花の名を詠んだ俳句を見つめています。出典は、『俳句の花図鑑』(監修:復本一郎、2004年、成美堂出版)です。入門書ですので、花の名にも俳句にも詳しくなくても、美しい写真を眺めながら楽しく読むことができます。俳人は季語として花の名をいつも意識するからでしょうか、季節の移ろいに咲く花の姿をとてもよく知っていて素晴らしいなと、私は素直に感じます。」 初春から夏の終りまで順に、どちらかというと知らない人もい...
詩人の田川紀久雄さんが新しく『いのちのひかり』(2013年8月15日、漉林書房、2000円)を出版されます。 この本のカバー、表紙絵は画家であるご自身の作品、ゴッホの自画像ように、苦しげな、生に交錯する死を見据えた。文字によるメッセージが絵の色彩と形となり滲みだし広がっているように感じます。 この本について著者は、生き方そのものに重ねて、あとがきに書き尽くしています。以下に抜粋します。「あとがき」 詩を書...
花の名を詠んだ俳句を見つめています。出典は、『俳句の花図鑑』(監修:復本一郎、2004年、成美堂出版)です。入門書ですので、花の名にも俳句にも詳しくなくても、美しい写真を眺めながら楽しく読むことができます。俳人は季語として花の名をいつも意識するからでしょうか、季節の移ろいに咲く花の姿をとてもよく知っていて素晴らしいなと、私は素直に感じます。 初春から夏の終りまで順に、どちらかというと知らない人もいる...
花の名を詠んだ俳句を見つめています。出典は、『俳句の花図鑑』(監修:復本一郎、2004年、成美堂出版)です。入門書ですので、花の名にも俳句にも詳しくなくても、美しい写真を眺めながら楽しく読むことができます。俳人は季語として花の名をいつも意識するからでしょうか、季節の移ろいに咲く花の姿をとてもよく知っていて素晴らしいなと、私は素直に感じます。 初春から夏の終りまで順に、どちらかというと知らない人もいる...
今回からの数回は、花の名を詠んだ俳句を見つめます。出典は、『俳句の花図鑑』(監修:復本一郎、2004年、成美堂出版)です。入門書ですので、花の名にも俳句にも詳しくなくても、美しい写真を眺めながら楽しく読むことができます。俳人は季語として花の名をいつも意識するからでしょうか、季節の移ろいに咲く花の姿をとてもよく知っていて素晴らしいなと、私は素直に感じます。 初春から夏の終りまで順に、どちらかというと知...
『日本の古典をよむ⑳ おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶名句集』(2008年、小学館)から、小林一茶(こばやし・いっさ、1763~1827年)の俳句を前回に続き、見つめます。 注解者は、丸山一彦(まるやま・かずひこ、宇都宮大学名誉教授)です。一茶の人間性への共感のうえで、音調についても記されていてよいと感じます。 以下、俳句の調べについての注解がある句を中心に選び、私が好きな句を加えました。注解者の言葉の引...
『日本の古典をよむ⑳ おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶名句集』(2008年、小学館)から、小林一茶(こばやし・いっさ、1763~1827年)の俳句を前回に続き、見つめます。 注解者は、丸山一彦(まるやま・かずひこ、宇都宮大学名誉教授)です。一茶の人間性への共感のうえで、音調についても記されていてよいと感じます。 以下、俳句の調べについての注解がある句を中心に選び、私が好きな句を加えました。注解者の言葉の引用は...
『日本の古典をよむ⑳ おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶名句集』(2008年、小学館)から、今回は小林一茶(こばやし・いっさ、1763~1827年)の俳句を今回から三回、見つめます。 注解者は、丸山一彦(まるやま・かずひこ、宇都宮大学名誉教授)です。一茶の人間性への共感のうえで、音調についても記されていてよいと感じます。 以下、俳句の調べについての注解がある句を中心に選び、私が好きな句を加えました。注解者の言葉...
