数回にわたり1800年代に生きた
エドガー・アラン・ポオと、
スティファヌ・マラルメの詩論を見つめました。
今回と次回は五百数十年ほど時を遡り、イタリア・ルネサンスの先駆けとして生きた
ダンテの『俗語詩論』の頁をめくります。数百年の時間は芸術、魂の本質的な響き合いの妨げにはなりません。
今回はこの詩論の全体像を、次回は詩についての鋭い論述を中心に、感じとり考えます。ポオが詩論で「この世で最も詩的な主題」として
「佳人の死」を挙げた頭の片隅には、この世で結ばれることなく亡くした最愛の女性
ベアトリーチェへの愛の詩集『新生』、ベアトリーチェへの
魂が込められた詩篇『神曲』を書き上げたダンテが必ずいたと私は思います。(私は
野間宏の小説でベアトリーチェの名を知りました。ダンテの詩そのものについても、いつか書きたいと思います。)
訳註者の岩倉具忠の解説が要約して教えてくれるように、『俗語詩論』第1巻でダンテはまず、
イタリア語の「高貴な俗語」というテーマを文化史的=文学史的に探り、そのうえで、第2巻ではより詳細な詩論を語っています。
第1巻でダンテは、人類が最初に発した言葉を
旧約聖書・創世記のアダムとイヴについて考察することから始め、
バベルの塔への神の罰として人類共通の言葉が失われたことへ、さらに
イタリアの各地方の俗語の考察へと説き進めていきます。
この巻を読みながら、論の正誤よりも私は、彼がプロヴァンスやシチリアを含めてイタリアの各地方の言葉に抱く関心の強さと、その特徴を良く知っていることに、惹かれ共感しました。
私には出身地の関西言葉、河内弁は当然身に染みついています。また父方の讃岐言葉、母方の中国地方の言葉には、囲まれて触れながら育ったので、そのイントネーション・音色や語尾音の特徴に親しみを感じます。成長した後に、東日本の言葉や九州、沖縄の言葉、アイヌの言葉など、交友や旅行や本で知った言葉へと関心がひろがるとともに、神謡や民謡で歌い継がれている言葉には標準語にはない個性を感じて惹かれ、もっと知りたい、感じたいと考えています。ダンテのこの本の動機も私の気持に近いところから生まれたのだと思います。
第2巻からダンテは、
ラテン語ではないイタリアの俗語による詩について詳細に考察を進めていきます。
「詩的創造の実現の姿を示す
詩の原典をじかに引用すること」を原則として、彼自身の「
生きた詩作の体験にもとづいて新しい規範」を示しているので、これも正誤に関わらない説得力があります。
彼は、「最高の俗語、
高貴な俗語にもっともふさわしいテーマ」は、「崇高なことがら――
身の保全、愛、道義――という人間の基本的価値」だと言い、「実に真に
悲劇的文体を用いるのは、
詩句の崇高さと構成の品格と語いの卓越が、思想の荘重さに調和している場合に限る」と言い切ります。
彼がそのテーマを、高貴な俗語による悲劇的文体で追い求めたことは、彼自身の詩の引用、
Amor che ne la mente mi ragiona ; (わが胸のうちに語らいかける愛が・・・・・・)、
この短い引用だけで嘘でないと伝わってきます。詩の原典の引用だからこそ思いが響きとともに広がり伝わってくるのだと私は思います。
彼の次の言葉にも私は共感し、詩を創作することへの励ましを感じます。ひとりの生身の生きた人間だったダンテは、次のように言います。
人間性の崇高さがこめられた詩を創作できる「注意力と判断力を相応に養うには
努力と労苦が要求される。なぜなら
才能の冴えと技巧への鋭意と学問の習慣なくしてはそのような仕事は到底なしあたうものではないからである。」
そして彼もまた、「比類のない構文と呼ばれるほどのものは、この種の実例をもってのみ示しうる正則を遵用する詩人たちに親しむことがおそらくなににもまして有益であろう」と、
ホラティウス、ウェルギリウス、『変身物語』のオウィディウス、
先人たちに学ぶところから歩みだし新しい作品を創り上げました。いつも時代にも変わらない真実だと私は思います。
●以下は、出典原文(解説と本文)の引用です。
◎ 解説―2
『俗語詩論』成立の経緯 1302年、追放によってコムーネにおける知的・政治的活動の道を断たれたダンテは、あらたに直面した環境のなかで、知識人としてのみずからの位置づけにせまられることになる。(略)こうした状況のなかでほとんど同時期に並行してあらわされたのが『俗語詩論』と『饗宴』であった。(略)
