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土屋文明。岡本かの子。歌の花(六)。

 出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性的な歌人たちの歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせた歌人を私は敬愛し、歌の魅力が伝わってほしいと願っています。 出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。■ 土屋文明(つちや・ぶんめい、1890年・明治23年群馬県生ま...

釈迢空。みな 旅びと。歌の花(五)。

 出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性的な歌人たちの歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせた歌人を私は敬愛し、歌の魅力が伝わってほしいと願っています。 出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。■ 釈迢空(しゃく・ちょうくう、1887年・明治20年大阪府生ま...

土岐善麿。古泉千樫。吉井勇。歌の花(四)。

 出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性的な歌人たちの歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせた歌人を私は敬愛し、歌の魅力が伝わってほしいと願っています。 出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。■ 土岐善麿(とき・ぜんまろ、1885年・明治18年東京生まれ、1...

新しい詩「潮騒、愛(かな)しみの」をHP公開しました。

 私の詩のホームページ「愛のうたの絵ほん」に、新しい詩「潮騒、愛(かな)しみの」を、公開しました (クリックでお読み頂けます)。   詩「潮騒、愛しみの」 お読みくださると、とても嬉しく思います。...

斎藤茂吉。前田夕暮。北原白秋。歌の花(三)。

 出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性的な歌人たちの歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせた歌人を私は敬愛し、歌の魅力が伝わってほしいと願っています。 出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。■ 斎藤茂吉(さいとう・もきち、1882年・明治15年山形県生ま...

太田水穂。会津八一。歌の花(二)。

 出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性的な歌人たちの歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせた歌人を私は敬愛し、歌の魅力が伝わってほしいと願っています。 出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。■ 太田水穂(おおた・みずほ、1876年・明治9年長野県生まれ、...

佐々木信綱。与謝野鉄幹。歌の花(一)。

 今回まで数回にわたり、出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、私が特に感じるところのあった歌人とその歌を聴きとってきました。 とりあげなかった歌人についても、心に強く響く好きな歌はおおくありますので、今回からは個性的な歌人たちのいいと感じた歌を数首ずつみつめなおし、私が感じ思った言葉を添えていきたいと思います。 生涯をかけて歌ったなかからほんの数首しか咲かせられませんが、でも私は歌い心の歌を香ら...

河野裕子の短歌。恋の歌、愛の歌、感性の花。

 ここ百年ほどの時間に歌われた詩歌から、短歌の形で咲いた心の花をみつめています。 今回の歌人は河野裕子(かわの・ゆうこ、1946年・昭和21年熊本県生まれ)です。 私が特に好きな18首を選びました。 最初の5首は、恋の歌で、とてもいいと思います。青春を生きる女性の若さ、みずみずしい感受性、こころとからだの華やぎ、ときめきが、いちどに咲き出したようなみなぎる力が美しいと感じます。花が咲きそよ風にゆれながら歌...

中城ふみ子の短歌。『乳房喪失』悲しく燃え尽くして。

 ここ百年ほどの時間に歌われた詩歌から、短歌の形で咲いた心の花をみつめています。今回の歌人は中城ふみ子(なかじょう・ふみこ、1922年・大正11年帯広市生まれ、1954年・昭和29年没)です。 歌集タイトルにある『乳房喪失』、乳癌のため32歳で夭逝されていますが、死の前の短い期間に、激しく燃え尽くした歌人、その歌に漂う悲壮感と切迫した想いに心打たれます。17首選びました。  最初の5首は、人との距離感についての鋭...

田川紀久雄の『慈悲』。あなたの微笑みが。

 詩人の田川紀久雄さんが新しい本『慈悲』(2013年3月20日、漉林書房、2000円)を出版されました。 この本の表紙絵は画家であるご自身の作品で、優しくぬくもりが溶けた色あいの女性が佇んでいます。どのような本であるかは、あとがきの次の言葉に書き尽されていますので、以下に抜粋します。ゆ<「あとがき」 末期ガン以後ひたすら言葉を書き続けている。それは書かずにはいられないからだ。(略)要は書きたいことだけを書...

