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与謝野晶子の詩歌(七)。語りかける愛の言葉。息子に。母に。

 20世紀の冒頭から半ばまで、ゆたかな詩歌を創りつづけた女性、与謝野晶子の作品をみつめつつ詩想を記しています。

 今回は、晶子が優れた愛の詩人だと感じる2篇の作品です。
 短歌では第一歌集の『みだれ髪』で異性・鉄幹への愛を情熱的に歌いあげた作品群と、遺稿集で亡くなった鉄幹へ静かに呼びかける鎮魂の愛の歌の作品群がとても美しく、強く心をうたれます。
 
 短歌のかたちではあまり歌わなかった(自選歌集にはありませんでした)子どもと母親への愛情を晶子は、詩のかたちで生み響かせました。(このことは最後に短歌をみつめる際に考えたいと思います。)

 詩「アウギユストの一撃」は、愛児の四男アウギユストに語りかける愛情あふれる詩。
 みごもった身体でヨーロッパを旅し、オーギュスト・ロダン(地獄門・考える人の彫刻家)と会った記念と
願いを込めて名づけた当時二歳の赤ちゃんに話しかける詩です。
 読むと心が暖かくなります。

 詩「母の文」は、晶子の亡くなった母親への、感謝と鎮魂の想いの静かな詩。
 悲しく、美しいです。

 2篇の詩を読むと、なぜか力づけられるように、励まされているように感じるのは、
晶子がいのちを愛し、その真実をみつめ、歌う、ほんものの詩人であるからだと感じます。

  アウギユストの一撃
              与謝野晶子


二歳《ふたつ》になる可愛《かは》いいアウギユストよ、
おまへのために書いて置く、
おまへが今日《けふ》はじめて
おまへの母の頬《ほ》を打つたことを。
それはおまへの命の
自《みづか》ら勝たうとする力が――
純粋な征服の力が
怒りの形《かたち》と
痙攣《けいれん》の発作《ほつさ》とになつて
電火《でんくわ》のやうに閃《ひらめ》いたのだよ。
おまへは何《なに》も意識して居なかつたであらう、
そして直《す》ぐに忘れてしまつたであらう、
けれど母は驚いた、
またしみじみと嬉《うれ》しかつた。
おまへは、他日《たじつ》、一人《ひとり》の男として、
昂然《かうぜん》とみづから立つことが出来る、
清く雄雄《をを》しく立つことが出来る、
また思ひ切り人と自然を愛することが出来る、
(征服の中枢は愛である、)
また疑惑と、苦痛と、死と、
嫉妬《しつと》と、卑劣と、嘲罵《てうば》と、
圧制と、曲学《きよくがく》と、因襲と、
暴富《ぼうふ》と、人爵《じんしやく》とに打克《うちが》つことが出来る。
それだ、その純粋な一撃だ、
それがおまへの生涯の全部だ。
わたしはおまへの掌《てのひら》が
獅子《しし》の児《こ》のやうに打つた
鋭い一撃の痛さの下《もと》で
かう云《い》ふ白金《はくきん》の予感を覚えて嬉《うれ》しかつた。
そして同時に、おまへと共通の力が
母自身にも潜《ひそ》んでゐるのを感じて、
わたしはおまへの打つた頬《ほ》も
打たない頬《ほ》までも熱《あつ》くなつた。
おまへは何《なに》も意識して居なかつたであらう、
そして直《す》ぐに忘れてしまつたであらう。
けれど、おまへが大人になつて、
思想する時にも、働く時にも、
恋する時にも、戦ふ時にも、
これを取り出してお読み。
二歳《ふたつ》になる可愛《かは》いいアウギユストよ、
おまへのために書いて置く、
おまへが今日《けふ》はじめて
おまへの母の頬《ほ》を打つたことを。

猶《なほ》かはいいアウギユストよ、
おまへは母の胎《たい》に居て
欧羅巴《ヨオロツパ》を観《み》てあるいたんだよ。
母と一所《いつしよ》にしたその旅の記憶を
おまへの成人するにつれて
おまへの叡智が思ひ出すであらう。
ミケル・アンゼロやロダンのしたことも、
ナポレオンやパスツウルのしたことも、
それだ、その純粋な一撃だ、
その猛猛《たけだけ》しい恍惚《くわうこつ》の一撃だ。
(一九一四年十一月二十日)


  母の文
        与謝野晶子


虫干の日に見出でしは
早く世に亡き母の文、
中風《ちゆうぶ》の手もて書きたれば
乱れて半ば読み難し。

わが三度目の産月《うみづき》を
案じ給へる情《なさけ》もて
すべて満たせる文ぞとは
薄墨ながらいと著《しる》し。

このおん文の着きし日に
我れは産をば終りしが、
二日の後に、俄にも
母は世に亡くなり給ひ、

産屋籠りの我がために
悲しき事は秘められて、
母なき身ぞと知りつるは
一月《ひとつき》経たる後なりき。

我れに賜へるこの文が
最後の筆とならんとは、
母みづからも知りまさぬ
天の命運《さだめ》の悲しさよ。

あゝ、いましつる其世には、
母を恨みし日もありき。
いまさずなりて我れは知る、
母の真実《まこと》の御心を。

否、母うへは永久《とこしへ》に
世に生きてこそ在《いま》すなれ、
遺したまへる幾人の
子の胸にこそ在すなれ。

いざ見そなはせ、此に我が
思ふも母の心なり、
述ぶるも母の言葉なり、
歌ふも母の御声《みこゑ》なり。


● 出典は、インターネットの図書館、青空文庫
入力:武田秀男、校正:kazuishi。
・晶子詩篇全集。底本:「晶子詩篇全集」実業之日本社、1929年。
・晶子詩篇全集拾遺。底本:「定本與謝野晶子全集第九巻詩集一、同・第十巻詩集二」講談社、1980年。

次回も、与謝野晶子の詩歌を見つめ詩想を記します。

 ☆ お知らせ ☆

 『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。

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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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