万葉集の東歌のうたのなかで
防人歌(さきものりうた)は、すべてが作者未詳歌ではありませんが、ほとんど無名の個人の思いの歌、切実な思いの悲しい歌です。
巻第十四の東歌のなかにその一部があり、大部分は巻第二十に集められています。
「愛(かな)しい詩歌」に巻第二十の好きな防人歌を咲かせました。
防人歌は、中央国家に徴兵され九州に派兵された東国の人々の歌です。
二度と会うことができないかもしれない、死に別れとなるかもしれない、人から人への愛する思い、切実な別れの悲しみに心をうたれます。
私の心に万葉集の防人歌の悲しい体温が残って揺れ続けるのは、女と男が強く愛する思いを何とか伝えよう、忘れずに抱き続けようとこめた願い、子と父と母がもう会うことができないかもしれない別れにどうしようもなく流れでた悲しみが、胸の奥の痛みの熱さがこもった涙のままあふれ出る歌の姿で、時を越えて今も揺れ続けているからだと思います。
防人歌にまた私は、この国でほんの少しまえ、数十年前に、千数百年前と同じ事があったこと、万葉の時代と同じ心の痛み、悲しみを抱かずにはいられなかった人たちがいたことを思います。
私の母方の祖父は従軍し戦死しました。父方の祖父母も戦時が生んだ事故でなくなりました。忘れてはいけないと考えます。
『きけわだつみの声』(岩波文庫)に救い上げられた悲しみは海の波のほんの一滴の言葉で、知られないだけで、あまり見えないだけで、悲しみは今も変わらずにあること、胸に抱いて生きている方がいることを、忘れてはいけないと思います。
ホームページの「好きな詩・伝えたい花」で紹介させて頂いた
詩人の宮城松隆さんは1943年那覇生まれです。沖縄戦をまともに浴びた方です。
詩「沖縄戦と看守S」「避難」となった絶望から目を逸らしてはいけないと私は思います。
防人歌に思いをめぐらしたときに、同じ悲しみを抱いて生きている若者が、この島の周りにいることを、思います。韓国で徴兵される若者たちの苦渋の表情、姿ににじみ出る思いとの、交わりと葛藤を、
詩人の森田進さんの詩集『乳房半島・一九七八年』、『野兎半島』から心に問いかけることができます。安易な言葉では表現し難い屈折せざるを得ない記憶を抱えた思いのこの交わりを、詩だから伝えることができること、摩擦と衝突を恐れずに向き合おうとして始めて、思いを感じとり理解しあう可能性が芽生えることを、この詩集で私は学びました。
戦争は、人が生きはじめてから、途絶えたことがありません。生まれ続けた防人歌の悲しみ、今ある同じ悲しみを感じとろうとする心を失わないことが、防人歌をこれからふやさないために、過ちを繰り返さないために、偽りのない確かなものだといえるのではないかと、私は考えます。
今回の苦しいテーマを考えるとき、
詩人・小説家の原民喜を思わずにはいられませんが、広島の原爆をまともに浴びた私が尊敬するこの詩人の魂については別の機会に必ず記したいと思います。
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