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島崎藤村 新しい詩歌の時代

 島崎藤村を、 萩原朔太郎は明治以降の詩人で興味を抱ける数少ない一人としてあげました。北村透谷とともに新しい詩の世界を切り拓いた島崎藤村の詩を、自選『藤村詩抄』から摘んでここに咲かせます。
 私は詩と小説のどちらに自分を注ぎ込むか思い悩んでいたとき、詩人から小説家へと転じた藤村、その転機に彼が書いた『千曲川のスケッチ』を読み、考えていました。
 藤村の詩世界を今改めて読み返すと、狭い詩風しかないとの私の思い込みは誤りで、ちいさな美しい抒情詩や、「千曲川旅情の歌」などの整った作品だけでなく、「勞働雜詠」など強い独自性を感じる豊かな作品の拡がりを持っていることを知ります。
 新しい詩世界を開拓していこうとする藤村の意欲が、強い個性を放つ光となった作品たちから伝わってきます。
 ここには、私が特に好きだと感じる、美しく愛(かな)しい抒情詩を3篇選びました。
 「初恋」は有名すぎるけれど、藤村が詩集合本自序で高らかに述べた、「遂に、新しき詩歌の時は來りぬ。そはうつくしき曙のごとくなりき。」、この言葉の純真さが結晶したような青春の淡くまぶしい詩だから。 
 「ゆふぐれしづかに」は透きとおる悲しみがひらがなの美しい調べとなって響いているから。
 「門田にいでて」は、戦争という状況下でも、本来の詩は、ひとりのこころ、思いの揺らめきであること、それだけは嘘でないことを、静かに教えてくれる詩だからです。

 出典は『藤村詩抄』岩波文庫、1995年改版です。


 初恋


まだあげ初(そ)めし前髪の
林檎(りんご)のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅(うすくれない)の秋の実に
人こひ初(そ)めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃(さかずき)を
君が情(なさけ)に酌(く)みしかな

林檎畑の樹(こ)の下(した)に
おのづからなる細道は
誰(た)が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ


 ゆふぐれしづかに

ゆふぐれしづかに
     ゆめみむとて
よのわづらひより
     しばしのがる

きみよりほかには
     しるものなき
花かげにゆきて
     こひを泣きぬ

すぎこしゆめぢを
     おもひみるに
こひこそつみなれ
     つみこそこひ

いのりもつとめも
     このつみゆゑ
たのしきそのへと
     われはゆかじ

なつかしき君と
     てをたづさへ
くらき冥府(よみ)まで
     かけりゆかむ


 門田にいでて
   遠征する人を思ひて娘のうたへる

門田(かどた)にいでて
   草とりの
身のいとまなき
   昼なかば
忘るゝとには
   あらねども
まぎるゝすべぞ
   多かりき

夕ぐれ梭(おさ)を
   手にとりて
こゝろ静かに
   織るときは
人の得しらぬ
   思ひこそ
胸より湧(わ)きて
   流れけれ

あすはいくさの
   門出なり
遠きいくさの
   門出なり
せめて別れの
   涙をば
名残にせむと
   願ふかな

君を思へば
   わづらひも
照る日にとくる
   朝の露
君を思へば
   かなしみも
緑にそゝぐ
   夏の雨

君を思へば
   闇(やみ)の夜も
光をまとふ
   星の空
君を思へば
   浅茅生(あさじう)の
荒れにし野辺も
   花のやど

胸の思ひは
   つもれども
吹雪はげしき
   こひなれば
君が光に
   照らされて
消えばやとこそ
   恨(うら)むなれ

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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年同
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年同
「愛(かな)」1993年同
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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