出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性が心に響いてきた歌人について好きだと感じた歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせる歌人を私は敬愛し、歌の美しい魅力が伝わってほしいと願っています。
出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。
寺山修司との私の出会いは学生の頃に見た映像作家としての作品を通してでした。タイトルは忘れましたが、特に青森の恐山を舞台にした作品など、極彩色の、原色が散りばめられた映像美は、独自の個性、才能を感じます。
今回選んだどの歌も、ドラマを孕み、幻想美が霞のように漂い、田舎の古道具やさびれた家屋を舞台に、アクの強い独自の映像的な世界を浮かび上がらせています。
この歌を種として映像世界を芽吹かせたとも、映像世界の心象風景を三十一文字に凝結させた歌だとも、言えると想います。
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寺山修司(てらやま・しゅうじ、1935年・昭和10年青森県生まれ、1983年・昭和58年没)。
ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし 『空には本』1958年・昭和33年
一粒の向日葵(ひまわり)の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき ◆
夏蝶の屍(し)をひきてゆく蟻一匹どこまでゆけどわが影を出ず ◆
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや ◆
◎青春、そのほろにがさと感傷性とさまよいが心に響いてくる歌です。
死ぬならば真夏の波止場あおむけにわが血怒涛となりゆく空に ◆『血と麦』1962年・昭和37年
地下鉄の入口ふかく入りゆきし蝶よ薄暮のわれ脱けゆきて ◆
地下鉄の汚れし壁に書かれ古り傷のごとく忘られ、自由
◎映像が映し出されるような歌です。一首目は極彩色の空と海の青と鮮血の赤。地下鉄の二首は、黒と白のモノクロームの心象風景、孤独なモノローグのように響きます。
生命線ひそかに変へむためにわが抽出(ひきだ)しにある 一本の釘 『田園に死す』1965年・昭和40年
たつた一つの嫁入道具の仏壇を義眼のうつるまで磨くなり ◆
売られたる夜の冬田に一人来て埋めゆく母の真赤な櫛を ◆
かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭 ◆
◎寺山修司という人間がいてはじめて生まれたといえる、独特な心象風景。創作と個性について考えさせられます。
とても映像的で、歌集名の映画を本のページのうえで映写しているようです。
「美」にはこういう横顔もあるのだと、驚きを与えてくれる歌人だと私は感じます。
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)から。
次回も、美しい歌の花をみつめます。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年
3月11日、
イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
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