「詩を想う」で願いと祈りと文学について『源氏物語』を通して考えました。
願いと祈りの詩歌は、古代詩歌発生の時から絶えることなく受け継がれています。
好きな悲しみのうたのうち、(鎌倉時代初期の変動期に若くして殺された)
源実朝の二首を、「愛しい詩歌」に咲かせます。今、私が感じる思いと変わらないと、心うたれます。
出典(通釈、語釈)は、
水垣久HP「やまとうた」の千人万首(よよのうたびと)です。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin.html 道のほとりにをさなき童の母を尋ねていたく泣くを、そのあたりの人に尋ねしかば、父母なむ身まかりにしと答へ侍りしを聞きて
いとほしや見るに涙もとどまらず親もなき子の母をたづぬる【通釈】いたわしいことよ。見ていると涙も止まらない。親もない子が母を求めて泣くさまは。
建暦元年七月、洪水天に漫り、土民愁ひ嘆きせむ事を思ひて、一人本尊に向ひ奉りて聊か祈念を致して云く
時によりすぐれば民のなげきなり八大龍王雨やめたまへ【通釈】時によって、雨乞いの祈願を承けて降らせる雨が度を過ぎすことがある。そうなれば却って民の歎きである。八代龍王よ、雨を止めたまえ。
【語釈】◇八大龍王(はちだいりうわう)法華経序品に見える八体の龍神。雨を司る神と考えられた。
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