京極派と呼ばれる鎌倉後期から室町、戦国時代のある時期に明滅した
勅撰集「玉葉集」、「風雅集」に象徴される、すぐれた和歌があり、私は共感します。
(
永福門院の和歌が感受性と言葉づかいの繊細さでとくによいと感じます。)
文学で、「派」や「グループ」というものはありえないと考え、好きではありませんが、文学感で理解、共感しあえる同時代に生きる個性それぞれの創作表現と理解すればよいと思います。
われもかなし草木も心いたむらし秋風ふれて露くだるころ 伏見院
私も悲しい。草木(くさき)も悲しみにくれているようだ。秋風が草木に触れ、露がおりるころは。
(井上宗雄 校注・訳、新編日本古典文学全集49、小学館。所収、玉葉集から)
木の葉なき空しき枝に年くれてまた芽ぐむべき春ぞ近づく 京極為兼(きょうごくためかね)
木の葉(このは)が落ちて何もない枝に年が暮れて、また新しく芽ぶきの春が近づいてくるよ。
(井上宗雄校注、新編日本古典文学全集49小学館の玉葉集)共感した冬の歌
とまるべき宿をば月にあくがれて明日の道ゆく夜半(よは)の旅人 京極為兼
泊るはずの宿を、美しい月に心が誘い出されて、明日(あす)行くべき道を歩み始めた、夜ふけの旅人
(井上宗雄校注、新編日本古典文学全集49小学館の玉葉集)共感した夜の旅の歌
京極為兼の「芽ぐむべき春」の和歌は、「べき」と使っていることからも、思念的、観念的ともいえ、詩歌としての境界線上にあり、詩歌とはいえなくなりそうな、危うさのうえにあると思います。
高村光太郎の、「僕の前に道はない」という、詩「道程」のように。
けれど、こんな詩もまた、あっていいと感じる、私は好きな、共感する詩です。
詩集「智恵子抄」の詩がより心から好きですけれど。
高村光太郎は自分に詩論はなく詩は気迫だ心の鼓動リズムの芸術だと、限りなく音数律の詩である日本語の詩の核心を言っていると思います。音色の美しさを無視しようとしたことを除けば。
戦時中「シンガポール陥落」の戦争賛美をしてしまったけれども戦後に心から悔いた学ぶべき人。彼の詩は好きです。
戦争賛美をけっしてせず、抵抗し、忌避し、迫害され、戦地に送られ、殺された、無名の文学青年、ペンを折られ、折った文学者、滅びを選んだ太宰治や原民喜たちには及びようもありませんけれど。
戦争を悔いることも詫びることもしなかった人たちとは比べようもなく光太郎は人間です。
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