私は万葉の歌が、漢字で書かれていること、
万葉仮名が用いられていることは知っていましたが、平安時代から明治時代後半までの長い時代に、日本語がどのように表記されてきたかということについての知識が、不十分だったことを今回知りました。
漢字からひらがなが生まれたという最低限の知識はもっていても、明治時代後半、百年少し前までは、日本語の五十音それぞれに、異なる字母から生まれた
複数の異字体、変体仮名があり、気ままに混在させて書き記されていたことを知りませんでした。
このことを知った目で、古典や詩歌をみつめなおすと、次のようなことに気づきます。
伊勢物語や源氏物語、古今和歌集から新古今和歌集、そして江戸時代の
俳句に至るまで、日本の物語や和歌、短歌、俳句、文化の精髄が、
表音文字で書き、読み継がれてきたということです。
(文章の用途によっては異なるものもありますので、これは文学、詩歌に限定しての考察です)。
毛筆で、
漢字のくずし字で、多様な異字体を気ままに織り交ぜて、書としての美、文字の流れの美しさを視覚で伝えると同時に、表意文字としての漢字はほとんど使わず、あくまで一文字、一文字のくずし字は、五十音の一音、一音を表しています。
藤原定家の直筆の和歌でも、漢字の持つ表意の側面は無視しています。あくまで五十音の一音を伝えるための道具として、くずし字を用いています。
これは、
表音文字である西欧言語、アルファベットと同じだということを意味します。
表音である以上、書き手にも、読み手にも、一音、一音の
言葉の音にたいする感覚、意識が強められます。まず、音を入り口、きっかけにして、書き手は言葉を選び、読み手は言葉を把握しようとするからです。
このように音として言葉を敏感に感じつつ用いる表現の精髄が、
言葉の歌、詩歌です。
逆に、歌物語、和歌、俳句という、言葉の歌であることを生命とする文芸だからこそ、万葉仮名の時代から平安時代以降、明治時代の後半に至るまでずっと変わらずに、表音文字としての、ひらがな、くずし字で表記されてき続けたとも言えます。
わかりやすく言うと、詩歌が初めて書き記された記紀歌謡、万葉の時代から明治時代の後半までずっと、日本人は、歌物語も和歌も俳句も、(ひらがな五十文字の字母以上にもっともっと多様な異字体を混在させて)ひらがなだけで(その音に耳を澄ませて)、書いてきた、ということです。
このことは、
言葉の音、調べの美しさを、詩歌にとって最も大切なものとする感性と伝統を育み受け継いできた事実を教えてくれると、私は感じます。
一方で五十文字以上の異字体を混在させられるという字体の多様性は、文字の形の選択に大きな自由度を与えているので、
くずし字の連なる流れの見た目の美しさ、書の美を深める可能性をもち続けたのだと思います。
次回は、連綿と受け継がれてきた表音の歌、この視点から現代の散文化した詩を見つめなおします。
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