ここ百年ほどの時間に歌われた詩歌から、短歌の形で咲いた心の花をみつめています。
今回の歌人は
窪田空穂(くぼた・うつぼ、1877年・明治10年長野県松本生まれ、1967年・昭和42年没)です。
私は最近2冊の短歌選集を併読しましたが、今回は
『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)からです。ここ数回主に出典とした『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)も、彼の作品を収録していて先に読みましたが取り上げようとまでは思いませんでした。編者が違う今回の出典の歌には、心に響く心打たれる歌が散りばめられていると感じました。
このことから、選ばれる歌集と歌によって、出会いがまったくことなることを思います。ひとりの人間の心の広がりと深さは限りなく、詩歌は心の異なるところから一回きりの表情で生まれてきます。ひとりの作者のどのような心の姿の歌が、他者である読者の心の海にどのようなこだまの波紋をひろげるかは、偶然だからこそ、感慨も深まる気がします。
窪田空穂の言葉は、以前のブログ
「愛(かな)しく愛(いと)しい歌、『遺愛集』」でとりあげたことがあります。
死刑囚の歌人・島秋人の歌集(
愛しい詩歌 『遺愛集』島秋人の歌 )についての理解と歌集へ添えた言葉から、空穂が人と詩歌の真実を深く知る人だったと私は感じます。
この二人の詩歌をとおした心の交感から、最近読み返した私には
『平家物語の』巻七「忠度都落」が思い起こされます。逃れられない死を目の前にした人と師の、詩歌を介する真率な対話の姿は、時を越えて重なりあいます。
平忠度(ただのり)は都落ちするとき一度引き返して、和歌の師である
藤原俊成に書き溜めた歌を託し、朝敵の身となった彼の歌一首を、俊成は勅撰歌集の
千載集に名を隠し「よみ人知らず」の作として載せました。
さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな
十代の頃たぶん教科書ではじめて読んだ気がしますが、心打たれ、私は平家物語の中で今も変わらず好きな段です。
空穂の歌から私の心に強く響いた歌を9首選びました。
最初の5首は、
日中戦争・太平洋戦争時の歌、戦死した甥を思う歌に心痛みます。
次の2首は、歌人として芸術を愛す強い意思が、芯の強さをもって美しく響きます。
最後の2首は、老いの悲しさのうちにも、澄み切った愛を感じます。
このような歌をうたえる歌人だからこそ、『遺愛集』島秋人と魂の交流ができたのだと、私は敬愛の思いを強くします。
『冬木原』1951年・昭和26年
学徒みな兵となりたり歩み入る広き校舎に立つ者あらず
いささかの残る学徒と老いし師と書に眼を凝らし戦(いくさ)に触れず
この露地の東の果ての曲りかど茂二郎生きてあらはれ来ぬか
湧きあがる悲しみに身をうち浸しすがりむさぼるその悲しみを
わが写真乞ひ来しからに送りにき身に添へもちて葬(はふ)られにけむ
『卓上の灯』1955年・昭和30年
胸をどり読みゆく文字やわが未知はわれに夢なりかぎりのあらぬ
一瞬のこころの動き捉へられ画としなりては永久(とは)にとどまる
『清明の節』1968年・昭和43年
わが腰を支ふる老婆力尽き倒るるにつれてわが身も倒る
生を厭ふ身となりたりと呟けば哀しき顔して妻もの言はず
出典:『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)。 次回も、歌人の心の歌の愛(かな)しい響きに耳を澄ませます。
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