ホームページの「虹・新しい詩」に、新しい詩作品 「こころうた(いち)」、「こころうた(に)」、「こころうた(さん)」を公開しました。...
私は、高村光太郎と彼の詩、そして智恵子、『智恵子抄』がとても好きです。すでに数回私なりの思いを記しましたし著名でもあるので、今回は私が好きだというそのことをただ繰り返し私自身を励ますために、ここに咲いてください、とお願いしつつ書き記します。 『智恵子の半生』の光太郎の次の言葉には、創作の本質についての真実があると私は感じ、深く共感せずにいられません。『智恵子の半生』「彼女の生前、私は自分の製作し...
日本の口語自由詩には伝統の積み重ねにより確立された形式面での詩学がありません。「日本語の口語を基本言語として書かれた言葉による作品」以上には共通の約束ごとはなく、詩を書く者それぞれが自ら「詩」と感じる方法、形式で作品を作っています。 それでも詩を読み詩を書こうとする者の間で暗黙に共有されている了解事項があり、学校の先生に教わらなくても、詩が好きな人は詩を読むことで自然に受け継ぎ身につけているのだ...
「詩を想う」に記した高村光太郎の詩「裸形」に咲いてもらいます。『智恵子抄』の詩は10代の私が初めて本当に好きになった詩で、ずっと好きな詩がたくさんあるけれど、今の私はこの詩にもっとも心を打たれます。出典は『智恵子抄』(新潮文庫、2003年改版)です。 裸 形智恵子の裸形をわたくしは恋ふ。つつましくて満ちてゐて星宿のやうに森厳で山脈のやうに波うつていつでもうすいミストがかかり、その造型の瑪瑙(めなう...
詩は青春の文学であるのは間違いないと私は思います。詩の魂を20代、遅くとも30代半ばまでには燃やし尽くしてしまいたいとの夭折願望を私自身抱いて生きました。 今、40代の後半となり、それでも詩を心に抱き詩の魂を言葉に込めたいと願う私にとっても、励ましとなる詩人たちがいます。 高村光太郎は智恵子が亡くなってしまったときに、どん底の悲嘆の渦に智恵子を見失い戦争加担の詩さえ作ってしまったけれど、そのことを反省...
私が十代の終わりから二十代に影響を受けた北村透谷の詩と評論を見つめ直し評論を読み返す中で、私の心に特に響き今も共感を覚える透谷の言葉を、主要な主題「1.詩、詩人」、「2.恋愛」、「3.平和、戦争」にわけて抜粋します。評論でありながら透谷の言葉には詩精神がみなぎっています。 出典は『北村透谷選集』(岩波文庫、1970年)です(作成に当たっては青空文庫も利用させて頂きました)。 1.詩、詩人 詩人は、本質的...
島崎藤村を、 萩原朔太郎は明治以降の詩人で興味を抱ける数少ない一人としてあげました。北村透谷とともに新しい詩の世界を切り拓いた島崎藤村の詩を、自選『藤村詩抄』から摘んでここに咲かせます。 私は詩と小説のどちらに自分を注ぎ込むか思い悩んでいたとき、詩人から小説家へと転じた藤村、その転機に彼が書いた『千曲川のスケッチ』を読み、考えていました。 藤村の詩世界を今改めて読み返すと、狭い詩風しかないとの私...
萩原朔太郎の詩論にある刺のような、「日本詩と日本詩人(草野心平君への書簡)」について考えます。この文章は、明治初頭の象徴派詩人の蒲原有明についての評論執筆依頼に対して、辞退しその理由を述べたものです。 晩年に近い時期の完全に醒めきった、人間関係への気兼ねもいっさいしない文章です。嘘を言う気はもうなくなった、自分が生きてきた過去さえ、徹底して批判した、目が据わった凄みを感じ、だからこそ現在にも通じ...
北村透谷の文学論を「詩を想う」で考えました。その熱く強い語り口は、長編の劇詩「蓬莱曲」にも息づいています。 透谷はその一方で、小さな生きものたち、みみず、蛍、蝶たちをみつめ、平家蟹から馬まで様々な生きものを通して、いのちを想いうたう、短い詩も書きました。それらの詩から流れ出る調べは、透谷の感情、空(くう)、はかなさ、さびしさ、悲しみが染み込んだ清澄な響きです。 わたしの詩の好みから好きな3篇をこ...
北村透谷の「人生に相渉るとは何の謂ぞ」を通して、詩を見つめます。 北村透谷は25歳でなくなるまで、明治二十年代の数年間に新しい時代の文学を切り開こうと苦闘し、文学の根底まで掘り下げた評論、詩、小説を書きました。 透谷は自由民権運動へ関与し離脱する経験を通して、政治によってではなく文学によってこそ自らの大志を実現させる道があると見定めました。またキリスト教信仰のまなざしで、本当の恋愛とはなにか、女性...