評価が『みだれ髪』を含む初期の歌集に偏っていることへの不満を述べています。初期の歌は、藤村や泣菫(きゅうきん)の詩の影響を強く受け過ぎた模倣でもあり、自分としてはその後の作品の方が良いと思っていると述べて歌集を編んでいます。
私は短歌の専門家ではありませんので、詩歌を愛する一読者としての感想を率直に述べて、好きな歌を選びました。
私の好みからすると
『みだれ髪』と初期歌集の歌は、清新さと情熱、ひとりの異性
「君への愛」の想いに満ちあふれていて、魅力的であり、美しいと感じます。古代からの和歌の伝統に洗われた時代を越えた優れた女性歌人たち、額田王や和泉式部や紫式部や式子内親王を受け継ぐちからを感じます。
晶子自身がより良いとして多く選んだ、それ以降の歌で気づくことは、「君への愛」が歌われなくなったことです。与謝野鉄幹との夫婦生活は、育児と生計に追われて、冷めてもいき、情熱的にはもう歌えなくなったのかもしれません。
短歌として歌われた題材・モチーフのほとんどは、旅と叙景で、私には晶子でなくても歌えそうな平凡な歌に感じられました。
創作をかさねて身に付けた短歌の詩法が、端正に、玄人ごのみに秘められた奥行きのある歌であるのを、素人の私がわからないだけかもしれませんが、心を強く揺り動かされるには歌い込まれた思いが弱いと感じました。
この時期には前回まで見てきたように、
自由詩で様々な主題を取りこみ、
童謡をやさしく歌い、
評論で厳しく社会批評しています。短歌にはそこで表現された主題はほとんど詠まれていません。だからこの時期の彼女の最も優れた表現は、短歌以外にあったと私は感じます。
ここで終わるのが普通ですが、晶子がすごいと思うのは自選歌集を編んだ後、他者に編まれた遺稿集『白桜集』があり、この最後の歌集で歌人としての魂を燃やし尽くし歌いあげたことです。
この歌集には、夫の与謝野鉄幹が亡くなった後の鎮魂歌がまとめられています。(出典では解説者の歌人・馬場あき子がこの珠玉の歌集を自選歌集に追加しています。)
『白桜集』には、初期歌集以降消えていた「君への愛」が
亡き人への鎮魂歌として甦っています。最愛の人に取り残された、老齢の、さびしく、悲しい歌ですが、年齢の深みを湛え、とても澄みきっていて美しいと私は感じます。
晶子は、愛の歌人、人間の心と魂を歌わずにはいられない歌人だったと、約40年の歳月を隔てたふたつの歌集が教えてくれます。歌う人と聴く人の心をもっとも痛切にゆらし打つ詩は、
愛の歌と、
鎮魂の歌です。そのことを自らの生き様で示した晶子は、詩歌の人そのものだと、心から尊敬せずにいられません。
以下、それぞれの歌集から私の心に特に強く響き、沁みた歌を選び出しました。余計な解説は付け加えなくても、読者の心に強く訴えかけて響き続ける、美しい愛の歌だと、私は思います。
『みだれ髪』から。与謝野晶子
(1901年・明治34年、24歳、東京新詩社)その子二十(はたち)櫛(くし)にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな
臙脂色(えんじいろ)は誰(たれ)にかたらむ血のゆらぎ春のおもひのさかりの命
清水(きよみづ)へ祇園(ぎをん)をよぎる桜月夜(さくらづきよ)こよひ逢ふ人みなうつくしき
やは肌(はだ)のあつき血潮にふれも見でさびしからずや道を説く君
みだれごこちまどひごこちぞ頻(しきり)なる百合ふむ神に乳(ちち)おほひあへず
乳ぶさおさへ神秘のとばりそとけりぬここなる花の紅(くれなゐ)ぞ濃き
なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな
むね清水(しみづ)あふれてつひに濁りけり君も罪の子我も罪の子
いとせめてもゆるがままにもえしめよ斯(か)くぞ覚ゆる暮れて行く春
春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳(ち)を手にさぐらせぬ
『白桜集』から。与謝野晶子
(1942年・昭和17年、65歳・遺稿集)人の世に君帰らずば堪へがたしかかる日すでに三十五日
山山が顔そむけたるここちすれ無惨に見ゆるおのれなるべし
鎌倉の除夜の鐘をば生きて聞き死にて君聞く五月雨の鐘
落葉松(からまつ)の上の信濃の夕焼の雲を君来てただ一目見よ
我れのみが長生(ちやうせい)の湯にひたりつつ死なで無限(むげん)の悲みをする
君知らで終りぬかかる悲みもかかる涙もかかる寒さも
多磨の野の幽室(いうしつ)に君横たはりわれは信濃を悲みて行く
我が旅の寂しきこともいにしへもわれは云はねど踏む雪の泣く
伊豆の海君を忍ばず我れもなき千年(せんねん)のちを思ふ夕ぐれ
紅椿君が忌月となりぬれば哀れ哀れと云ひつつも落つ
山荘のランスの鐘よ今振れば君が涙の散るここちする
初めより命と云へる悩ましきものを持たざる霧の消え行く
帰るべき静かならざる都もち身も投げがたし青海の伊豆
木の間なる染井吉野(そめゐよしの)の白ほどのはかなき命抱く春かな
● 出典・『日本の詩歌4 与謝野鉄幹 与謝野晶子 若山牧水 吉井勇』(中公文庫、1975年)。
・『与謝野晶子歌集』(与謝野晶子自選、馬場あき子解説、岩波文庫、1985年改版)。
次回は、若山牧水の短歌を見つめ詩想を記します。
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3月11日、
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