近代詩が生まれた明治時代からの約百年間に創られた
女性の詩人の詩をみつめなおしています。
前回に続き、詩人
征矢泰子(そや・やすこ、1934年昭和9年~1992年平成4年)の詩を見つめます。出典は
『女たちの名詩集』(新川和江編、1992年新装版、思潮社)です。
今回の2篇、詩「娘に」と詩「しるし」は、
母親が娘を思いやる作品です。
ひらがなは、生まれた当初から
「おんなもじ」と呼ばれたように、女性の身体のやわらかでしなやかな曲線の美しさと結びついています。
同時に、心の表情のやわらかな変化、機微、陰影の表現、心の歌、
抒情を波うたせる言葉に、もっとも合っています。
詩「娘に」は、思春期の少女から大人へなりつつある女性の初々しい花そのままの美しさとあやうさを捉え響かせていて、とても素晴らしいと思います。
繰り返される
「はなのようだ」という言葉は、母親としての情と女性としての若さへの羨望も溶け合っているような、裸の心の美しさを、感じとらせてくれます。
心のひだの表現というのは、このような詩句にこそふさわしい、そしてこの詩句の細やかさにはひらがなこそ、ふさわしい、そう思います。
このように感じ言葉にできるこの詩人の感性が私はとても好きです。
娘に
征矢泰子ここからみると
おまえはひとくきのはなのようだ
そだつことにひとかけらのうたがいもなく
ときどきはこっそり せのびさえしたくせに
いまさら
ふくらみはじめたわれとわがはなびらに
とまどってじれている
あまのじゃくなひとくきのはなのようだ
いつしかうしろふりむくことをしって
もういちど すべてのはじまるあのひとつぶのたねに
もどってみたくていらだっている
おまえはここからみると
あめのなかでゆれている
とほうにくれたういういしい
ひとくきのはなのようだ
さくことへのふくらみのうつくしさが
まるでざんこくなばつのようにさえみえるほど
まあたらしいひとくきの
はなのようだ
次の詩「しるし」は、より母親としてのまなざしと思いが深まり、娘の身体の大人の女性への成長をより近くでみつめている詩です。詩句も「はなびら」へとより細やかな性の成長にまでふみこんで思いやっています。
美しいと同時に、女性にしか書けない、娘をもつ母親にしか書けない詩、そう感じます。でもそれ以上にこの詩人だからこそ書けた詩、このやわらかで繊細なこころと感性の詩人にしか書けない詩、と言えます。
しるし
征矢泰子ふいうちにとまどってうろたえたのは
ははおやのほうだった
ひらくにはまだかたすぎると
ひとりぎめしていたうかつさ
むしんなこころをしりめに
そだっていくからだのおもたさを
おもいやってかなしかったのは
ははおやのほうだった
なぜかむりじいに
こじあけられたようなようしゃなさに
うっすらとちをにじませてやっとひらいた
ひよわいはなびらのことなど
とうのほんにんにはみえもしなくて
ふりかえったおもいのなかであしすくわれて
むねゆすぶられているのは
ははおやのほう だった
おまえはもとのまま
すみわたってあっけらかんと
みつめるははおやのしせんがまぶしくて
わらいながらにげていく
このような心やさしい抒情詩人の美しい作品がすぐ近くで咲いていたこと、咲いていると知ったことが、私はとても嬉しいです。
次回も女性の詩人の歌声に、心の耳を澄ませます。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年
3月11日、
イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
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