『日本の古典をよむ⑳ おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶名句集』(2008年、小学館)から、今回は与謝蕪村(よさ・ぶそん、1716~1683年)の俳句を前回に続き、見つめます。 注解者は、山下一海(やました・かずみ、鶴見大学名誉教授)で、蕪村の俳句を多様な角度から照らし出し感じとり、特に俳句の調べ、音楽性にも言及していて、私は深く共感しました。 以下、俳句の調べについての注解がある句を中心に選び、私が好きな句を...
『日本の古典をよむ⑳ おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶名句集』(2008年、小学館)から、今回は与謝蕪村(よさ・ぶそん、1716~1683年)の俳句を前回に続き、見つめます。 注解者は、山下一海(やました・かずみ、鶴見大学名誉教授)で、蕪村の俳句を多様な角度から照らし出し感じとり、特に俳句の調べ、音楽性にも言及していて、私は深く共感しました 以下、俳句の調べについての注解がある句を中心に選び、私が好きな句を加...
『日本の古典をよむ⑳ おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶名句集』(2008年、小学館)から、今回は与謝蕪村(よさ・ぶそん、1716~1683年)の俳句を今回から三回、見つめます。 注解者は、山下一海(やました・かずみ、鶴見大学名誉教授)で、蕪村の俳句を多様な角度から照らし出し感じとっていて、とても優れていると感じました。 特に俳句の調べ、音楽性にも言及していて、私は深く共感しました。十七字と限られた詩型でも言...
俳句に対して私には、まず枯れた世界、抒情の乏しい老成した知性の世界、写実的絵画的でありえても言葉の音楽、調べの乏しい世界というイメージ、勝手な固定観念があったため、学校で名句を習ってからは、読み感じとることをしてきませんでした。『奥の細道』はそのときから好きでしたが、その魅力は、俳文と一体となってのもので、十七字の発句だけでは文学として発する力は弱いのではないかと考えていました。芭蕉、蕪村、一茶...
私の詩のホームページ「愛のうたの絵ほん」に、新しい詩「十四歳。いのち、巣立ち。」を、公開しました。 (クリックでお読み頂けます)。詩「十四歳。いのち、巣立ち。」 ・公園で ( 福島の同窓生に ) ・さなぎのうた。はぐれアリの誇り。十四歳、家出。 ・山鳩、巣立ちのうた ( ふるさと、福島の空へ ) 長い作品ですが、五つの詩篇を独立してもお読み頂けます。お好きな、お気持ちにあいそうな章を、お読みくだ...
詩歌が初めて書き記された記紀歌謡、万葉の時代から明治時代の後半までずっと、日本人は、歌物語も和歌も俳句も、(五十文字以上の異字体を混在させて)ひらがなだけで、書いてきた。言葉の音、調べの美しさを、詩歌にとって最も大切なものとする感性と伝統を育み受け継いできた、と前回記しました。では、現在はどうか? 今回はこのことを考えます。 私が好きな詩人の八木重吉は、漢字をあまり使わず、ほとんどひらがなばかり...
私は万葉の歌が、漢字で書かれていること、万葉仮名が用いられていることは知っていましたが、平安時代から明治時代後半までの長い時代に、日本語がどのように表記されてきたかということについての知識が、不十分だったことを今回知りました。 漢字からひらがなが生まれたという最低限の知識はもっていても、明治時代後半、百年少し前までは、日本語の五十音それぞれに、異なる字母から生まれた複数の異字体、変体仮名があり、...
新古今和歌集や、源氏物語、伊勢物語など多くの愛する古典や、松尾芭蕉、与謝蕪村、小林一茶、夏目漱石の毛筆の直筆に、私は心から親しい気持ちを抱いてきましたが、最近まで読むことができませんでした。でも、前回紹介した次の二冊の本を学ぶだけで読めるようになりました。 『入門 日本語のくずし字が読める本』(角田恵理子:つのだ・えりこ、2010年、講談社)。 『実践 日本語のくずし字が読める本』(角田恵理子:つの...