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地球の上での感受性。山之口貘の詩(三)

 沖縄出身の詩人、山之口貘(やまのくち ばく)の作品を通して詩を見つめ考えています。好きな詩の引用に続けて、☆印の後に、私の詩想を記します。最終の今回テーマは感受性、時間感覚、宇宙感覚です。

  

僕は間借りをしたのである
僕の所へ遊びに来たまへと皆に言ふたのである
そのうちにゆくよと皆は言ふのであつたのである
何日経つてもそのうちにはならないのであらうか
僕も、僕を訪ねて来る者があるもんかとおもつてしまふのである
僕は人間ではないのであらうか
貧乏が人間を形態して僕になつてゐるのであらうか
引力より外にはかんじることも出来ないで、僕は静物の親類のやうに生きてしまふのであらうか

大概の人生達が休憩してゐる夜中である
僕は僕をかんじながら
下から照らしてゐる太陽をながめてゐるのである
とほい昼の街の風景が逆さに輝やいてゐるのをながめてゐるのである
まるい地球をながめてゐるのである

☆私の詩想
 最終連に山之口貘の宇宙感覚がよく表われています。私が大切 、感じとることは違うという点です。
 私の私のための造語に「感主性」があります。感じ取ろうとすることです。
 山之口貘がこの詩を生むことができたのは、彼には、「空間と時間の果てがわかっていない宇宙のひろがりになぜか浮かぶ地球というこのまるい星の上に、今へばりついている」不思議さの感覚を、「感じ取ろうとして、感じていた」からだと私は思います。より素直に言うと、「僕は今この宇宙にどうして生きているんだろう」とつねに感じ取り、考えていたことが、彼の詩から伝わってきます。優れた詩人、詩の響きには、この声が微かに必ず宿っている、昼間も絶えず降り注いでいる星のひかりを浴びているように、と私は考えています。


  

草にねころんでゐると
眼下には天が深い



太陽
有名なもの達の住んでゐる世界

天は青く深いのだ
みおろしてゐると
体躯が落つこちさうになつてこわいのだ
僕は草木の根のやうに
土の中へもぐり込みたくなつてしまふのだ。

☆私の詩想
 前褐の詩で述べた、宇宙感覚がほんものであることが、よく伝ってくる詩です。上も下もない宇宙に浮かぶ地球の上から、「青く深い」天を「みおろしてゐると/体躯が落つこちさうになつてこわい」。
 山之口貘はこの感覚を生来的にいつも感じています。知識としては不要な、この感覚にこだわり、読者に伝えられるのが詩だと、私は思います。このことを感じうる心、感受性のやわらかさ、ゆたかさは、いのちを見るつめることに結びついています。だからけして不要なものではなく、とても大切なことだと私は考えています。


  夜景

あの浮浪人の寝様ときたら

まるで地球に抱きついて ゐるかのやうだとおもつたら

僕の足首が痛み出した

みると、地球がぶらさがつてゐる

☆私の詩想
 山之口貘の宇宙感覚を、最終の二行の詩句で、大げさに、少しわざとらしく、描いています。でも嫌らしさが匂わないのは、彼が初めてこのように表現したという独自性、新しさ、鮮やかさがあるからです。詩句となった表現の新しさそのものが、そのまま詩だということがよくわかります。
 詩としてこの詩句の独自性を印象的に繰り返すことはもうできません。作者が繰り返すと陳腐な表現に、他者が書くと盗作になってしまいます。散文では「足首に地球がぶらさがってゐるような感覚を覚えた」と表現を繰り返すことがゆるされるとしても。生きることがいちど限りであるように、いちど限りの表現として詩は輝きます。


  

食うや食わずの
荒れた生活をしているうちに
人相までも変って来たのだそうで
ぼくの顔は原子爆弾か
水素爆弾みたいになったのかとおもうのだが
それというのも地球の上なので
めしを食わずにはいられないからからなのだ
ところが地球の上には
死んでも食いたくないものがあって
それがぼくの顔みたいな
原子爆弾だの水素爆弾なのだ
こんな現代をよそに
羊は年が明けても相変らずで
角はあってもそれは渦巻にして
紙など食って
やさしい眼をして
地球の上を生きているのだ

☆私の詩想
 遺稿詩集『鮪に鰯』の収録詩で、やはり整っている分、山之口貘独特の言い回しの輝きは薄れていますが、これまで記してきた特徴、ヒューマニズム、ユーモア、感受性が優しく響いている良い詩だとい思います。
 まとめに付け加えると、山之口貘は戦時・戦後を生きましたが、けして戦争賛歌やイデオロギーの声高な主張を書きませんでした。この詩にあるようにヒューマニズムのうえに踏ん張って、原爆や水爆、沖縄の状況についての批評精神の言葉を織り込んだ詩も書いています。それも彼の詩人としての豊かな表情のひとつであることを、見落としてはいけないと、私は思います。

出典:山之口貘全集 第一巻 全詩集(1975年、思潮社)
底本:『思弁の苑』、『山之口貘詩集』、『鮪に鰯』(遺稿詩集)。
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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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