『古今和歌集』の巻第十一から巻第十五には、
恋歌が一から五にわけて編まれています。五回に分けてそのなかから、私が好きな歌を選び、いいなと感じるままに詩想を記しています。
平安時代の歌論書についてのエッセイをいま並行して書いていますが、優れた歌論書、歌人に必ず感じるのは、彼自身が好きな良いと感じた多くの歌をいとおしむように、伝えようとする熱情です。
なぜなら、好きな歌を伝えることは、彼自身の心の感動を響かせることでもあるからです。詩歌を愛する者にとって、それ以上の歓びはないように私は思います。
今回は五回目、最終回です。一首ごとに、出典からの和歌と<カッコ>内の現代語訳の引用に続けて、☆印の後に私の詩想を記していきます。
よみ人知らず、の歌が多くなったのは、好きな歌を選んだ結果で、意識的にではありません。心に響く歌を作者の著名度にとらわれずに選びました。
恋歌五 (続き)
757 よみ人知らず
秋ならで置く白露は寝覚(ねざ)めする我が手枕(たまくら)の雫(しづく)なりけり<秋でもないのに置いている白露は、恋の思いのつらさに夜半に寝覚めをする私の手枕の袖にかかる、涙の雫だったよ。>
☆ 素直な歌です。「白露」と「雫」は、涙の比喩としての意味、イメージで映像が重なるとともに、「しらつゆ SIraTUyU」「しずく SIDUkU」と似通う音でも響きあい、揺らめきあっています。
760 よみ人知らず
あひ見ねば恋こそまされ水無瀬川(みなせがは)なにに深めて思ひそめけむ<逢わないでいると恋しさがますますつのることだ。地下深く流れる水無瀬川ではないが、どうして私は心に深くあの人を恋い慕うようになったのだろうか。>
☆ 水無瀬川という比喩、地下深く流れている川のイメージが、心に深く恋い慕う思いと溶け合っていて、心に響きます。逢えないと恋しさがつのるという思いも、とどまることない流れが泉となりあふれだすのだと、自然に感じられて、心に響きます。
772 よみ人知らず
来(こ)めやとは思ふものか蜩(ひぐらし)の鳴く夕暮れは立ち待たれつつ<来てはくれないと思うものの、蜩がなく夕暮になると、つい外まで立っていっては待つということを繰り返している。>
☆ 逢えない悲しみを胸に抱いて、夕暮れ、ふりそそぐヒグラシの声をあびて佇む姿、情景が心に鮮明に浮かんできます。共感の想いを重ねていると、いつしかカナカナの声に包まれながら私が哀しく佇んでいる気持ちになります。
775 よみ人知らず
月夜には来ぬ人待たるかき曇り雨も降らなむわびつつも寝む<こんな月の美しい夜には通って来ない人が思わず待たれてしまう。いっそすっかり曇って雨でも降ればよい。そうすれば、つらくてもあきらめて寝るだろうから。>
☆ 月夜に愛する人をより強く想い、待つ気持ちがつのるのは、月のひかりが、澄んでいて、美しいから、心あらわれ、美しいもの、愛するひとを、求めずにいられなくなる、心素直になってしまうからだと、この歌に感じます。その想いがかなわないのなら、と自暴自棄になる気持ちは、とてもよくわかって、共感します。
797 小町
色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける<それと色にも現れないでいて、あせていってしまうものは、世の中の人の心という花だったよ。>
☆ 「移ろふもの」、それは「人の心の花」。静かな嘆きが、とても悲しく心に響く歌です。小野小町は、残され伝わる歌は限られ少ないけれども、心を知る歌人だと、私は敬愛しています。
805 よみ人知らず
あはれとも憂しとも物を思ふ時などか涙のいとなかるらむ<つくづく恋しく思ったり、また、つらいと恨めしく思ったり、あの人のことを恋い慕ってあれこれと物思いにふける時、どうしてこんなに涙がとめどなく流れるのだろう。>
☆ とても素直な想いが涙となって清らかに流れるようです。「などか」、「なみだ」、「なかる」の「なNA」の音が涙のひかる滴のように響きます。末尾の「るらむ RuRan(mu)」の子音R音も、流れを感じさせる音色です。「あはれ」という詩句の強さも感じます。詩歌は「あはれ」の芸術、この歌も「あはれ」に美しく、あはれに染め上げられています。
812 よみ人知らず
逢ふことのもはら絶ぬる時にこそ人の恋しきことも知りけれ<逢うことがまったく絶えてしまった今になって、はじめて、ほんとうにあの人が恋しいということがわかったよ。>
☆ とても悲しい歌。在原業平の「月やあらぬ」と同じ状況に置かれた、同じ心のありようの表現ですが、業平の歌が虚構に託した美意識に溶かし込んだ悲しみであるのと、まったく対象的に、思いそのものの流露の歌。詩歌はこんなにも違う表現で、心を伝えることができると、気づかされます。どちらの歌も美しく、悲しく、心に響きます。
819 よみ人知らず
葦辺(あしべ)より雲居(くもゐ)をさして行く雁のいや遠ざかる我が身悲しも<葦の生えている水辺から大空を目ざして飛んでいく雁のように、しだいに遠ざかっていくあの人を見まもっている私の身が悲しく思われることだ。>
☆ 重ねられたイメージ、情景が、とても鮮明に心にひろがります。情景に投げ込まれての、「いや遠ざかる」という詩句にあわれ、哀しみがにじんでいて、心に沁みます。最後にぽつりと、もれでてしまう言葉、「我が身悲しも」、身MI、もMOと、やわらかな音色で弱弱しく口を閉じられた後、沈黙に、悲しみが沁み込んでゆき、私の心も染まるのを感じます。心に響く美しい歌です。
出典:『古今和歌集』(小野谷照彦訳注、2010年、ちくま学芸文庫)
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