前回、
アンデルセンの小説翻訳について
森鴎外のことを記しました。
明治時代のもう一人の文豪、
夏目漱石について今回は記します。夏目漱石とアンデルセンの直接の影響関係があるかどうか私は知りません。ここに記すのは、夏目漱石とアンデルセンの作品に響きあって感じられる詩心のことです。
アンデルセンの
『絵のない絵本』を想うとき、私の心には、
夏目漱石の『夢十夜』が自然に心に浮かんでしまいます。十夜からなる短編小説で、各夜の冒頭は、「こんな夢を見た。」で始ります。
この小説には、夏目漱石の詩心が満ちていて、私はとても好きです。
なかでも、冒頭の「第一夜」はずっと心に響いている作品です。漱石の詩を強く感じる箇所を引用して心に刻みます。
◎「第一夜」からの原文引用(略)
しばらくして、女がまたこう云った。
「死んだら、埋(う)めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片(かけ)を墓標(はかじるし)に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。また逢(あ)いに来ますから」
自分は、いつ逢いに来るかねと聞いた。
「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。―― 赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、待っていられますか」
自分は黙って首肯(うなず)いた。女は静かな調子を一段張り上げて、
「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。
「百年、私の墓の傍(そば)に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」
(略)
勘定しても、勘定しても、しつくせないほど赤い日が頭の上を通り越して行った。それでも百年がまだ来ない 。しまいには、苔(こけ)の生(は)えた丸い石を眺めて、自分は女に欺(だま)されたのではなかろうかと思い出した。
すると石の下から斜(はす)に自分の方へ向いて青い茎(くき)が伸びて来た。見る間に長くなってちょうど 自分の胸のあたりまで来て留まった。と思うと、すらりと揺(ゆら)ぐ茎(くき)の頂(いただき)に、心持首を傾( かたぶ)けていた細長い一輪の蕾(つぼみ)が、ふっくらと弁(はなびら)を開いた。真白な百合(ゆり)が鼻の先で骨に徹(こた)えるほど匂った。そこへ遥(はるか)の上から、ぽたりと露(つゆ)が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露の滴(したた)る、白い花弁(はなびら)に接吻( せっぷん)した。自分が百合から顔を離す拍子(ひょうし)に思わず、遠い空を見たら、暁(あかつき)の星がたった一つ瞬(またた)いていた。「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。
青空文庫(入力:野口英司)。
底本:『夏目漱石全集10巻』ちくま文庫、筑摩書房、1988年。 好きな作品はずっと私の心にせせらぎとなって響いているので、私自身の作品に影響し共鳴を呼びおこしてくれることがあります。 私の次の二作品は、漱石の『夢十夜』の「第一夜」の詩心のせせらぎを聞きながら、詩心の泉から別々に違う姿で流れだし生まれてきた詩です。
詩「すず虫とちいさな花」 詩「あどけない星魂のはなし」 私が『夢十夜』の「第一夜」をとても好きなように、私の二作品を好きになってくださる方がきっといる、そう信じる私は夢想家でしょうか?
私はアンデルセンのように読者の心に響いてゆく言葉を紡ぐ、夢想家、詩人でありたいと願います。
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