大野誠夫の短歌。根っからの抒情歌人。

 ここ百年ほどの時間に歌われた詩歌から、短歌の形で咲いた心の花をみつめています。今回の歌人は大野誠夫(おおの・のぶお、1914年・大正3年、茨城県生まれ、1984年・昭和59年没)です。 彼の歌も私は初めて知りましたが、哀しみ、哀感が響く抒情歌が心に響いてきて好きになりました。10首を選びました。 一、二、四首目は、夜、雪、裸木、星座、女性、音楽と、世界中のロマン派、抒情詩人が好む情景が歌われ、抒情歌そのもの...

願い、祈る。詩「いま、ここで」、『日本現代詩選』。

 願いと祈りを、東日本大震災でお亡くなりになった方々、今なお苦しみ悲しみを抱いて生活していらっしゃる方々に捧げます。 想いを込め、詩「いま、ここで」を、『日本現代詩選 第36集』(2013年3月1日、日本詩人クラブ刊)に掲載しました。 ホームページの「新しい詩」にも公開しました。   詩「いま、ここで」   (クリックしてお読み頂けます)。...

二階堂晃子の詩。悲しみの向こうに。ふるさとを想う。

 私のホームページの「好きな詩・伝えたい花」に、福島の詩人・二階堂晃子さんの詩を紹介させて頂きました。  詩「生きている声」「双葉町両竹の兄」「光る文字が」  (クリックしてお読み頂けます)。 二階堂晃子さんは詩集『悲しみの向こうに ―故郷・双葉町を奪われて』を2013年3月11日コールサック社から出版されました。 同書「あとがき」の思いに私は心打たれ強く共感しますので、抜粋し紹介します。「私の故郷は、福...

司茜の詩。愛と書く。

 詩人の司茜(つかさ・あかね)さんの詩3篇「おっちんして」「二上山」「へいわ」を、私のHP「愛のうたの絵ほん」の「好きな詩・伝えたい花」に掲載させて頂きました。   司茜の詩「おっちんして」「二上山」「へいわ」  (クリックしてお読み頂けます)。 詩「おっちんして」は昨年2012年7月に詩誌「山脈 第二次」で発表された新しい作品、詩「二上山」と詩「へいわ」は、詩集『塩っ辛街道』(2010年思潮社)収録作品です...

斎藤史の短歌。眼に見えぬものを、歌う人。

 ここ百年ほどの時間に歌われた詩歌から、短歌の形で咲いた心の花をみつめています。今回の歌人は斎藤史(さいとう・ふみ、1909年・明治42年東京生まれ、2002年・平成14年没)です。 好きな歌10首を選びました。一首目は、歌において、イメージの鮮明さもまた大きな魅力であることを思い出させてくれます。三十一文字と言う限られた字数でありながら、伝えられるものは限りなくひろがっていること。この歌は、雪の山のずっと奥ふ...

五島美代子の短歌(二)。人間の心と感受性の歌。

 ここ百年ほどの時間に歌われた詩歌から、短歌の形で咲いた心の花をみつめています。前回に続き歌人は五島美代子(ごとう・みよこ、1898年・明治31年東京生まれ、1978年・昭和53年没)の人間性ゆたかな歌、今回は15首です。  最初の6首には、この歌人のいのちと人間と社会を見つめるまなざしの深さを感じます。文学や詩歌は、人間には決してわからない「真理」を主張するのではなく、生きている時間、瞬間の真実を言葉で伝えよ...

五島美代子の短歌(一)。母も育ちたし、子を、娘を愛して。

 ここ百年ほどの時間に歌われた詩歌から、短歌の形で咲いた心の花をみつめています。 今回の歌人は五島美代子(ごとう・みよこ、1898年・明治31年東京生まれ、1978年・昭和53年没)です。 私は出典の本を通読しながら、好きな歌に印をつけ、その数が多い歌人をとりあげていますが、いちばん多くその印をつけていたのが、初めて出会ったこの歌人でした。彼女のようなヒューマニズム、人間性あふれた歌人がもっと知られてよいと私...

Appendix

プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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