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愛(かな)しさ。草野心平(三)

 草野心平の詩集『第四の蛙』(1964年、61歳)から2回にわたり好きな詩を紹介し、詩想を記してきましたが、最終の今回は私が彼の詩の中でいちばん好きな「エレジー」を取りあげます。
 このブログのタイトルを『愛(かな)しい詩歌―高畑耕治の詩想』としたり、『愛(かな)』という詩集で「あとがき」に書きましたように、私は「愛(かな)しい」という言葉がとても好きで強い思い入れがあります。

 草野心平の蛙の詩がなぜ好きかと言うと、彼がその世界で、生きることの「愛(かな)しみ」を表現し感じとらせてくれるからです。
 うれしさと悲しさの溶け合い、ひとりでありつつひとりでないこと、「エレジー」ではあるもりあおがえるが、愛するかえる“くみーる”への鎮魂の思い、優しい語りかけをとおして、教えてくれます。

<草野心平の詩の引用>

  エレジー 
    あるもりあおがえるのこと


あいつはあの時。
(そうだ。もう六年も前のことになるのだが。)
あいつはあの時。
つぶやくように言ったっけ。
美しいわ。
と。
たった一と言。

水楢の枝にしゃがみこんで。
はっぱのしげみにお尻をのっけて。
そうしておれは。
あいつの三倍も小さくすすぼけた色をしてしびれていたが。
美しいわ? なに言ってんだいとぼんやりおれは。
おっぱい色のもやのなかでわらったものだ。
眩暈するほどの現実のなかで。
恍惚のなかで。

    けれどもどうやらはなしはちがってきた。
    六年もたったせいかおれの考えもちがってきた。

美しいわ。
あいつが死んでからあの時のあいつの一と言が。
音楽よりもかなしく強く。
いまはおれのからだのなかでさざなみになる。
美しいわ。
の一と言が。
どうしてだろう。かおも恍惚も忘れたのにどうしてだろう。
そのひとことだけが思いだされる。

    原始の林とあやめ。横倒しになった楡の古木が水に映るこんなしずかなすき透る沼から。よその土地の者
    等がやってきて。半分もの好きなアヴェックがあいつをバッグにつめこんで里に降りバスに乗って帰って
    ゆき。そうして裏の水溜りに放したそうだ。そうだということはおれたちの世界では電波みたいに分るの
    だ。それからあいつは鳴くことをやめ。あんなに好きなソプラノを遂いぞ歌わず。そうして生ぬるい泥っ
    ぽい水のなかでベロを出して陀仏ったそうだ。だれに出したベロ? そのベロ。
    そんなこともおれたちの世界では電波みたいに分ることだ。

オリーブ色のあいつの背中。
もうあの背中から夢はもうもうとたちのぼらない。
あいつの背中にかわる背中を。
おれはずいぶん経験した。
けれどもあの時の。
美しいわ。
そんな言葉はあの時がたった一度の経験だった。
恍惚をはぎとるようなそんな余計なたわ言を。
あのさなかに。
どうして言ったか。
おれは片方の眼だけひらいて。
なにほざいてんだと言おうとしたが。
言わずにひらいた眼もとじた。
その通りでそれはよかった。
それがおれには正しかった。
けれどもいまになっておれは切なく思うのだ。
黒い点々のいもりの腹にどれだけ毎年。
おれたちの子たちはのみこまれるか。
また里につれられてったあいつのように。
どれだけ毎年。
おとなも死ぬか。
美しいわ。
とあいつが言ったその時。
あいつのからだの中から千も二千ものあいつの子たちが。
おれたちの子たちが。
沸いていたのだ。
そうしておれとあいつの共同が。
水楢のはっぱに。
子たちを包んだ白いまぶしい泡のかたまりをつくっていたのだ。
恍惚よりもあいつはその時。
生むよろこびと。
そして生もうとする意志の愛(かな)しさを。
美しいわ。
といったにちがいないといまになっては思えるのだ。

ああ死んだくみーるよ
おれはいま。
くみーるよ。
おまえも知ってる北側のあの三本目の。沼につき出た太い水楢の枝の上から。
方々にぶらさがっている電気飴を眺めている。
さっきにわか雨があって。
いまは晴れ。
あやめの紫は炎に見える。
そよ風だよ。
くみーるよ。
お前が好きだったそよ風だよ。
こんな風景なら鈍感なおれにも美しい。
お前はこんな時には。
天からもらったソプラノで。
あの古風なホームスウィートホームをうたったものだ。
いまそよ風に。
われわれの百五十もの綿飴はかすかにゆれる。
美しいわ。
お前の言葉を思い出す。
お前の言葉はなんだか生きてるような思いがする。
お前の言葉はなんだかおれに勇気をくれる。

(ああ人の声。)

人間たちが登ってきた。
生ま木のステッキなどをふりながら……。
おれはしばらくぴったりここに。
動かずにいる。
じゃ。
さようなら。
くみーるよ。

さようなら。

<引用終わり>。

 初めてこの、あるかえるの、つぎの美しい詩句を読んだときから、かえるの言葉は私の心に響き続けています。
 「生むよろこびと。/そして生もうとする意志の愛(かな)しさを。/美しいわ。」

 詩の素晴らしさを教えてくれるつぎの暖かい詩句を、愛しあうふたりのかえるに、この「エレジー」という作品に、私の心に響かせふくらませ木霊にして返し、ともに響き、包み、守りたいと感じます。
 「お前の言葉はなんだか生きてるような思いがする。/お前の言葉はなんだかおれに勇気をくれる。」

 この回の最後に、草野心平の詩「エレジー」と、もっとも思いの深いところで木霊しあっている私の詩をここに響かせます。愛し合うかえるたちと、心を響かせあっているのは、愛し合うふたりのかげろうです。
  「かげろうの湖」(高畑耕治詩集『さようなら』から)。

出典:『草野心平詩集』(2010年、角川春樹事務所、ハルキ文庫)。

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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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