ローマの
詩人オウィディウス(紀元前43年~紀元17か18年)の長編詩
『変身物語』に私は二十代の頃とても感動し好きになりました。
今回からの数回は、この作品を読み返して、とりあげてみたいと感じた箇所を紹介しつつ、私の詩想を記していきます。
初めに
訳者・中村善也の解説にある、この著作と、書かれた状況を要約します。
オウィディウスは紀元8年、50歳過ぎに、アウグストゥス皇帝によってローマを追われ、黒海西岸のトミスへ追放されました。
その地で死ぬまでの約十年間に、
全15巻、約一万二千行の、最長の作品『変身物語』を彼は完成させました。
「変身」というモチーフで貫かれた、
ギリシア・ローマ神話の集大成です。数多くの珠玉の短い神話が織りなされています。神話の星たちの天の川のようです。
この作品が、もともと叙事詩のリズムであったヘクサメトロスで書かれているのは、同じくローマの詩人
ウェルギリウスの長大な
叙事詩『アエネイス』を意識したのではとも解説に記されています。
詩人ウェルギリウスに深く影響された
ダンテの『神曲』も、古代ギリシアの
ホメロスの叙事詩『イーリアス』『オデュッセイア』も同じように、長大な叙事詩を書きつられていくには、とてもゆるやかな韻律規則がふさわしいのだと私は思います。その最低限の韻律規則も捨て去ったとき文学は散文となります。
時の最高権力者に追放されたオウィディウスが逆境に耐えて、詩人にできること、天性の詩人にしかできないこと、『変身物語』を書き上げたことに私は深い尊敬の念を抱きます。
そのうえで、私が叙事詩の『イーリアス』『オデュッセイア』、『アエネイス』などの英雄の戦勝物語ではなく、この『変身物語』を愛してやまないのは、この作品が、
愛の物語、愛の歌だからです。(だから私はダンテの『神曲』にも感動します)。 この作品の天の川に輝く愛の星たちはとても美しく、心を打ちます。
今回はこの作品を締めくくる最後の文章を引用します。
「いまや、わたしの作品は完成した。」、オウィディウスはこの言葉を書きつけたとき、「わたしは生き尽くした」、「この生に与えられた使命をやり遂げた」、「もういつ死んでもいい」と感じ、語っているのだと私は思います。
「わたしのなかのいっそうすぐれた部分は、不死であり、空の星よりも高く飛翔(ひしょう)するだろう。」
恐ろしい狂おしい矜持です。が、たとえ追放されようが、虐殺されようが、現世の権力にはけして滅ぼせないものがあるとの想いを命をかけて作品に込め、作品の魂とするのが、詩人です。
「わたしは、名声によって永遠に生きるのだ。」狂ったこの言葉を語る資格が、作品の天の川を完成させた彼にはあると私は思います。
● 以下、出典の引用です。いまや、わたしの作品は完成した。ユピテルの怒りも、炎も、剣も、すべてを蝕(むしば)む「時」の流れも、これを消滅させることはできないだろう。あの最後(いやはて)の日が――といっても、それは、わたしのこの肉体だけをしか滅ぼしえないのだ――いつなりと、望みのときに、はかないわたしの寿命を終わらせるがよい! けれども、わたしのなかのいっそうすぐれた部分は、不死であり、空の星よりも高く飛翔(ひしょう)するだろう。わたしの名前も、不滅となる。このローマに征服され、ローマの勢力が及んでいるかぎりの地で、わたしの作品はひとびとに読まれるだろう。もし詩人の予感というものに幾らかの真実があるなら、わたしは、名声によって永遠に生きるのだ。
● 引用終わり。 今回の最後に、私の第一詩集の冒頭の詩、旅立ちの歌を響かせます。完成させる最後の時まで、この想いは変わりません。お読み頂けると嬉しいです。
詩「ねがい」(高畑耕治HP『愛のうたの絵ほん』から) 次回もヘルダーリンの『ヒュペーリオン』を見つめ感じとります。
出典:『変身物語』オウィディウス、中村善也訳、岩波文庫 次回からは、この天の川に輝く神話の美しい星たちを見つめていきます。
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