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フランス詩の哀しいR音(ニ)

 フランス詩との出会いについてのエッセイを以前「フランス詩の哀しいR音」を以前書きました。不勉強だったこともあり、フランス詩を感じとり直したくも思い、読んだ杉山正樹著『やさしいフランス詩法』は、詩のかたちの伝統と変革について丁寧に述べられている優れた本でした。
 詩人たちの詩の引用には必ず発音記号が付けられているので、ゆっくり文字を追いながら、ボードレールやヴェルレーヌの言葉の音楽をなつかしく思い起こしました。
 この本の一節「ノルマンジー方言による脚韻」の頁をめくりながら、「のどを鳩のように震わせるかすれたR音はパリなどの都市での発音」と教えられた記憶が蘇りました。
 「言語音は、もっとも時の風化作用を受けやすいもの」だから、時代により、地域により、集団により、変化し異なっているのは当たり前のことだと、再認識させられます。
 例えば、私の好きなフランス語「海」la mer は[la-me]と最終子音rの発音をされない時代があったが、また発音されたり移り変わってきたこと、今もノルマンジー地方では発音しないこと、詩人たちはこの混乱をもうまく利用し、ユゴーもノルマンジー方言による脚韻の詩を作ったことなど、とても興味深く感じます。
 日本語の古典を学ぶと、区別され発音されていた二音が聴き取られなくなり一音になったり、濁音と清音が時代で変化したり、言葉が生きものだと教えられます。
 また日本のいろんな地域で毎日話されている最も普段着の肉声は、生物多様性という概念と同じように、とても多様で豊かであることを、忘れがちだと気づかされます。
 詩は言葉の芸術だから、詩を書こうとする一人として、言葉の音の表情と変化に対して、感受性の耳をいつも澄ませ、聴きとっていきたいと、改めて思います。

以下は、出典の引用です。
 ノルマンジー方言による脚韻(rimes normandes)
脚韻はなによりもまず音の問題であることは、すでに何回も繰り返し述べて来たとおりです。しかし、言語音は、もっとも時の風化作用を受けやすいものであり、17世紀のフランス語の発音と現代のそれとでは、異なる部分があるのは当たり前のことです。たとえ同時代であっても、地方により、身分、環境により、また職業、年齢によって違う発音がなされていたというのもまた当然のことでしょう。そのひとつの例が、ノルマンジー方言による脚韻と呼ばれているものです。
 フランス語は、中世の末期に、e muet に支えられていないすべての最終子音が民衆のあいだで日常の発音から消えてしまい、今日われわれが動詞不定法の最後のrを発音せずに、parler [paR-le]と発音しているように、finirを [fi-ni], clair を[kle], la mer を[la-me]と発音していました。ところが16世紀になると、文法家たちがこの発音に反撥し、いったん発音されなくなった最終子音を復活させようと努力しました。この試みは必ずしも成功したとはいえず、ごく限られた上層の上品な発音では最終子音が再び発音されるようにありましたが、ある地方(特にノルマンジー地方)や民衆のあいだでは、あい変わらず最終子音を発音しない言葉が話されていました。その結果、17世紀には、語尾のrだけに限っていっても、つぎのような3種類の発音が共存していたのです。

1) 一般庶民やある地方の方言では、最終子音rを発音しない。
aveugler[a-vœ-gle], charmer[ʃaR-me], amer[a-me], clair[kle], etc..

2) 上流社会の荘厳な、あるいは上品な口調では、最終子音rはすべて発音する。
aveugler[a-vœ-glɛ:R], charmer[ʃaR-m ɛ:R], amer[a-mɛ:R], clair[kl ɛ:R], etc..

3) 教養ある紳士、淑女の日常的会話では、ほぼ現代の慣用と同じ。
aveugler[a-vœ-gle], charmer[ʃaR-me]はrを発音せず、amer[a-mɛ:R], clair[kl ɛ:R],ではrを発音する。

 詩人たちは、かなり混乱したこの状態をうまく利用し、それをノルマンジー方言による脚韻として用いました。(略)
 語尾のrの発音が、ノルマンジー地方を除いて(注;ノルマンジー地方では、現在でもla mer を[la-me]と発音しています。)、ほぼ現代の慣用と同じになったのは18世紀になってからのことですが、ノルマンジー方言によるといわれているこの脚韻は19世紀まで伝統的特権を保ち続け、ユゴーの作品のなかにも現われます。
Qu’une âme ainsi frappée à se plaindre est sujette,
   Que j’ai pu blasphémer,   [blas-fe-me]
Et vout jeter mes cris comme un enfant qui jette
   Une Pierre à la mer.      [Ra-la-me]

[HuGo, Les Contempl., Ⅳ, xv. A Villequier v.101~104]*発音記号は脚韻箇所のみ引用。
(このよう傷つけられた魂が何かというと嘆きの声を洩らすこと、私が神をののしり、子供が海に石を投げるように、あなたに叫び声を投げつけることができたことを[忘れないで下さい])。

 この場合、ユゴーがノルマンジー方言風に、la mer を[la-me]と発音していたかどうかは、定かではありません。

出典:『やさしいフランス詩法』(杉山正樹、1981年、白水社)
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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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