詩人・森英介、本名
佐藤重男の
詩集『地獄の歌 火の聖女』をみつめています。
彼の詩集から、強く感動した詩篇全体作品と、強い響きの詩句を含む詩連を選びました。(抄)とある詩は全体ではなく、引用を略した詩連があります。またこの詩集には聖書や他の詩人の詩からの多くの詩句引用があり、詩集を構成する一部として鑑賞できますが、以下では略しています。
今回は次の二つの詩を感じとり、私が感動したままに詩想を☆印の後に添えます。
風雨哀哭(抄)、落日(抄)。 風雨哀哭生きてゐるうちは
いつしよにくらしてみませんか
天国も
いつしよにくらしてみませんか
(略)
秋の、 肌に 深くして
わたしは 悟りました
信ずるとは
歌ふことだと悟りました
あなたさまは
おしごとに死んではいけない
生きて
働いて
歌つて
いつしよにくらすのです
それで よいのです
あなたの
風雨のあとの
むらさきの
小さな 花
それでよいのです
台風が また くるかもしれません
あなたさまが もう
この世に
おいでにならぬとしたら
さらに あらためて
訴へまうしあげるでせう
生きて
ゐるうちは
いつしよに
くらして みませんか
☆ 私の詩想 かなしい響きの求愛の歌です。現代詩が読まれない大きな理由に、愛がない、ことがあると私は考えています。現代詩は「技巧的に上手く構成したり理知を鋭くきらめかせたり寓意や比喩で実在しないものを浮かびあがらせたり」していますが、賢しらさが臭う言葉の伽藍を目にして、上手いと評価はできても、心うたれることがないので、あまり読みたいと思えません。愛がなくなったのではなく、詩や文学が本当に好きな人は、音楽を通して、また心豊かな近代までの詩歌を通して、愛を素直に自然に求めています。
この詩の愛(かな)しみの声は、とても美しいと私は感じます。このような詩が私は好きです。
落 日(略)
あなたは
わたしとめぐりあつたのです
わたし
つまり 人生に絶望した
歌を失くした詩人
いや 詩人のやうな
それでゐて 決してさうでなかつた
或る漠とした 放浪児
さうです
それでもわたしは
あなたさまとなら生きられると思ひました
しかし
うまれたときから
わたしの人生は終つてゐたやうです
(略)
あなたに悪いけど
生きてみやう思ふのです
みんな忘れて わづかのほこりをすてゝ
人間のやうに!
コスモスが
いたるところ
あふれるばかりに咲いてをりました
愛するひとを愛しえずに!
☆ 私の詩想 愛の歌、とても強く心に響きます。萩原朔太郎
(『詩の原理』純詩)やポー
(ポオの詩論『ユリイカ』)が詩論で繰り返し語っているように、私もまた、詩がいちばん詩らしい純詩は、純愛の詩だと思っています。愛の詩がいちばん好きです。そして悲恋ほど心うたれ哀切に感じるのが、ありのままの人の心だと思います。時代と場所にかかわりなく、これまでも、これからも、ずっと。
この国でも古代歌謡
(古代歌謡。無韻素朴の自由詩。)、万葉集の正述心緒
(相聞歌、ただに思いを述べたる)から絶えることなく美しい愛の詩歌が歌われ続けていることを思うと、心が温まります。
苦しみや悲しみに満ちた過酷な現代にあってほしいのは、愛の詩だと願っているのは、私だけでしょうか。
出典:
『地獄の歌 火の聖女』(森英介、北洋社、1980年、復刻版)。*漢字の旧字体は読みやすさを考慮して常用漢字に直したものがあります。ふりがなはカッコ( )内に記し、強調の傍点は略しました。
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