『古今和歌集』の巻第十一から巻第十五には、
恋歌が一から五にわけて編まれています。五回に分けてそのなかから、私が好きな歌を選び、いいなと感じるままに詩想を記します。
平安時代の歌論書についてのエッセイをいま並行して書いていますが、優れた歌論書、歌人に必ず感じるのは、多くの彼自身が好きな良いと感じた歌をいとおしむように、伝えようとする熱情です。
なぜなら、好きな歌を伝えることは、彼自身の心の感動を響かせることでもあるからです。詩歌を愛する者にとって、それ以上の歓びはないように私は思います。
今回は一回目です。一首ごとに、出典からの和歌と<カッコ>内の現代語訳の引用に続けて、☆印の後に私の詩想を記していきます。
恋歌一
469 よみ人知らず
時鳥(ほととぎす)鳴くや五月(さつき)の菖蒲草(あやめぐさ)あやめも知らぬ恋もするかな<時鳥が里に来て鳴く五月に軒先に葺く菖蒲ではないが、物事の条理(あやめ)も分からないような無我夢中の恋もすることだ。>
☆ この歌のいちばんの魅力は、恋ごころの不安、迷いと紙一重の一途さを歌っている熱さ、心のほてり、に感じます。「あやめ」という言葉の繰り返しも韻律の波を強めて心に残ります。ほととぎすの鳴き声が聞こえ菖蒲の美しい紫に染まる奥ゆきのある心象世界が、一首から立ちのぼり感じられます。
484 よみ人知らず
夕暮は雲のはたてにものぞ思ふ天(あま)つ空(そら)なる人を恋ふとて<夕暮れになると、雲の果てを眺めながらもの思いにふけることだ。空のかなたにいるような、あの貴いお方を恋い慕って。>
☆ なんど読んでもいいなと感じてしまう、恋ごころがそのまま詩句になったような歌です。夕暮れの雲、空の果てまで、恋の想いがイメージゆたかに沁みひろがっゆく、遥かさが、とても美しいです。
488 よみ人知らず
我が恋はむなしき空に満ちぬらし思いやれども行く方(かた)もなし<私の恋の思いは何もないはずの大空いっぱいになってしまったらしい。いくら思いを晴らそうとしても、そのやり場もないのだから。>
☆ 前出の歌に続けて読むと物語性を感じます。恋のもの想いは、喜びと悲しみが絶えず浮き沈み入れかわるので、空の遥かさを美しいと感じる心は、すぐそのあてども無さ、不確かさに、不安になり憂鬱に沈みもします。「行く方もなし」という詩句は、人生そのものなので、私は共感してしまいます。
497 よみ人知らず
秋の野の尾花(をばな)にまじり咲く花の色にや恋ひむ逢ふよしをなみ<秋の野のすすきにまじって色美しく咲く花のように、思いをあらわに示して恋い慕おう。逢う手だてとてないのだから。>
☆ 前半部のすすきと秋の花の交り咲くイメージの広がりの美しさと、後半の想いの奏でる言葉の旋律の美しさに、調和を感じます。「いろにやこいん あうよしおなみ」「iroNiYakoiN auYoshioNaMi」は、子音Y音、N音、M音が柔らかな粘着質の音色と、母音I音、O音が多く織り交ぜられていることによると感じます。
512 よみ人知らず
種しあれば岩にも松は生(お)ひにけり恋ひをし恋ひば逢はざらめやも<種さえあれば、固い岩の上にでも松は生え育つ。いちずに恋い慕い続けたならば、どうしてあの人に逢えないことがあろうか。>
☆ この歌の魅力は前半の比喩より、後半の想いの強さに感じます。「めやもmeyamo」という古語の響きの柔らかさも、堀辰夫のヴァレリー詩句の訳語「風立ちぬ、いざ生きめやも」を呼び覚まして、心に響きます。
514 よみ人知らず
忘らるる時しなければ葦鶴(あしたづ)の思ひ乱れて音(ね)をのみぞなく<あの人のことが忘れられる時がないので、葦辺の鶴が乱れ飛びながら鳴くように、私は思い乱れて声を立てて泣くばかりだ。>
☆ 冒頭の詩句「忘らるるWasuURARURU」は、その意味以上に、言葉の音の連なりを美しく感じます。「音をのみぞなく」はこの時代によく現れる定型的な表現ですが、それでも「声を立てて泣く」という表現に、心の悲しみを私は感じてしまいます。
528 よみ人知らず
恋すれば我が身は影となりにけりさりとて人に添(そ)はぬものゆゑ<恋の物思いのために、私の身は影法師のような幻になってしまった。と言って、あの人に寄り添っていられるわけでもないのに。>
☆ 想いの流れが言葉となって流れる調べを、「なり」「けり」「さり」の類音の連なりなどに感じます。歌われたイメージには、影になって寄り添いたいという願いが、とげられないことの悲しみに反転して、語尾が消えゆくような歌の終わり「ものゆえ」の響きに、悲しみがよどみゆれうごくのを感じます。
532 よみ人知らず
沖辺(おきへ)にも寄らぬ玉藻(たまも)の波の上に乱れてのみや恋ひわたりなむ<沖の方にも寄る辺のない玉藻が波の上に乱れて漂うように、私は心乱れるばかりで、いちずに恋い続けるのだろうか。>
☆ 私にも詩集『海にゆれる』がありますが、恋の想い、心のゆれうごきは、海の波の浮き沈みと、ふかく響きあうものがあります。この歌も心の乱れ、そのうごきとしぶきを、波に漂い浮き沈む藻、海草にたとえていることで、その情感の真率さが、海のイメージに重なり心に打ち寄せてくるのを、私は感じます。
出典:『古今和歌集』(小野谷照彦訳注、2010年、ちくま学芸文庫) 次回は、歌の理想、理想の歌?『俊頼髄脳』源俊頼です。
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