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アンデルセンの『即興詩人』

 『絵のない絵本』は月が語りかけてくれるやわらかな水彩画でしたが、アンデルセンは若い情熱があふれてロマンが強く香り、極彩色の濃淡が波打つ油絵のような小説『即興詩人』を描き切る力量をもつ作家でした。
 この小説を読むと、アンデルセンは本当に詩人だと強く感じます。
 明治の文豪・森鴎外の良さを私はわからずにいましたが、『即興詩人』の訳文を読むと、鴎外は熱く強い魂と意思をもつ文人だったのだと素直に感じました。
 
 この小説は激しい展開のうちに心をうつ感情が波打っていますが、そこから少しだけでも、アンデルセンの、訳者鴎外の、詩心を強く感じた箇所を引用し、記憶に刻みたいと思います。 

 初めは、『絵のない絵本』のように、美しい月の光に浮び上がる情景のなか生まれた会話に詩心が響きわたっていると私が感じる次の箇所です。
 アンデルセンの、精神、詩、空想、美についての想いが込められていて、彼の声が聞こえる気がします、
「實世界は空想の如く美ならず。されど又空想より美なるものなきにあらず。」と。

◎「流離(さすらひ)」の章から原文引用

 月光始めて渠水(きよすゐ)に落つるころほひ、我は二女と市長の家の廣間なる、水に枕(のぞ)める出窓ある處に坐し居たり。マリアは すでに一たび燈火(ともしび)を呼びしかど、ロオザがこの月の明(あか)きにといふまゝに、主客三人は猶月光の中に相對せり。マリアは ロオザに促されて、穴居洞の歌を歌ひぬ。聲と情との調和好き此一曲は、清く軟かなる少女(をとめ)の喉(のど)に上りて、聞くものをして 積水千丈の底なる美の窟宅を想見せしむ。ロオザ。この曲には音節より外、別に一種の玲瓏たる精神ありとはおぼさずや。われ。洵(ま こと)に宣給(のたま)ふごとし。若し精神といふもの形體を離れて現ぜば、應(まさ)に此詩の如くなるべし。マリア。生れながらに目しひな る子の世界の美を想ふも亦是の如し。ロオザ。さらば目開(あ)きての後に、實世界に對せば、初の空想の非なることを知るならん。マリア。實世界は空想の如く美ならず。されど又空想より美なるものなきにあらず。話頭は直ちにマリアが初め盲目なりし事に入りぬ。こはポ ツジヨが早く我に語りしところなれども、今はわれ二女の口より此物語を聞きつ。ロオザは弟の手術を讚め、マリアも亦その恩惠を稱(たゝ )へたり。マリアの云ふやう。目しひなりし時の心の取像(しゆざう)ばかり奇(く)しきは莫(な)し。先づ身におぼゆるは日の暖さ、手に觸る ゝは神社の圓柱(まろばしら)の大いなる、霸王樹(サボテン)の葉の闊(ひろ)き、耳に聞くはさま/″\の人の馨音(こわね)などなり。 一の官能の闕(か)くるものは、その有るところの官能もて無きところのものを補ふ。人の天青し、海青し、菫(すみれ)の花青しといふを 聽きて、われは董の花の香を聞き、そのめでたさを推し擴めて、天のめでたかるべきをも海のめでたかるべきをも思ひ遣りぬ。視根の光 明闇きときは、意根の光明却りて明なるものにやといふ。これを聞く我は、ララが髮に挿みし菫の花束と、ペスツム祠の圓柱とを憶ひ起す ことを禁ずること能はざりき。

 もうひとつの次の箇所には、妙(たへ)なる音樂が響きわたっています。
死と生の境界を行き来する魂になり、アンデルセンが叫んでいます。
「否、我夢は夢にして夢に非ず。若しこれをしも夢といはゞ、人世はやがて夢なるべし。」
そして高められた魂から詩がほとばしりでて、
「今この短き生涯にありて、幸にまた相見ながら、爭(いか)でか名告(なの)りあはで止むべき。我はおん身を愛す。」
その魂を受けとめ諾う無言の接吻。
美しさに心がふるえる詩、です。

◎「心疾身病」の章から原文引用

 寺僮の柩(ひつぎ)はかしこにと指して、立ち留まるがまゝに、我はひとり長廊を進めり。聖母(マドンナ)の御影の前に、一燈微かに燃え、 カノワが棺のめぐりなる石人は朧氣なる輪廓を畫けり。贄卓に近づけば、卓前に三つの燈の點ぜられたるを見る。董花(すみれ)のかほ り高き邊(ほとり)、覆(おほ)はざる柩の裏に、堆(うづたか)き花瓣(はなびら)の紫に埋もれたる屍(かばね)こそあれ。長(たけ)なる黒 髮を額(ぬか)に綰(わが)ねて、これにも一束の菫花をめり。是れ瞑目せるマリアなりき。我が夢寐(むび)の間(あひだ)に忘るゝことな かりしララなりき。われは一聲、ララ、など我を棄てゝ去れると叫び、千行(ちすぢ)の涙を屍(かばね)の上に灑(そゝ)ぎ、又聲ふりしぼりて 、逝(ゆ)け、わが心の妻よ、われは誓ひて復た此世の女子(によし)を娶(めと)らじと呼び、我指に嵌(は)めたりし環を抽(ぬ)きて、そを 屍の指に遷(うつ)し、頭を俯して屍の額に接吻しつ。爾時(そのとき)我血は氷の如く冷えて、五體戰(ふる)ひをのゝき、夢とも現(うつゝ )とも分かぬ間(ま)に、屍の指はしかと我手を握り屍の唇は徐(しづ)かに開きつ。われは毛髮倒(さかしま)に竪(た)ちて、卓と柩との皆 獨樂(こま)の如く旋轉するを覺え、身邊忽ち常闇(とこやみ)となりて、頭の内には只だ奇(く)しく妙(たへ)なる音樂の響きを聞きつ。 忽ち温なる掌の我額を摩するを覺えて、再び目を開きしに、燈(ともしび)は明かに小き卓の上を照し、われは我枕邊の椅子に坐し、手 を我頭に加へたるものゝロオザなるを認め得たり。又一人の我臥床(ふしど)の下に蹲(うづく)まりて、もろ手もて顏を掩へるあり。ロオザ の我に一匙の藥水を薦(すゝ)めつゝ熱は去れりと云ふ時、蹲れる人は徐(しづ)かに起ちて室を出でんとす。われ。ララよ、暫し待ち給へ。 われは夢におん身の死せしを見き。ロオザ。そは熱のなしゝ夢なるべし。われ。否、我夢は夢にして夢に非ず。若しこれをしも夢といはゞ、 人世はやがて夢なるべし。マリアよ。われはおん身のララなるを知る。昔はおん身とペスツムに相見(あひみ)、カプリに相見き。今この短 き生涯にありて、幸にまた相見ながら、爭(いか)でか名告(なの)りあはで止むべき。我はおん身を愛す。語り畢りて手をさし伸ばせば、 マリアは跪(ひざまづ)きて我手を握り、我手背に接吻したり。

出典:青空文庫(入力:三州生桑、校正:松永正敏)。
底本:『定本限定版 現代日本文學全集 13 森鴎外集(二)』筑摩書房、1967年。


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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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