故人に対して批評する時、批評される側は反論できないので、する側の視野が歪んでいないことが、批評と呼びうるものであるための最低条件ではないかと私は考えます。
今回は著名な批評家だった
吉本隆明氏の仕事について批評します。
冒頭書いたことが成り立つことを示すために書きますが、私は青年時代に古本屋や図書館も使い彼の詩篇や個人誌『試行』など、ある時期までの仕事はほとんど読んでいます。
詩では「今日から僕は泣かない」という一節(記憶のため不正確です)がある初期詩群は好きだった時期があります。また
『言語にとって美とは何か』で言葉について考え、
『共同幻想論』で<組織とは、本当のところは個々人がそこにいるだけなのに、階層や規約が実体としてあるかのように構成員が思いなすことで初めて成り立っているもの>という新鮮な捉え方を学びました。それらの独自の鋭い批評家としての仕事には底力を感じます。
そのうえでここからが今回の主眼です。
彼が
詩人であったのは初期詩篇を書いた時期だけだった。以後の詩を書かなかった彼を詩人だと私は思いません。良い作品を書かなかったこと、それが理由のすべてです。このことはブランク年月の私自身に対しての自戒でもあります。芸術に実績は関係ありません。創り始める時本当はだれもが白紙を前にした新人だと私は考えています。
もうひとつ、彼は自らが詩人であることをやめたとき、詩について黙っていればよいのに、この国に若い詩人はいないとか、詩の雑誌は一誌しかないとか、狭い仲間びいきの楽屋談義をマスコミにしゃべりちらかしたのは、有害だったと私は思います。
私は彼を詩人だと思っていた青年時代に数点の詩集を献本しましたが、読まれずに捨てられたか、読んで評価されなかったか、その何れかでした。私個人に対しての評価だけなら、詩観、詩想、好みの違いだとして、私も彼を素通りするだけです。
しかし彼は、この国で書かれている詩をすべて見渡し見下しているかのように偏狭な位置から良い詩はないかのように決めつけ、その価値を貶めました。対象をきちんと読んだうえでの発言なら批評ではありえますが、彼は読まなかったし、多少読んでも、感じとり見つける力がなかったのだと私は思います。
私の詩を、私が見つけ知っている本当に良い詩を、同じ時代にいながら、わからなかった彼は、
詩の批評家としてのレベルは低い人だったと思います。
まだ評価されていない、あるいは生まれつつある、ほんものの詩を、新しい文化の芽を、見つけ出し、周りがどう言おうが、これまで誰もできなかった視野で照らしだす言葉を投げかけるのが、本物の批評家です。既に権威となった物をおだてあげるのはおべっかにすぎません。
彼の政治的社会的発言も、その時々にはみんなとちょっとちがったことを言う著名人の発言としてマスコミ受けしましたが、建設的なものでも信念やビジョンのあるものでもない、床屋談義と変わらない質だったと私は思います。
他と違うこと自体を善しとするような独善的なおしゃべりは批評ではありません。
何もかもいっしょくたに賛美するマスコミの傍らで、故人の成し遂げた優れた著作には敬意をはらいつつ、文化や詩を貧しくする作用をした彼の偏狭な言説に惑わされるのはつまらない、真の批評として向き合うだけの価値をもたないと私は考えています。
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むしろ初期詩編以後に書かれた数多くの「詩」こそが
多くのこの国の詩人達に評価されているはずですよ。
「戦後詩史論」を初めとする代表的な詩論は、詩集「記号の森の伝説歌」や「言葉からの触手」などの詩の実作と平行して書かれたのです。そんなことももあなた知らないのですね。
もし吉本氏が後生に名を残すとすれば、詩人としての彼とその詩作群によってでしょう。
あなたの詩が詩人の世界で看過されたのは単にあなたの詩がつまらなかっただけでしょう。
あなたの詩と吉本氏の詩(中、後期のものも含めて)とどちらが優れているのかは、この国の多くの詩人達がちゃんと評価してくれます。
目をそらさずに見ておくことです。
批評としての最低条件があなたのコメントにはないし、何よりも批評対象者の詩業さえ知らないのに、詩をやめて詩についてしゃべったなどと、事実に反することを平気で書くのは、あなたの視野が歪んでいるということです。