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宇宙を歌う。ルクレティウス『事物の本性について』(1)

 ルクレティウス『事物の本性について―宇宙論』は、原子論を全六巻にわたる詩句で織りあげた稀有の長詩として、世界文学と思想史に独自の光を放ち輝いています。私はこのような類例のない作品を書きあげたルクレティウスに尊敬の念を覚えます。
 この作品を読むことで惹き起こされた詩についての考えを、3回に分けて記します。

 ルクレティウスは、この本を詩句のリズムにのせて書き上げた理由を第四巻の冒頭で、「快くひびく歌をかりてこの教えをあなたに述べ、いわばムーサの甘い蜜で包もうと望むのだ。」と自ら述べています。
 紀元前後を跨いで生きた彼の書には、思想書としての厳密な論理構成はなく、巻の内容の展開も、次のように気ままです。
 第一巻 物質と空間、第二巻 アトムの運動と形、第三巻 生命と精神、第四巻 感覚と恋愛、第五巻 世界と社会、第六巻 気象と地質。
 彼は、この宇宙の原理、源泉として原子、アトムの本性を書き記すことを第一の主題としています。そのうえで書きあげられた主なテーマを抜き出すと、宇宙の果て、天体、心、体、死、恋愛、動植物、社会の進歩、気象、地質、疫病と多岐にわたっています。さらに、ローマの飽食や近親毒殺の社会批評、アテナイの疫病の記録も盛り込まれています。
 彼は事物の本性としての原子観に基づいて、宇宙のすべてをこの詩篇で書きあらわそうとしたのだと言えます。その結果、ごちゃまぜで散漫な箇所もありますが、逆に言うとそれは豊かさです。
 私はこの作品が叙事詩ではないところに彼の独自性と文学上の意味があると私は思います。
 ホメロスの作品に代表される叙事詩は、時間の流れに浮かび沈む出来事の記述を積み重ねていく物語だから、その長大さはそのまま内容の大きさともなり、大河のような圧倒的な迫力を生みます。詩句の形式に言葉を載せつつも、本来的にそれは散文の歴史物語、歴史小説に近く、時間の流れの転変や回想による逆流を織り交ぜながらも、底流には人間が感じる時間が波打ち流れています。
 いっぽうルクレティウスのこの作品を敢えて分類するなら、思想の詩、哲学の詩だと言えます。歌われたものがギリシャ自然哲学者から連なるエピクロスの思想、原子論を真理だとする主張であり、その教えを述べるために書かれた言葉だからです。
 ですからこの本の詩句の質そのものは叙事詩とは大きく異なり、世界各地の神話やヴェーダ、仏典、聖書、コーランの言葉など、宗教の教えと祈りを直接に唱える言葉により近いと感じます。
 でも、ルクレティウス個人が書き上げた創作だという点が宗教書とは大きく異なります。伝えられたギリシャ神話『変身物語』という美しい詩句の作品に織り上げたオウィディウスに似て、彼には作品化する文学者、詩人としての天性と筆力があったのだと思います。
 ルクレティウスはこの一冊に自分の一生を込めたのだと感じます。詩人としての壮大な構想と作品化した彼の強い意思が、私は好きです。
 彼の意図と作品の姿を感じとれる第四巻の冒頭箇所を以下に引用し、この作品に照らして詩に思うことは、次回記すことにします。

●以下、出典からの引用です。

第四巻(冒頭部)

何人の足もまだふんだことのない、ムーサの道なき国を
私は遍歴する。人手のつかない泉に近より、その水を
くむのは楽しく、また新しい花々をつみとって、
ムーサの女神がかつて何びとの額をも飾ったことのない領域から
栄ある花冠を私の頭に求めるのは楽しいことである。
なぜならまず第一に私は重大な事柄について教え、宗教の
厳しい鎖から人の心を解放することに努めているのだから。
第二には暗黒に包まれたものごとについてかくも明らかな
詩を作りそれらすべてにムーサの魅惑を与えるのだから。
そうすることもまた、全く理由のないこととは思われない。
すなわち医師が子供にいやなにがよもぎを
飲ませようとする時まず盃のまわりのふちに
蜂蜜の甘い琥珀(こはく)色の液をぬって
子供たちの疑うことを知らぬ年頃が唇まで
あざむかれ、その間ににがよもぎのにがい
液を飲みほし、あざむかれても害をうけるのでなく、
かえってこのような処置により回復して元気になる、
ちょうどそのように私もいま、この教えが非常にしばしば
それを学んだことのない人々にはあまりにいとわしく思われて、
大衆はこの教えからしりごみするがゆえに、ムーサの女神の
快くひびく歌をかりてこの教えをあなたに述べ、
いわばムーサの甘い蜜で包もうと望むのだ。
もしかしてこのような仕方によりあなたの心をこの歌に
つなぎとめ、その間にあなたが事物の本性すべてについて
その形式と構造をみきわめることができればと。
(以下略)

出典:「事物の本性について―宇宙論」
『世界古典文学全集21ウェルギリウス・ルクレティウス』(岩田義一、藤沢令夫訳、1965年、筑摩書房。)

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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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