成立年代を1303年もしくは1304年から1306年頃までとする従来の年代設定は妥当であったといってよいであろう。
◎ 解説―3 『俗語詩論』の意図
他の類似の論考の内容とくらべて『俗語詩論』の内容の示すきわだった特徴の一つは、
イタリア語の「高貴な俗語」というテーマをささえている理論的基盤の堅牢さとその奥行きの深さである。(略)
『俗語詩論』を他の類書から画然と分かつもう一つの特色は、「表現法」についての論考が、
文化史的=文学史的なコンテクストのなかで進められている点であろう。(略)
この作品では
作者の生きた詩作の体験にもとづいて新しい規範が示されていることであり、またその規範の確固たる選択規準と俗語の権威が強調されていることであろう。(略)ここでは、
詩的創造の実現の姿を示す詩の原典をじかに引用することが原則とされている。(略)
古典文学の権威の重圧に対抗し、
新参の俗語詩の伝統を権威づけるためには、創作の出来栄えを強調するだけでは十分でなかった。そこでダンテは、最高の俗語にもっともふさわしいテーマとしてmagnalia(崇高なことがら)――
身の保全、愛、道義――という人間の基本的価値をあげ、doctores illustres (高名な詩人たち)は「こうしたテーマのみによって詩作して来たことが知られる」(略)としている。(略)このようにダンテは最高の俗語詩人の道徳的・知的品位――dignitas(詩人としてのふさわしさ)――を強調しようとする。
◎ 本文・第2巻―4
(略)さてまず最初に強調すべきは、みなだれも自身の肩に合わせて
テーマの重みを選ばねばならぬということである。さもないとあまりの重みに肩の力が持ちこたえられず、泥にのめり込むはめにもなりかねない。わが師
ホラティウスが、その『詩法』のはじめのところで「題材を選びなさい」といって教えているのはまさにそのことなのである。
次に詩にふさわしいテーマが選べたら、それが
悲劇、喜劇、哀歌のいずれの形式を用いて歌われるべきかについて判断力を働かせなければならない。「悲劇」という名称は、高級な文体を意味し、「喜劇」はより低次の文体であり、「哀歌」は不幸な人々の文体であると解される。
悲劇的文体で詩作すべきものと判断されるときには、
高貴な俗語を用いなければならない。したがって
カンツォーネを創作しなければならない。(略)
実に真に
悲劇的文体を用いるのは、
詩句の崇高さと構成の品格と語いの卓越が、思想の荘重さに調和している場合に限ることは明白である。それゆえ最高のものは、最高のものにふさわしいという事実が証明済みであることをしかと想するならば、まさに悲劇的と称される文体は、文体のなかで最高のものであることが明かであるとすれば、
作詩のための最高の題材と判断されるテーマは、こうした文体によってのみ歌われるべきものである。すなわちそうしたテーマとは
「身の保全」、「愛」、「道義」であり、またそれらを生かして織り成された概念なのである。ただしその品位がいかなる非本質的要素によってもおとしめられないかぎりにおいてである。(略)
そして上にあげた3種のテーマをその本来の姿のままで、もしくはそれらのテーマと直接または本質的にかかわりのあるテーマをとりあげて作詩を試みる(略)注意力と判断力を相応に養うには努力と労苦が要求される。なぜなら
才能の冴えと技巧への鋭意と学問の習慣なくしてはそのような仕事は到底なしあたうものではないからである。
◎ 本文・第2巻―6
(略)
その友(ダンテ):
Amor che ne la mente mi ragiona ;
(わが胸のうちに語らいかける愛が・・・・・・)
読者よ、これほど沢山の詩人たちを引き合いに出したといていぶかってはならない。なぜなら
比類のない構文と呼ばれるほどのものは、この種の実例をもってのみ示しうるからである。そしてこの種の構文を身につけるためには、
正則を遵用する詩人たちに親しむことがおそらくなににもまして有益であろう。すなわち
ウェルギリウス、『変身物語』のオウィディウス(略)など比類なく格調の高い散文を用いた作家たちのことである。また情愛のこもる熱意がわれわれを読書三昧へといざなう他の数々の作家たちのことである。
出典:
『ダンテ 俗語詩論』(ダンテ、訳註・岩倉具忠1984年、東海大学出版会)
- 関連記事
-
コメントの投稿