11月14日のエッセイ
「ダンテが100円。文学と経済価値」は文学の現況への率直な思いを記しました。ただ私が編集に携わる多くの方を憎んでいるかのような誤解を招きかねない舌足らずな表現かもしれませんので、私の真意をもう少しだけ丁寧に付け加えます。
私は本当は
編集者が好きです。私自身の職業の出発点としても、編集者を選びました。その職業に携わる方が好きだからこそ、編集者の志をもたない人、見失い驕っている人がきらいです。
今回は好きだという側面を書きます。
私には出会えることができたことで、生き続け書き続ける力を強めてくださった恩人であり、敬愛しつづけている3人の編集者がいます。
私の第一作品集『死と生の交わり』を出版してくださった
批評社の佐藤英之さん、書店で手にした詩を認めてくださり創刊誌『エヴァ』の扉の詩の連載をさせてくださった
梶原光政さん、4冊の詩集の出版を手助けしてくださった
土曜美術社出版販売の加藤幾惠さんです。
私自身が右往左往して行方不明にもなってしまったため、今もなお頑張られていらっしゃる佐藤さん、梶尾さんには感謝していること、頑張ってくださることをいつも願っていることだけ記します。
加藤幾惠さんに捧げる思いを書きます。
私の
詩集『海にゆれる』、『愛(かな)』、『愛のうたの絵ほん』『さようなら』はすべて土曜美術社、土曜美術社出版販売に原稿を持参し加藤幾惠さんに手渡しして編集・発行して頂きました。
加藤さんが『さようなら』を
21世紀詩人叢書に推してくださり、その時かけてくださった次の言葉を私は死ぬまで忘れません。白いおおきなワンちゃんと暮らされていた部屋で。
「これまでの詩集の詩はあまり良いとは思わなかったけど、『さようなら』はいい。」
加藤さんが感じておっしゃってくださった言葉が心にあり続けるから、私は「いい詩を書ける、これからも書ける」と、自分に言い聞かせ、誰に何と言われようと頑張り続けることができます。
その後個人的な身辺の変化と精神的に燃え尽き症候群のように沈んで詩から離ねる年月を過してしまいました。また浮びあがろうと、私が生きることは詩を創作することだと思い返し、数年ぶりに加藤さんに連絡をとろうとして初めて、加藤さんが急逝されていたことを知りました。ショックで、知らずにいた悔いが私にはそれからずっとありました。
私にできる恩返し。
いい詩を書き続けること。加藤さんはきっとそうおっしゃってくださいます。今も見守り励ましてくださっていると私は信じられます。
もうひとつできるのは、
編集者としての加藤さんを少しでも伝える努力をすること。
数日前ウィキペディアの「日本の書籍編集者」の項目に「加藤幾惠」さんの記事をやっと書けました。私が知らない加藤さんの人生とお仕事をご存知の方は伝えて頂けたら、また記事を書き加え広めて頂けたらと思います。敬愛する編集者・加藤幾惠さんを、ひとりでも多くの方に知って頂きたいと願っています。
- 関連記事
-
- https://blog.ainoutanoehon.jp/tb.php/228-117ae1b6
トラックバック
コメントの投稿