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アイヌ神謡の優しさの豊かさ

 知里幸惠(ちり ゆきえ)の『アイヌ神謡集』をより深く心に響かせるために、まずアイヌ神謡(カムイユーカラ)の特徴と素晴らしさを考えます。
 幸惠の実弟の知里真志保(ちり ましほ)の名前は彼女の「日記」や「手紙」にあって親しみを覚えますが、彼は優れたアイヌ文化研究者となりました。彼の「神謡について」はその根本を教えてくれます。

 今回は、私がアイヌの人たちの神謡の何をどうして好きなのか、大切に感じるのかを書きます。
 私がアイヌ神謡をとても好きな一番の理由は、真志保が言う「アイヌにおいては,獣鳥虫魚介草木日月星辰みな神である(―というよりも,神々が我々人間の目にふれる時に限り,かりにあのような姿をとって現われる,という考え方である).ことです。彼が書いている通り、身の回りのあらゆるものが神謡の主人公、この世に神が現れる顔・姿として、そのもの独自の声で、神謡を謡っています。
 このアイヌの世界観は次のような豊かさから、世界中のあらゆる宗教の中でいちばん私の心に近い、自然に受け容れたいと感じさせてくれるものです。

 アイヌの神謡の神は、自らを絶対的な至高の存在とは宣言しません。自らに従う者のみが正義で味方、他は悪で敵といったように生き物や人間の間を厳しく隔て峻別することはしません。神である自分のほうが誤ることもあると認め謝ったりします。悪いことをしたために惨めに死んでしまったりもします。(死んでしまったからだの耳と耳の間にいる自分に気がつく、という表現が私はとても好きです)。

 そのようなアイヌの神謡は、人間だけが生きているのではない、動植物やそれ以外の身の回りにあるあらゆるものは、人間だけのためにあるのではない、それらが人間を生かしてくれるアイヌの神の現われなんだと、教えてくれます。狩猟民族だからこそ毎日他の生き物を自分の手で殺し食べることで自分があり続けることができている、その厳しさからこそ生まれてきた心の教えだと私は感じます。

 そのように世界を抱擁する心のおおきさは人間どうしの間柄にも染み渡っています。神謡は、人間を独善的に敵対しあうものとしてではなく、生き物のひとつとしての命を授けられた、等しいもの、として労りあう優しい眼差しで包み込んでいます。
 ほとんどすべての宗教、宗派が、正義は我にあり、とします、そう信じることが信仰です。ただその正義と正義のせめぎあいが、この星のうえの殺戮の歴史を滅し去るより逆に増やしてしまってきたことを私はとても悲しく思います。

 知里幸惠は両親とともにキリスト教を信仰しました。アイヌの世界観の豊かな懐の深さでキリスト教の良いところを受け容れたのだと彼女の言葉に私は感じます。例えば日記に私が忘れない聖書の言葉「偽善者よ、先づ己の目より梁木をとれ、さらば兄弟の目より物屑を取得るやう明かに見べし。(太七・五)」(遺稿「日記」六月九日)を記していることに、共感せずにいられません。
 排他的に他の宗教を退けるのではなく、お互いに必ずどこかで通じ合っているはずの人間としての信仰心、他の宗教の一番良いところを認めあうことはできるのではないか、とアイヌ神謡は謡いかけてくれます。

 このような優しさに満ちた世界観を抱いていたから、アイヌは滅びゆく民族となったのだと、考える人がいるかもしれません。
 でもそのように、自らをのみ世界の中心と考え、他の生き物、民族、人々は利用するための物としか感じ取れず自らだけが栄えればよいと考える愚かな人こそ、この星から必ず少なくなっていくと私は考えます。
 アイヌの豊かな世界、神謡に謡われる優しい心は、民族や国家という境界線に閉じ込められることなく、あふれだし必ずひろがっていく、知里幸惠の心が私の心を揺りうごかし響き続けていてくれるように、と私は思います。その心に共鳴できるよう願いつつ詩を創っています。

◎原文の引用
「神謡について」知里真志保


3.神謡の条件
(略)(b) 説話の主人公,すなわち「我は……我は……」と語るものは,神であるが,ただしここで神というのは,もちろんアイヌの観念における神であって,我々の考えるような意味の神ではない.
 アイヌにおいては,獣鳥虫魚介草木日月星辰みな神である(―というよりも,神々が我々人間の目にふれる時に限り,かりにあのような姿をとって現われる,という考え方である.
 そこで神謡の世界においては,熊・狼・狐・獺(かわうそ)・エゾイタチ・犬・鼠(ねずみ)・兎・鯱(しゃち)・めかじき・鯨(くじら)・ふくろう・鴉(からす)・雀(すずめ)・鶴・啄木鳥(きつつき)・しぎ・阿房鳥(あほうどり)・かっこう・つばめ・鷲(わし)・フーリやケソラプと称する想像上の鳥・蝉(せみ)・蛙(かえる)・蛇(へび)・蜘蛛(くも)・蝶(ちょう)・こおろぎ・鮭(さけ)・沼貝・河童(かっぱ)・トリカブト・ウバユリ・アララギ・火の神・風の神・雷神・その他の神々・種々の魔神・錨(いかり)・舟等が主人公となって現われる.それから,もう一つの方のオイナ(北海道の中東北部から樺太にかけての神謡の呼称)には,半神半人の人祖アイヌラックルその他の神々が主人公となって現われるのである.(略)

出典:「神謡について」知里真志保(『アイヌ神謡集』(岩波文庫、1978年)所収)
底本の親本:「神謡について」(一)(『知里真志保著作集』第1巻(平凡社1973年)所収)


 次回は、口承の文化・文芸としてのアイヌ神謡の素晴らしさを考えます。

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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年同
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年同
「愛(かな)」1993年同
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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