前回から、
日本の詩歌、和歌をよりゆたかに感じとりたいと、代表的な
歌学書とその例歌や著者自身の歌に感じとれた私の詩想を綴っています。
『古今和歌集』仮名序に続く今回は、十世紀末から十一世紀前半に書かれた
藤原公任(きんとう)の歌学書『新撰髄脳(しんせんずいのう)』の言葉です。著者は平安時代を通じて広く読まれた
『和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)』の編纂者でもあります。
彼が和歌をどう捉えたか、その核は次の二つの文章にあります。
「凡そ歌は心ふかく姿きよげにて心をかしきところあるをすぐれたりといふべし。」
「心姿あひ具することかたくば先づ心をとるべし。」 最初の文。優れていると心に響いてくる詩歌は、「心ふかい」と感じられ、「姿きよげ」であり、「心をかしきところ」、読んでみての驚き、発見、共感を、呼び起こす力を秘めている歌だ。この文章を読むと、著者の公任が、漢詩と和歌、詩歌というものの良さがどこにあるのかを、深く感受した人であったとわかります。単純なことを、あたりまえの、ありのままの姿で、捉え、伝えるのは、簡単なことではありません。
続く二文目。こちらは彼の資質と経験を踏まえた上での主張です。詩歌のモチーフ、詩歌の種である心と、その心を表現するための言葉、言葉の続け方、これらふたつがぶつかりあい選択する必要があるなら、彼は「先づ心を」とりなさい、とします。私も彼の選択が好きです。
万葉集の、相聞歌、正述心緒の歌、東歌、防人の歌のような、言わずにはいられない強い想い、心が、あふれださずにいられない言葉ほど、人の心をふかく揺り動かす歌はないと思います。
「心ふかい」歌は、読者の「心ふかく」響き、揺り動かします。
続けて彼は、「遂に心深からずは姿をいたはるべし。」と、言葉のつづけがら、表現自体をいたわり、丁寧に選ぶとることの大切さも、認識してます。
彼のこの「先ず心を」という選択は、日本の詩歌のゆたかな川の主流となって流れ続けています。後の『新古今和歌集』撰者の
藤原定家だけは「先ず言葉をこそ」と、強くきらめく詩歌観、文学空間の、激しい断崖の奔流、滝のしぶきを、美しく魅力的にたたきつけていますが、本流の海までとどく深さ、豊かさは、人の詩歌があるかぎり絶えないと私は思います。
藤原公任が良い歌としてあげた例歌のうち、私は「昔のよき歌」がより好きですが、これは読者の心のありかたにより変わる、共振の度合いなので、私は、
よい歌と感じて決めることができるのは、一人ひとりの読者のこころだけだと、思っています。
●以下は、出典からの引用です。 歌のありさま三十一字、惣(そう)じて五句あり。上の三句をば本といひ、下の二句をば末といふ。一字二字余りたりとも、うちよむに例にたがはねばくせとせず。
凡そ歌は心ふかく姿きよげにて心をかしきところあるをすぐれたりといふべし。こと多くそへくさりてやと見たるがいとわろきなり。一すぢにすくよかになむ詠むべき。心姿あひ具することかたくば先づ心をとるべし。遂に心深からずは姿をいたはるべし。そのかたちといふは打ちぎき清げに、故ありて歌ときこえ、文字はめづらしくそへなどしたるなり。ともに得ずなりなば、古の人多く本に歌枕をおきて末に思ふ心をあらはす。さるをなむ中比よりはさしもあらねど、はじめに思ふことを言ひあらはしたるはなほわろきことになむする。
(略)
世の中を何にたとへむ朝ぼらけ漕ぎゆく船のあとの白波
天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも
わたの原八十島かけて漕ぎいでぬと人にはつげよ海士の釣舟
是は昔のよき歌なり。
思ひかね妹がり行けば冬の夜の川風寒み千鳥なくなり
我が宿の花見がてらに来る人はちりなむのちぞ恋しかるべき
数ふれば我身につもる年月を送り迎ふとなにいそぐらむ
是等なむよき歌のさまなるべき。
<頭注から抜粋>
心姿あひ具すること云々―公任は、「心」と「姿」とがかねそなわぬとき、表現以前の心の深さを和歌の根本として重視した。
そのかたちといふは―「姿」がそなわるためには。
ともに得ずなりなば―「心」も「姿」もともにえられない場合。
さま―「さま」は、古今集序で貫之が用いた歌の評語。「心」と「詞」とが統一された全体としてみるとき「さま」という。「姿」に近い意味。
出典:「新撰髄脳」『日本詩歌選 改訂版』(古典和歌研究会編、1966年、新典社) 次回は、続く時代に書かれた歌学書『俊頼髄脳』の言葉を感じとります。
- 関連記事
-