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永瀬清子の詩(一)。女性、詩と歌。

 『日本の詩歌26 近代詩集』(中央公論社、1979年)を読んでいます。これまで出会う機会のなかった詩人の良い詩が心に響きだすのを感じるとき、私は嬉しくなります。

 今回は、永瀬清子(ながせきよこ、1906年~1995年)の詩をみつめ感じとります。
 新体詩・近代詩と詩人を感じとろうとする今回の一連のエッセイについて、私は読みながら順次、良いと感じた詩、好きな詩を紹介してきました。お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、今回初めて女性の詩人をとりあげます。
 私はどちらかというと、女性の心の詩が好きな人間です。
 だから驚きました。この本には、63人の詩人が取りあげられています。が、そのうち女性の詩人は、今回紹介する永瀬清子ただ一人です。

 気になって、『日本の詩歌』シリーズの他の巻、著名な詩人ごとに編まれた個別の巻の構成も確認し直しました。女性は、与謝野晶子だけでした。

 この『近代詩集』のあと、『日本の詩歌27 現代詩集』を読みとるつもりですが、そこには64人の詩人中、9人の女性詩人が取りあげられています。
 ほんのわずかばかりましになっていますが、私の感覚では、紹介される詩人は、男性と女性がほぼ同じ人数であるのが自然です。では、『近代詩集』でそうでなかったのはなぜか?

 歌人の道浦都母子の『女歌の百年』(2002年、岩波新書)を少し前に読んでいました。この本には『近代詩集』と重なる時代に生きた個性輝く女性歌人の生きざまが紹介されていて感銘を受けました。
 20世紀前半の戦前、短歌と詩のあいだで、女性の作者の存在感に、なぜこのように大きな格差が生じてしまったのかについて、私は次のように思います。

① 新体詩・近代詩は、奈良・平安時代の漢詩に似ている。
 漢(中国大陸)と西欧の差異はありますが、ともに輸入品であること。輸入し真似たのは、学者・知識階級、官僚、高僧であり、その地位を独占していた男性であること。
② 新体詩・近代詩と短歌の関係は、漢詩と和歌の関係に似ている。
 和歌は男女問わず愛され歌われ、発生時から相聞歌としての伝統があります。短歌も同じです。

 では、どうしてそうだったのか
① エリートの独占物の性格がある。
 近代詩人も大学出身者が多く、当時女性の大学進学率は極めて低かったと思われます。
 彼ら大学進学者は女性が母親として育て上げ世に出そうとした息子たちです。支えていたのは母、自らの表現を息子に託した女性だったのではないでしょうか。

② 自分の詩集を出せるお金などなかった。
 息子の学費を優先させ犠牲になったのだと思います。

③ 女性は家事・育児に忙しすぎて詩をつくれる時間なんてなかった。
 私も子育てに追われた期間は詩が書けなくなりました。だから、この要因はとても大きいと感じます。
 前褐の本で道浦都母子が述べていますが、短歌なら、その限りなく僅かな時間に、家事をしながらも、生れ出た思いを書きとめることができる、と。
 実際は短歌であっても育児との両立はとても難しいことです。命だから目を離すことは許されません。
 さらに逆の意味で、命より以上に愛おしくかけがえのないものなどないことを肌身でふれ感じられる幸せを知るから、言葉や文字にむかう気持ちはうすれてしまいます。
 このように思う私は、子育てと執筆を並行し続けた与謝野晶子を心から尊敬しています。

④ 女性の作品の真実、良さを、評価できる詩人がほとんどいなかった。
 与謝野晶子にとって、与謝野鉄幹という、情熱的で詩と恋愛を愛する、女性の才能を見抜く心をもつ男性と出会ったことはやはり大きいと思います。
 金子みすゞの詩・童謡の素晴らしさを、西条八十は見抜き応援したけれども、彼女は因習・生活に圧し殺されてしまいました。それほど、女性に対して過酷すぎる時代が続き過ぎました。

 以上のように女性の詩を見出し紹介するという点で、この詩のシリーズの編集の限界を私は感じます。
 詩人を選ぶ基準に、詩集を出しているかどうかが、あったのではないでしょうか? お金がなくて詩集がだせないけれど、本当にいい詩を書いている女性はきっといます。作品そのものの価値は詩を出版して収録したかどうかと関係ありません。
 同人誌に、それも無理だった人は、ノートに、日記に、女性は詩を必ず書きつけていたと思います。
 なぜなら私は、恋愛に命までかけることさえできる女性、命の間近に寄り添い育む女性のほうが、男よりよっぽど、詩心ゆたかだと思うからです。

 日本の文学、とくに詩歌の心をうつ、いちばん大切なところは、紫式部、和泉式部、式子内親王、万葉の作者不詳歌、民謡、女性の心からあふれでた泉のような歌と祈りにあるのは、素直にみつめれば自然に感じることです。そのことを知らない、感じとれない者に文学を語る資格はありません。

 今回は、私の強く感じたことだけを、書き記しました。次回は、永瀬清子の詩作品そのものを紹介し、向き合って詩想を記します。
 ☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2100円(消費税込)です。

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。

    こだまのこだま 動画
  
 ☆ こちらの本屋さんは店頭に咲かせてくださっています。
 八重洲ブックセンター本店、丸善丸の内本店、書泉グランデ、紀伊国屋書店新宿南店、三省堂書店新宿西口店、早稲田大学生協コーププラザブックセンター、あゆみBOOKS早稲田店、ジュンク堂書店池袋本店、紀伊国屋書店渋谷店、リブロ吉祥寺店、紀伊国屋書店吉祥寺東急店、オリオン書房ノルテ店、オリオン書房ルミネ店、丸善多摩センター店、くまざわ書店桜ケ丘店、有隣堂新百合ヶ丘エルミロード店など。
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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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