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「アイヌ神謡集」と「知里幸恵ノート」(3) 「美(イ)い」と「美しい」のこと

知里幸恵「アイヌ神謡集」一編目の「銀の滴降る降るまわりに」の冒頭に子どもたちの印象的な呼びかけ声「ピリカ チカッポ! カムイチカッポ !」があり、岩波文庫本では「美しい鳥! 神様の鳥!」です。私はこの本で読んできたので「美しい鳥」と幸恵が記したのだと、ずっと思っていました。

優れたアイヌ文法書の著者幸恵の弟の知里真志保も同じユーカラを訳していてこの箇所の一句目は「美しい小鳥!」と日本語にしています。
私は、真志保の訳が学的、語法のうえでは「真」だと思います。

ですが、知里幸恵が金田一京助に送った自筆の「知里幸恵ノート」(本の礎稿、北海道立図書館北方デジタルライブラリー画像7)をよく見ると、ここを「美ィ い鳥」と手書きしています。

参照資料「知里幸恵ノート」北海道立図書館所蔵北方資料デジタルライブラリー
「知里幸恵ノート」北海道立図書館所蔵北方資料デジタルライブラリー

北海道立図書館所蔵北方資料デジタルライブラリーの画像7
「銀の滴降る降るまわりに」の冒頭。下から6行目
"Pirka chikappo! kamui chikappo!「美ィい鳥! 神様の鳥!

「ィ」は漢字文字「美」のフリガナとして書いています。
「いい鳥」と読んでいるのです。
「知里幸恵ノート」では子どもたちの言葉のところだけ、計3回「美い」と書いています。(出版本初版では冒頭だけ「美い」で後の2回は書き換え「あの」としています)。
ですが、この後にでてくる(子どもたちの言葉以外の)複数回の「ピリカ」はすべて「美しい」と対訳しています。

「知里幸恵ノート」のこの神謡の最後の箇所(北海道立図書館所蔵北方資料デジタルライブラリーの画像16)には「此の歌は非常に、聞いていると優しい美い感じが致します。この節が私は大好きなのでございます」と注を記しています。
(北道邦彦編「ノート版アイヌ神謡集」解題)。

私は知里幸恵が「美い」(イい)という言葉を、「アイヌ神謡集」一編目の「銀の滴降る降るまわりに」の冒頭この箇所で選び使い書き、原稿の、出版本にする最終の校正でもそう意識し、「美(イ)い鳥!」と、読んだのだと思います。

幸恵が病で亡くなった翌年に初めて世にでた「アイヌ神謡集」郷土研究社の初版本では「美い鳥! 神様の鳥!」と印刷されています。
幸恵のこの「美い鳥!」の読みは、以上のことから、「いい鳥!」です。

初版本で冒頭のこの作品での「pirka」は、「知里幸恵ノート」と同じで、この箇所以外の後出箇所ではすべて「美しい」と印刷されています。

この初出版本は全体にフリガナはつけられていないため、「美い」は、その後の出版での改訂、現在までの岩波文庫では「美しい」に誤られたのだと、私は思います。

知里幸恵「アイヌ神謡集」郷土研究社初版本復刻「美い」



幸恵の「美い」、(いい)は、善い。真善美の、「善」への想いが美と分かちがたく溶け合っていると感じます。願いと悲しみと祈りです。
真志保は優れた言語学者であり「真」をより求め正確に「美しい小鳥」と訳したのだと思います。
幸恵が「小鳥」としなかったのは子どもにとってフクロウは、どこまでも、とても大きな、善い、信じることのできる、きっといつか助けてくれる、悪い行いはただしてくれる、鳥、神様の鳥だったからではないでしょうか。
私も、日本語で、「美しい」と記すとき、「善い」という響きを溶け合わせたいと願わずにはいられないので、幸恵の想いに重なる気がします。

「大自然に抱擁されて… 知里幸恵『アイヌ神謡集』の世界へ」財団法人北海道文学館編に所収の、抄録「知里幸恵ノート」では、この箇所は「美い鳥 神様の鳥」とされていて、文字「美」の上にフリガナの小さな文字「イ」がつけられています。

学術研究の論文ではないため文献を読み尽くしてはいないので、既にこの箇所について書かれた方があるかもしれません。ですからこれは、知里幸恵を敬愛し「アイヌ神謡集」を「美い」と感じ大切に想う一読者としての、私の覚え書きです。

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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年同
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年同
「愛(かな)」1993年同
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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