地球も、太陽をつつむ天の川銀河も、うごいている、ひとの鼓動も、こころも。
それが、時なのでしょうか。
昔は幼く「正月はきらい」などと反発したりしたけど、暦に時のうごきを感じ、伝えあうのは大切なのだと思います。
今回からしばらくの間、20世紀の冒頭から半ばまで、ゆたかな詩歌を創りつづけた女性、
与謝野晶子の作品をみつめつつ詩想を記していきます。
彼女は社会評論でも活躍しましたが、文学としての詩歌に限っても、
短歌、詩、童謡などとても幅広い創作をしています。
私は詩歌の本来の姿はこのようなもので、ジャンルの狭い垣根に閉じこもり互いに無関心であるのは貧しいことだと思っています。
晶子や啄木や朔太郎や中也や賢治のように、詩歌の野原全面に花を咲かせる能力は持ち合わせないとしても、
短歌と詩と童謡、それぞれの花の美しさ、香り、可憐さを感じとる心だけは育み大切にもちつづけたいと思います。晶子の花々をみつめたあとは、短歌の高原を散歩してみる予定です。
初回の今回は
「晶子詩篇全集」の彼女による「自序」です。
記されているように収録詩420篇、しなかったもの約200篇ととても多く、同時に並行して女性の生き方をテーマとした社会評論や数万首の短歌の創作、源氏物語の全訳(関東大震災で草稿全焼後に再度執筆)をしている旺盛な執筆エネルギーは、尊敬するしかありません。
文学業績についての一般的な評価は、短歌、そのなかでも第一歌集『みだれ髪』に集中していますが、私は今回生涯の短歌選集と詩篇全集を読んでみて、もっとひろくふかくゆたかな作品を生み出していたことを知りました。彼女が短歌、詩、童謡、それぞれのかたちで生んだことについてもこれから記していきます。
自序の核心は、次の言葉です。
「心から歌ひたくて、真面目にわたくしの感動を打出したものであること、全く純個人的な、普遍性の乏しい、勝手気儘な詩」 私は、詩歌の本質は、「心から歌ひたくて、真面目にわたくしの感動を打出したもの」にあると思っています。
そして、「全く純個人的な、普遍性の乏しい、勝手気儘な詩」であることが逆に、他の人の「純個人的な」心に「勝手気ままなな」感動を揺り起こすのだと思います。
そのような木魂した他の人が多くなった状態をさして「普遍性をもった」と表現しても間違いではないと思います。ただし、作品そのものに社会的な主張を「普遍的に」表現できる、と考えるのは安易で誤りに陥りやすいと考えていて、このことは晶子の社会性のある詩をみつめる時に書きます。
● 晶子詩篇全集 自序(略)
わたくしは今年の秋の初に、少しの暇を得ましたので、明治卅三(33)年から最近までに作りました自分の詩の草稿を整理し、其中から四百廿壱篇を撰んで此の一冊にまとめました。かうしてまとめて置けば、他日わたくしの子どもたちが何かの底から見附け出し、母の生活の記録の断片として読んでくれるかも知れないくらゐに考へてゐました(略)。(略)
この一冊は、(略)唯だわたくしの一生に、折にふれて心から歌ひたくて、真面目にわたくしの感動を打出したものであること、全く純個人的な、普遍性の乏しい、勝手気儘な詩です(略)。
永い年月に草稿が失はれたので是れに収め得なかつたもの、また意識して省いたものが併せて二百篇もあらうと思ひます。今日までの作を総べて整理して一冊にしたと云ふ意味で「全集」の名を附けました。(略)統一の無いのはわたくしの心の姿として御覧を願ひます。(略)
今回は、晶子の「心から歌いたい、感動」を詩だと述べた思いに響きあう私の言葉、
詩集
『こころうた こころ絵ほん』の序をここに、木魂させます。
次回は晶子の詩をみつめ詩歌を生むことについての詩想を記します。
● 出典は、インターネットの図書館、
青空文庫。
入力:武田秀男、校正:kazuishi。
・晶子詩篇全集。底本:「晶子詩篇全集」実業之日本社、1929年。
・晶子詩篇全集拾遺。底本:「定本與謝野晶子全集第九巻詩集一、同・第十巻詩集二」講談社、1980年。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年
3月11日、
イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
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