沖縄出身の詩人、
山之口貘(やまのくち ばく)の詩が私は好きです。生年は1903年(明治36年) で、1963年私が生まれた1ヶ月ほど後になくなったんだと知りました。
今回から3回、私が若い頃愛読した彼の詩を通して詩を見つめなおし考えます。各回とも好きな詩の引用に続けて、☆印の後に、私の詩想を記します。今回のテーマは人の心、ヒューマニズムです。
来意もしもの話この僕が
お宅の娘を見たさに来たのであつたなら
をばさんあなたはなんとおつしやるか
もしもそれゆえはるばると
旗ヶ岡には来るのであると申すなら
なほさらなんとおつしやるか
もしもの話この話
もしもの話がもしものこと
真実だつたらをばさんあなたはなんとおつしやるか
きれいに咲いたあの娘
きれいに咲いたその娘
真実みないでこの僕がこんなにゆつくりお茶をのむもんか。
☆ 私の詩想 ときおり引用されているのを見かける、愛されている詩です。言葉のリズムののびやかさと、最終行のおかしみに、読むとさわやかさを感じます。読んで楽しい詩が今は少なすぎると私は思います。
玩具掌にのこつたまるい物
乳房のまんまの
まるい温度
それからここにもうひとつ
これはたしかに僕の物です と
あの肌に
捺した
指紋
☆ 私の詩想 山之口貘は詩の多くで、詩行とタイトルにひねりをくわえて味を出します。この詩もそうですが、男性視線でのこの詩のタイトルは、好き嫌いが分かれそうな気がします。それでも私がとりあげたのは、詩行に女性への思慕、乳房と肌の体温への愛情が偽りなくあふれていると私は感じるからです。はじめの3行がとても好きです。
「僕の物」という言葉にも蔑視ではなくて、喜びとひとりの大切な女性への愛情が響いています。
妹へおくる手紙なんといふ妹なんだらう
――兄さんはきつと成功なさると信じてゐます。とか
――兄さんはいま東京のどこにゐるのでせう。とか
ひとづてによこしたその音信のなかに
妹の眼をかんじながら
僕もまた、六、七年振りに手紙を書かうとはするのです
この兄さんは
成功しようかどうしようか結婚でもしたいと思ふのです
そんなことは書けないのです
東京にゐて兄さんは犬のやうにものほしげな顔してゐます
そんなことも書かないのです
兄さんは、住所不定なのです
とはますます書けないのです
如実的な一切を書けなくなつて
とひつめられてゐるかのやうに身動きも出来なくなつてしまひ 満身の力をこめてやつとのおもひで書いたのです
ミナゲンキカ
と、書いたのです。
☆ 私の詩想 一人称の告白体で書かれていますが、書き流されたのではなく、推敲の繰り返しにより言葉を選びぬいた作品、詩です。それを感じさせないのが詩人のちからだと思います。
山之口貘は第一詩集のタイトルを『思弁の苑』としていることからも感じられますが、深く「考えるひと」で、自分をいったん突き放してとらえなおします。だから住所不定の身の上をあらわす言葉からも、おかしみの混じる明るい心の景色が広がってきます。
親子大きくひらいたその眼からして
ミミコはまさに
この父親似だ
みればみるほどぼくの顔に
似てないものはひとつもないようで
鼻でも耳でもそのひとつひとつが
ぼくの造作そのままに見えてくるのだ
ただしかしたったひとつだけ
ひそかに気を揉んでいたことがあって
歩き方までもあるいはまた
父親のぼくみたいな足どりで
いかにももつれるみたいに
ミミコも歩き出すのではあるまいかと
ひそかにそのことを気にしていたのだ
まもなくミミコは歩き出したのだが
なんのことはない
よっちよっちと
手の鳴る方へ
まっすぐに地球を踏みしめたのだ
☆ 私の詩想 遺稿詩集『鮪に鰯』の作品です。私は山之口貘の詩は
第一詩集『思弁の苑』の作品に、彼独特の個性と味があって優れていると思います。この作品は言葉が整っている分、彼の個性が薄れていますが、それでもとりあげたのは、この詩にも彼の詩のいちばんの良さが消え去ることなくあるからです。それは何か?
今回とりあげた四篇の詩がどうして心に響くんだろ?
山之口貘の詩の言葉の泉の輝きが生れ出てくる地下水として豊かに波うっているものは、人の
心、ヒューマニズムです。
森英介の詩を通して、現代詩には愛が欠けている、と私の想いを記しました。
愛の純詩『地獄の歌 火の聖女』(四)。 もうひとつ根本的なことだと思うことを付け加えると、人間として素直に大切だと感じられる
心、思いのあたたかみ、いとおしみが欠けている、そのことにこだわり伝えたいとの思いが込められている本当の詩がおとしめられている、と感じています。
誤解を避けるために付記しますが、そのような作品が生れていないわけではなくて、現代詩の主流を自称する詩人・評論家と彼らに迎合するマスコミに、ヒューマニズムの豊かな優れた作品を感じとる細やかな感性と詩心、詩精神がないだけだと私は考えています。
私の
ホームページ『愛のうたの絵ほん』の
『好きな詩・伝えたい花』で紹介させて頂いている詩人の、詩の一篇一篇には、豊かな人間性が込められていて、心を洗われ、心に沁み、心ときめき、心あたたまり、心ゆれる、美しい個性の輝きがまばゆい詩作品です。
人間が良い生き物か、悪い生き物か、その捉え方は人それぞれの感じ取り方考え方、信条、信仰だとしても、詩は人間による言葉を通しての心と精神の表現でしかありえません。だから優れた詩、
人の心に届き、美しい、いい、好きだと感じとらせてくれる詩には、必ずヒューマニズムが響いています。 言葉による作品を通して、人の心の揺れ動く姿と温度を、独自の個性で新鮮な姿で浮かび上がらせ、伝えるのが本当の詩人だと私は思います。
山之口貘はそのひとり、天性の優れた詩人です。
出典:
山之口貘全集 第一巻 全詩集(1975年、思潮社)
底本:『思弁の苑』、『山之口獏詩集』、『鮪に鰯』(遺稿詩集)。*生年・没年は、ウィキペディアを参照しました。
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