私の好きな
草野心平の詩を3回に分けてとりあげ、みつめます。彼の生まれは1903年(明治36年)で、前回までみつめた
山之口貘と同年生まれです。獏が私の生年に60歳で亡くなったのと対照的に、心平は1988年まで長くしぶとく生きました。でもそれ以上にふたりの詩人に共通しているのは、各々の
詩の独創性です。
貘の詩も、心平の詩も、それぞれのひとりだけの顔立ちで、読めば貘、心平だとわかる心のしわが深くきざまれた独自の表情をしています。心平にはまた違う強烈な個性を放った兄弟、草野天平がいました(
草野天平を青空文庫で見つけた)。
草野心平の作品群のなかで、ひろく知られているのは、教科書に載ることも多い、蛙をテーマとした詩群です。もちろん異なる主題の作品も多く創りましたが、私は蛙の詩ひとつひとつが好きです。
まずは、初めての第一詩集
『第百階級』(1928年、25歳)から(初出形)で二篇「生殖 Ⅰ」と「冬眠」を引用します。
<草野心平の詩の引用1>
生殖 Ⅰるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる
<草野心平の詩の引用2>
冬眠 ●
斬新な挑戦的な感性の詩、ともに一回きりの作品を、ポンと提示していますが、若い創作意欲が躍動していて、私はとても良いと感じます。
心平の蛙をテーマとする詩集の中核は
『<定本 蛙』(1948年、45歳)で
『蛙』(1938年、35歳)を踏まえてまとめられました。かえるの合唱などの表現力がとても独特で豊かなので、読む者に感じさせ考えさせる魅力に満ちています。
「誕生祭」、「ごびらっふの独白」などよく知られている個性豊かな良い詩ですが、私は癖のある
「ヤマカガシの腹のなかから仲間に告げるゲリゲの言葉」も好きです。
でも私はこの定本詩集以上に、
『第四の蛙』(1964年、61歳)の作品をより深く心を掘り下げ襞まで感じ取り言葉の結晶とした作品だと感じるので、以降はこの詩集から特に好きな詩をみつめていきます。今回の詩は「恋愛詩集」です。(Aは略します)。
<草野心平の詩の引用3>
恋愛詩集 B
るりるよ。
死んだるりるよ。
そのときの君を思うとたまらない。
そのむねんさがよく分る。
未完成のガマニン弾をこねあげて。
君を食い殺した奴を見つけにゆきたい。
るりるよ。
けれどもじぶんにはヒル部落まで出掛けてゆく力がない。
もうそんな力は残っていない。
じぶんのために犠牲になったるりるよ。
無になったるりるよ。
じぶんもまもなく無になるだろう。
るりるよ。
君といっしょに見た西の太陽。
あのただれるようなよろこびは。
いまは血のかなしみになって眼にしみる。
もうすぐ満月ものぼってくる。
いっしょにこわあらむを歌いたかったよるりる。
死んでもきみと会えるとは信じない。
信じたいが分らない。
けれども無になることはそれに近い。
るりるよ。
月の花がひらいたよ。
たったいま。
いつものとこで。
るりるよ。
一億年のようにぼんやりして。
君とならんで。
月の花にでも化けたいよ。
ああ化けたい。
(引用了)。
次のような詩句は私の思いを深く揺さぶり共鳴を感じてしまいます。
「死んでもきみと会えるとは信じない。/信じたいが分らない。/けれども無になることはそれに近い。」作品のなかでの蛙の語りかけの言葉とわかりつつ、蛙の心は私の心、私も蛙になっています。
今回は最後に、蛙になった私が歌った作品をリンクし、心平とともに、蛙になって合唱したいと思います。
「かえるの子守唄」 高畑耕治詩集『海にゆれる』から。
出典:『
草野心平詩集』(2010年、角川春樹事務所、ハルキ文庫)。
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