ここ百年ほどの時間に歌われた詩歌から、短歌の形で咲いた心の花をみつめています。
今回の歌人は
中城ふみ子(なかじょう・ふみこ、1922年・大正11年帯広市生まれ、1954年・昭和29年没)です。
歌集タイトルにある
『乳房喪失』、乳癌のため32歳で夭逝されていますが、死の前の短い期間に、
激しく燃え尽くした歌人、その歌に漂う悲壮感と切迫した想いに心打たれます。17首選びました。
最初の5首は、人との距離感についての鋭敏な感覚、尖って感じられる齟齬感、砂を噛んでしまうような、この人の生きにくさが、離婚をめぐる時間のなかで、夫と子を通して歌われていると感じます。
おそらく誰もが程度の差はあれもっている、自我、エゴという生命力が、周囲と関係を上手く結んでいけない悲しみに、この歌人の露出した神経がふるえているようです。
次の5首には、彼女の自我の強さがむき出しになり、神経がヒリヒリ痛んでいるような激しさがあります。自己への厳しさに尖ってしまうとき他者や世界と摩擦し傷を負わせ虐げてしまうように感じる意識。
芸術家はこのような横顔を持たずに生きられない生き物ですが、その自己意識が研ぎ澄まされた歌になっています。
次の3首は、乳癌そのものから生まれた歌。悲しみが凝結した歌だと感じます。
最後の4首は、自ら死ぬことを悟った、辞世の歌であることを意識した者だけが、歌える歌。死を目の前にしながら、苦しみの最中での言葉だからでしょうか、ほのかな明るみのようにうかびあがる花のまぼろしは、とても美しい、と感じます。
この間際まで、このように歌うことを意思し行った彼女は、芸術家、歌人としての生来の資質、運命のもとに生まれ、その重みに押しひしがれ潰されそうになりながらも、生き抜いた人だと私は思います。
生き難く、おそらく周囲の人を傷つけずにはいられなかった、そのことを知りつつ苦しみ悲しみながらも、最期まで歌い続けた激しく悲しい彼女と彼女の歌に、私の心は揺れうごき、響きあいます。
『乳房喪失』1954年・昭和29年追ひつめられし獣の目と夫の目としばし記憶の中に重なる
春のめだか雛の足あと山椒の実それらのものの一つかわが子
灼(や)きつくす口づけさへも目をあけてうけたる我をかなしみ給へ
われに最も近き貌(かほ)せる末の子を夫がもて甘しつつ育てゐるとぞ
子を抱きて涙ぐむとも何物かが母を常凡に生かせてくれぬ
美しく漂ひよりし蝶ひとつわれは視野の中に虐(しひた)ぐ
原色のかなしみをきりきり突きつけるこの画よ立ちてひもじきときに
音たかく夜空に花火うち開きわれは隈なく奪はれてゐる
冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己れの無惨を見むか
大楡の新しき葉を風揉めりわれは憎まれて熾烈に生きたし ●
もゆる限りはひとに与へし乳房なれ癌の組成を何時よりと知らず
失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ
唇を捺されて乳房熱かりき癌は嘲(わら)ふがにひそかに成さる ●
『花の原型』1955年・昭和30年遺産なき母が唯一のものとして残しゆく「死」を子らは受取れ
死後のわれは身かろくどこへも現れむたとえばきみの肩にも乗りて
息きれて苦しむこの夜もふるさとに亜麻の花むらさきに充ちてゐるべし
無き筈の乳房いたむとかなしめる夜々もあやめはふくらみやまず ●
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)、
●印
『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂) 次回も、歌人の心の歌の愛(かな)しい響きに耳を澄ませます。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年
3月11日、
イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
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