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La mer 海、フランスの好きな詩

 フランス語のR音の哀しい響きについて記した前回を受けて、私が好きなフランスの詩を咲かせます。
 R音の、「ru」より「fu」に近い、吹き出される息だけのかすれた響き、の美しさをもっとも素朴に響かせてくれるのは、私にとってはLa mer「海」です。脚韻での響きあいは、海の波のゆらめき、限りないその果ては永遠です。
 この3篇の詩に通いあうものは、今ここにないものを求めずにはいられない思いです。詩のいのちが生れてくる子宮にゆれる羊水、海、愛と祈りです。裏返されたかたちの表現、愛の枯渇の絶望、信仰に飛び込めぬ絶望のかたちの表現であっても。
 萩原朔太郎は、ノスタルジア、郷愁とよびましたが、国境と時を越えて、詩歌の根底で響きあう魂です。新古今和歌集の詩心は、この3篇にとても近く共鳴しています。
 象徴詩は厭世からの美・彼岸への飛翔(失墜も激しく)、歌謡は嘆きながらも現世に泥臭くどっぷり。どちらも私の心から生まれようとします。
 (もう1篇のコクトーの詩は20世紀の作品ですが、海の響きの共鳴で付けたしました。この詩は私が繰り返し読んだ漫画『巨人の星』に引用されていて私は好きになりました。原作者の梶原一騎は最終回近くにプルーストの『失われた時を求めて』の「見出された時」の言葉も引用していて詩心を感じます)。

 詩を、特に音楽的な詩を、訳すのは不可能に近いことだけれど、開き直れば、訳者の心を込めた創作ができます。ひとりの人間の心による創作だから、原作とは独立して、良い訳、悪い訳が生れます。
 今回の3篇は、詩句の音楽、音韻の美しさを感じることはできない翻訳の限界を越えて、響いてくる言葉だと私は感じます。
 その理由には二つあって、
 一つは原詩そのものの思いの強烈さ、詩に注ぎ込まれたものの熱さ、詩人の魂の響きの強さです。それが詩の魂でそれだけが言葉の国境を破ります。
 もう一つは訳者の心の熱さによる翻訳の限界をわきまえた創意です。原詩を心から愛する訳者は、言語の違いを越えて、詩の魂は伝えられると私は考えます。

 フランス詩、ドイツ詩の、音韻そのもの、その美しさについては、まず心に響く翻訳詩を感じとった後で別に、考え感じたいと思います。


  旅へのさそい
           シャルル・ボードレール  
           安藤元雄訳


   私の子、私の妹
   思ってごらん
あそこへ行って一緒に暮らす楽しさを!
   しみじみ愛して、
   愛して死ぬ
おまえにそっくりのあの国で!
   曇り空に
   うるむ太陽
それが私の心を惹きつけるのだ
   不思議な魅力
   おまえの不実な目が
涙をすかしてきらめいているような。

あそこでは、あるものすべて秩序と美、
豪奢、落ちつき、そしてよろこび。

   歳月(とし)の磨いた、
   つややかな家具が、
私たちの部屋を飾ってくれよう。
   珍しい花々が
   その香りを
ほのかな龍涎(りゅうぜん)の匂いにまじえ、
   華麗な天井、
   底知れぬ鏡、
東方の国のみごとさ、すべてが
   たましいにそっと
   語ってくれよう
なつかしく優しいふるさとの言葉。

あそこでは、あるものすべて秩序と美、
豪奢、落ちつき、そしてよろこび。

   ごらん 運河に
   眠るあの船
放浪(さすらい)の心を持って生まれた船たちを。
   おまえのどんな望みでも
   かなえるために
あの船は世界の涯(はて)からここへ来る。
   ― 沈む日が
   野を染める、
運河を染める、町全体を染め上げる、
   紫いろと金いろに。
   世界は眠る
いちめんの 熱い光の中で。

あそこでは、あるものすべて秩序と美、
豪奢、落ちつき、そしてよろこび。

*詩集『悪の華』(1857年)所収。
出典:『フランス名詩選』(1998年、岩波文庫)


  永遠
               ジャン・ニコラ・アルチュール・ランボー 
              中原中也訳


また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。

見張番の魂よ、
白状しようぜ
空無な夜(よ)に就き
燃ゆる日に就き。

人間共の配慮から、
世間共通(ならし)の逆上(のぼせ)から、
おまへはさつさと手を切つて
飛んでゆくべし……

もとより希望があるものか、
願ひの条(すぢ)があるものか
黙つて黙つて勘忍して……
苦痛なんざあ覚悟の前。

繻子(しゆす)の肌した深紅の燠(おき)よ、
それそのおまへと燃えてゐれあ
義務(つとめ)はすむといふものだ
やれやれといふ暇もなく。

また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。

出典:青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)入力:オーシャンズ3、校正:L.P.S.
底本:「中原中也全訳詩集」講談社文芸文庫、講談社、1990(平成2)年。
底本の親本:「中原中也全集 5」角川書店、1968(昭和43)年4月10日初版発行。
初出:「ランボオ詩集」野田書房、1937(昭和12)年9月15日初版発行。


  海の微風
           ステファヌ・マラルメ  
           渋沢孝輔訳
 
肉体は悲しく、ああ! 書物はすべて読んでしまった。
逃れよう! 彼方へと逃れよう! 鳥たちが未知の水泡(みなわ)と
天空のあわいにあって酔い痴れているのを わたしは感じる!
なにものも、そう、瞳に映る古い庭園も
海に浸っているこの心を引きとめはしない
おお夜よ! 白さが護り固めている空虚な紙の上の
わがランプの荒涼たる明るさも
また子供に乳をやっている若い妻も。
わたしは発つだろう! 帆柱帆桁を揺すっている蒸気船(スチーマー)よ
異国の自然に向けて錨をあげよ!
「倦怠」は、残酷な希望に荒(すさ)みながらも、
なお信じているのだ ハンカチを振る最後の別れを!
しかも、おそらくは、船は、嵐を招(よ)び
疾風に傾いて難破へとむかうのか
マストもなく、マストもなく、肥沃な小島もなく、消え失せて……
だが、わが心よ、聞け 水夫たちの歌を!

『現代高踏詩集』第1次(1866年)収録。
出典:『フランス名詩選』(1998年、岩波文庫)


  カンヌ 5
      ジャン・コクトー 
      堀口大學訳


Mon oreille est un coquillage.   
Qui aime le bruit de la mer.

私の耳は 貝の殻 
海の響を懐かしむ    

出典:コクトー詩集 (1954年、新潮文庫)
原文は『フランス名詩選』(1998年、岩波文庫)を参照。
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コメント

[C10] ランボーの「永遠」について

ふみです。フランス語はよくわからないけど、フランスの詩は大好きです。この詩の「allee Avec le soleil.」の日本語訳はいろいろあるみたいだけど、どれもしっくりきません。ここは、どうしてもフランス語の朗読で聴きたいところです。

[C20] Re: ランボーの「永遠」について

ふみ様。こんにちは。コメントありがとうございます。
おっしゃる通りですね。この箇所の訳はみんな微妙に違います。
原文の美しい響きが私もとても好きです。
  • 2011-11-28 20:14
  • 高畑耕治
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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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