前回は与謝野晶子の短歌を見つめました。出典の同じ本には、
若山牧水の短歌集も収められていて、読むことができました。
1.牧水の代表歌 彼の短歌で、私がいちばん好きなのは、おそらくいちばんよく知られている「白鳥は…」の歌で、白鳥と空と海が目に浮かび、海にいきたい想いがつのります。
この歌を含め第一詩集『海の声』から選び出した好きな歌四首はどれも、いのちの旅人である歌人の詩心をまっすぐ響かせていて、抒情がとても美しいと思います。
歌集『海の声』から。若山牧水
(1908年・明治41年、24歳)われ歌をうたへりけふも故わかぬかなしみどもにうち追はれつつ
白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
けふもまたこころの鉦(かね)をうち鳴(なら)しうち鳴しつつあくがれて行く
幾山河(いくやまかは)越えさり行かば寂しさの終(は)てなむ国ぞ今日も旅ゆく
2.牧水の「破調」 若山牧水のこれらの代表歌の他に、今回印象深く考えさせられたのは、歌集『みなかみ』の時期に生まれた、定型を破った口語的発想の「破調」の歌です。
解説文によると、牧水自身はこれらの歌を「長歌」または「新長歌」、「短曲」、「短唱」と名づけようか、と書いています。
「破調」とは、定型詩歌である短歌の決まりごと、三一文字の音を五七五七七の音数律でつくるという基本を「破った調べ」です。一音多い「字余り」や一音少ない「字足らず」は基本の些細な変調とみなせますが、「破調」の場合は音数律の基本を「壊し、はみだす」歌です。
これらの詩形の約束を「壊れた」「壊した」歌が、牧水に生まれたのは、彼の父が亡くなり帰郷していた時期と重なります。
私はこの「破調」の歌を読んで、破れた心、壊れた心から、漏れで、こぼれた想いを、転写するように掬いあげるしかなかった、そのように生まれ出るしかなかった言葉を、約束事の音数に取捨選択してはめ込むために推敲することは逆に想いのかたちを壊すことになるように彼には思えたのではないか、と感じます。
切迫感が静かに薄い氷のように、今にも割れそうなほどに、張りつめています。
歌集『みなかみ』から。若山牧水
(1913年・大正2年、29歳)納戸の隅に折から一挺(ちやう)の大鎌(おほがま)あり、汝(なんぢ)が意志をまぐるなといふが如(ごと)くに
飽くなき自己虐待者に続(つ)ぎ来たる、朝(あさ)、朝のいかに悲しき
新(あら)たにまた生るべし、われとわが身に斯(か)く言ふとき、涙ながれき
傲慢(がうまん)なる河瀬(かはせ)の音よ、呼吸(いき)はげしき灯(ひ)のまへのわれよ、血のごとき薔薇(ばら)よ
薔薇を愛するはげに孤独を愛するなりきわが悲しみを愛するなりき
愛する薔薇を蝕(むし)ばむ虫を眺めてあり貧しきわが感情を刺さるるごとくに
さうだ、あんまり自分のことばかり考へてゐた、四辺(あたり)は洞(ほらあな)のやうに暗い
御墓(みはか)にまうでては水さし花をさす、甲斐(かひ)なきわざをわがなせるかな
わが厨(くりや)の狭き深き入り口に夕陽(ゆふひ)さし淵(ふち)のごとし噤(つぐ)みて母の働ける
飛ぶ、飛ぶ、とび魚がとぶ、朝日のなかをあはれかなしきこころとなり
かなしき月出づるなりけり、限りなく闇(やみ)なれとねがふ海のうへの夜(よる)に
高まりたかまりつひに砕(くだ)けずにきえゆきし曇り日の沖の浪(なみ)のかげかな
● 出典・『日本の詩歌4 与謝野鉄幹 与謝野晶子 若山牧水 吉井勇』(中公文庫、1975年)。
次回は、私自身の「破調」について記します。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年
3月11日、
イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
こだまのこだま 動画 ☆ 全国の書店でご注文頂けます(書店のネット注文でも扱われています)。
☆
Amazonでのネット注文がこちらからできます。
詩集 こころうた こころ絵ほん ☆
キズナバコでのネット注文がこちらからできます。
詩集 こころうた こころ絵ほん
- 関連記事
-
コメントの投稿