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アイヌ文学『レラコラチ 森竹竹市遺稿集』

 アイヌとしての誇りと魂を歌いあげた三名の方の作品を、『現代アイヌ文学作品選』から摘み、ここ「愛(かな)しい詩歌に咲かせています。私が良いと感じるままに選びました。

 最終回は、森竹竹市(もりたけたけいち、1902年~1976年)の作品です。
 彼の『原始林』の序は、アイヌの宗教と芸術を端的に教えてくれます。彼は、イオマンテの詩など、その豊かな世界観と生き様を、心打つ詩作品で伝えてくれます。
 詩「アイヌ亡びず」は、民族というものを深く考えなおさせる詩だと思います。私も次のように考えています。純潔な民族というのは本当にはないもの、私もこの島国で生まれたけれども、私の血には時をさかのぼると海を越えた遠い地で生きていた人々の血もきっと流れ込んでいる、と。どの民族の血もまじりあっていないものはないのではないか、森竹が考えるように私も排他的にいがみ合い殺しあうより、力によらず「自由にまじはり結ばれてゆく」ほうがよい、と考えています。
 ただしそのことは過去の事実とは切り離し受け止めることが必要です。アイヌの人たちに和人が加えた迫害を忘却し過去をごまかすことをしてはいけない、と思います。

『原始林』から
 
「文字の無かったアイヌ民族にも、昔から宗教があり芸術がありました。火や水や木や熊等を至高の神とする外、宇宙の森羅万象を神として仰ぎ祈り敬う。(略)」

訪郷の気を滅入らせる指導板「アイヌ部落」に顔をそむける

視察者に珍奇の瞳みはらせて「土人学校」に子等は本読む

この儘に放つてよいのか次々と胸の病にウタリ斃れて

河に鮭山に熊なく耕すに土地なきウタリは何処にゆくのか

白髭を左右に振りつ囲炉裡端叩いてエカシの語るユーカラ

夕河原佇む我にウタリ等の古代の秘史を語れせせらぎ

『レラコラチ』から
詩「アイヌ亡びず」 昭和41年4月7日

彼はアイヌとして生れたり
幼少の頃 和人(シャモ)の嘲笑に泣き
長じて社会の侮蔑に憤る

彼は伝統のくらしの業をすて
シャモの真っ只中へとびこむ
鉄道員! 時、大正八年―
彼は勤務(つとめ)を励み学びにいそしむ

燃ゆるがごとき彼の情熱は
詩歌となり熱弁となって
社会へ、ウタリへ訴えつづける
   
   われらこそ先住の民胸はって
   誇りとともに強く生きよう

ああ この悲痛な彼の叫びも
今は遠いかなたに消え去る
侮りも蔑みもない現実(いま)の世に
彼我の子等は喜々として戯れ遊び

若き者は自由にまじはり結ばれてゆく
彼等は祖先よりうけついだ民族のトク性
シレトク   眉目秀麗
テケトク   刺繍彫刻に見る芸術性
パウェトク  巧みなる弁舌
ラメトク   勇気

これを誇りとして力強く
社会に踏み出してゆく

そこで
彼はうたう!
これでいい! これでいいんだ!!
アイヌの風貌が
現代から没しても
その血は!
永遠に流るるのだ
日本人の体内に。

出典:『現代アイヌ文学作品選』(川村湊編、2010年、講談社文芸文庫)
(出典の底本:森竹竹市『レラコラチ 森竹竹市遺稿集』(1977年、えぞや)


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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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