私の折々の想いをツイッターにしたためた言葉から、似通う色合いのものを、詩想としてまとめています。
今回は
「詩と文学15」私の率直な想いです。
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ほんとうに久しぶりに古今和歌集のまだほんの初めの数首だけ今日は読み返せました。好きだった歌は今も変わらず心に響くこと、歌詠みが好きだ、わたしも歌詠みなんだなと、元気がでました。頁をめくるのが、楽しみです。
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すこしだけ、ちいさなうたの種を芽吹かせるための、土いじりができました。わずかな瞬間でも、わたしが生きてるのはその時と、愛するひと想う時。あとはそのための、がまん。たぶん、人じゃない生きものみんな、それほどに、瞬間瞬間、懸命だ。
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スピッツの「ロビンソン」と宇多田ヒカルの「 Flavor Of Life 」を繰り返し聴いてやすみます。ヒカルはしつこく、ai、あい、愛、の脚韻、リフレインにこだわり繰り返していてとても好きです、私も、あい、の響きある、脚韻、リフレインが好きで繰り返し書いているので共感します。
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完成させたい、美しく、ほんとにいいと感じる作品を、こころに響くうたを。そう願い、いつも、今日も創るのですが、まだ、まだ、届きません。
マラソンなどのゴールを目指すスポーツに通じますが、違いは、ゴールが、近づいたり、遠ざかったり、気まぐれに、揺れ動く、不安定さ、のように思います。
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古代歌謡も和歌も連歌も俳句も短歌も近代詩も現代詩も童謡も子守唄も民謡もアイヌユーカラも翻訳詩も、どんな言語での詩も、みんな、国境なんて馬鹿げた境界線をこころに刻まない、海のように、空のように、宇宙そのままに、つながってる、うた。ひとのこころから、あふれだすことば。好き、
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作品を創っているという表現より、ちいさなうたの花、どうか咲いてと、また土いじりをしています。それもまた、いまできる、こころの素直なおこないだから、大切にします。種がすこしだけ、ふくらんでくれたような、気がするのは、錯覚かな?期待かな?デジャ・ビュ(既視感)かな?
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古今和歌集を少しずつ読み返しながら、次は千載和歌集を、選者の藤原俊成の歌論とともに読みたいと思っています。
平家物語にも出てくる彼は、もののあわれをしる、恋心ゆたかなひと、智の技巧歌の流行りに抗い、抒情歌を深く愛し伝えようとしたひと。乱世の最中、歌心を伝えたひと。学びたい思いが強く。
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