万葉集の作者未詳の歌のなかで、私が好きな
東歌(あづまうた)について記します。
巻第十四のこれらの歌は、東の国々の地名が多く詠まれていて、当時の方言・訛りも多く、独特のしらべに揺れ動きます。
性愛のストレートな表現も特徴ですが、それは逆にこれらの歌が、民謡に近いもの、歌垣などでの女と男の言葉のかけあいから生まれたもの、あの時代にいた人たちの共有の謡いもの、歌謡曲だったからだと言われていて、私もそのように感じます。
寝た、寝たいなど直接的な表現は、おおっぴらなぶん、明るく肯定的で、祭りのそわそわする気持、集まった男女の間に漂う赤らんだ、ほてった気持ちを、みんなで楽しんでいるような場所で、生まれ、歌われ、伝えられたように感じます。私はそんな東歌が嫌いではありません。人は昔も今も変わらないんだって思います。
それがいちばん東歌の良い面である反面、巻第十一・十二の正述心緒の相聞歌に満ちている個人としての女と男が向き合い愛しあう思いの切実さは感じとれません。
同じ東歌でも、
防人歌(さきもりうた)だけはまったくちがう切実な思いの悲しい歌です。すべてが作者未詳歌ではありませんが、ほとんど無名の個人の思いの歌です。
その大部分は巻第二十に集められているので、その歌に感じ思うことは次回に記します。
「愛(かな)しい詩歌」に巻第十四の好きな東歌を少しですが咲かせました。
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