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歌の理想、理想の歌?『俊頼髄脳』源俊頼

 日本の詩歌、和歌をよりゆたかに感じとりたいと、代表的な歌学書とその例歌や著者自身の歌に感じとれた私の詩想を綴っています。

 藤原公任(きんとう)の『新撰髄脳』に続く今回は、1111年~1114年頃に書かれた、源俊頼(しゅんらい)の歌学書『俊頼髄脳(しゅんらいずいのう)』の言葉です。著者は第五代勅撰集『金葉和歌集』撰者でもあります。

 引用文中で彼が模範としている『金玉集』は前回の藤原公任の和歌撰集ですので、源俊頼が彼に学び強い影響を受けていることがわかります。
 心と節(ふし)と言葉(ことば)の関係について、俊頼は、そのどれもが欠けていては良い歌とはいえないと、バランスをとった常識的、まとも、あたりまえな、主張をしています。この点は、公任が十分にそのことを承知したうえで「まず心を」と踏み込んだのに対して、後退していると私は感じます。
 俊頼は続けて、そのような良い歌を「おぼろげの人は、思ひかくべからず。」と述べるので、彼にとっての歌の理想を提示したのだと受けとめてよいと思います。

 彼にとっての理想の歌の姿は、「気高(けだか)く遠白(とほしろ)き歌」、歌柄(うたがら)が高く、雄大な歌、だと述べて、例歌を二首あげています。
 まずわたしは、「気高(けだか)く遠白(とほしろ)き歌」はあくまで、俊頼の好み、彼の心にとってこその、理想だと思います。歌の姿は、心がゆたかな海であるままに、無限の変化、表情を持っています。万人にとって、いちばん美しい、表情は決められません。やはり、美しい、好きだと感じるのは、読者の心、感性です。これが一番と、決め付け押し付けることはつまらないことです。たとえば、私の心は、雄大なものにはあまり、ひかれません。ちいさなものにやどるかなしみやうつくしさにより惹かれます。
 二首目の「思ひかね」の歌は、雄大な歌だとは、私には感じられません。どのような情景が心に浮かびあがるのかも、読者により異なるのだということを、知らされます。

 俊頼は、この歌以外にも、「これはこういう姿の歌」と分類して、多くの歌をあげています。その分類自体には無理があり、あまり意味がないと、私は思いますが、良い歌を「ご覧じて、心を得させ給ふべきなり。」、鑑賞することで感じとることだと述べているのは、その通り、和歌を深く知る人の言葉だと思います。
 ですから、無理な分類はつけずに、「これらが私の心に響く良い、好きな歌です」とあげるのが、例歌に対してのいちばん自然な言葉だと、私は思います。

●以下は、出典からの引用です。

おほかた、歌の良しといふは、心をさきとして、珍しき節(ふし)をもとめ、詞(ことば)をかざり詠むべきなり。心あれど、詞かざらねば、歌おもてめでたしとも聞えず。詞かざりたれど、させる節なければ、良しとも聞えず。めでたき節あれども、優(いう)なる心ことばなければ、また、わろし。気高(けだか)く遠白(とほしろ)きを、ひとつのこととすべし。これを具したらむ歌をば、世の末(すゑ)には、おぼろげの人は、思ひかくべからず。金玉集といへる物あり。その集などの歌こそは、それらを具したる歌なめり。それらをご覧じて、心を得させ給ふべきなり。これらを具したりとみゆる歌、少し記し申すべし。
(略)
気高(けだか)く遠白(とほしろ)き歌、
  よそにのみ見てややみなむかづらきやたかまの山の峰の白雲  
                              (和漢朗詠 雑)
  思ひかね妹がりゆけば冬のよの河かぜさむみ千鳥なくなり  
                  (拾遺抄 冬 紀貫之、拾遺 冬 二二四) (略)

  <現代語訳>

 だいたい、歌が良いと評価されるのは、まず詠む対象に対する感動が第一であり、それを表現するときには、どこかに新しい趣向をこらし、しかも一首全体を美しく花やかに表現すべきである。感動が強く発想がよくても、表現がぎこちなければ、作られた歌はすばらしいとは享受されない。また表現は美しくても、これといった趣向がなければ、良い歌とも思えない。立派な趣向をもり込んであっても、すぐれた情趣・発想・表現をともなわなければ、これも良い歌とは言えない。概して、歌の品格が高くしかも雄大に受けとめられるように詠むことを第一の目的とすべきである。現在のような末世では、以上の条件をすべて備えた歌を、普通の人は詠もうと思うべきではない。金玉集という歌集があるが、その歌集にある歌こそがこれらの条件をかね備えたものであろう。その歌集をよく鑑賞されて、和歌とはこう詠むべきだと御理解されたい。少しばかり例示してみよう。
(略) 

歌柄(うたがら)が高く、雄大な歌は、

  ひそかに想っているあなたのことを、よそながら見つつそのまま終わるのであろうか。あの葛城連山の高間の峰にかかる白雪を遠望だけしているように

  一人寝の想いに堪えかねて、深夜恋人の所へ向かって行くと、川辺の道の冬の夜風は痛く、そのうえ千鳥さえ物寂しく鳴いていることだ

出典:「俊頼髄脳」『歌論集 日本古典文学全集50』(橋本不美男校注・訳、1975年、小学館)

 次回は、、『古今和歌集』の恋歌(二)です。


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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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