出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性が心に響いてきた歌人について好きだと感じた歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせる歌人を私は敬愛し、歌の美しい魅力が伝わってほしいと願っています。
出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。
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近藤芳美(こんどう・よしみ、1913年・大正2年韓国馬山浦生まれ)
たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき 『早春歌』1948年・昭和23年
手を垂れてキスを待ち居し表情の幼きを恋ひ別れ来りぬ
耳のうら接吻すれば匂ひたる少女なりしより過ぎし十年 『埃吹く街』1948年・昭和23年
◎これら三首は、清純さが薫る異性との恋愛の歌、美しい抒情歌です。
一首目は、恋愛の胸の高鳴る時間を音楽の「楽章」と美しい詩句で捉えています。二首目も、忘れがたく焼きついた恋人の表情、その愛しさが「幼き」に湛えられています。二首とも、逢えた後の別れの切なさを「霧とざし」、「恋ひ別れ来りぬ」に凝縮して響かています。
三首目は接吻の表現がとても美しいです。三首ともに時の流れを湛えている歌です。過ぎた時間を思い起こし歌っているので、過ぎ去った時の流れの向こうに、二人の時間が淡くかすみ、なおさら切なくかけがえのない姿で輝いています。
恋人にとっては数秒前の別れであっても永遠の長い時のよう、逆に十年経てもその美しさが数秒前と変わらないのが恋愛だと、歌っているようです。
この詩型に新しき生を賭け得るや連れ立ち帰る家低き街 ◆同上
まして歌などこの現実に耐へ得るや夜を更(ふ)かし又耳鳴りがする ◆
◎1945年の敗戦後の精神風景があらわにされています。価値観の百八十度の転換に投げ込まれ、戦中戦前、明治以来の近代短歌のありようを懸命に問うのは、やはり詩歌を歌わずにいられない人だからこそと感じます。この二首の問いは、その時代だけでなく、時代に関わらずいつもあるもの、私も抱いています。それでも歌わずにいられないのが、歌人であり詩人だと、私は思います。
傍観を良心として生きし日々青春と呼ぶときもなかりき 『静かなる意志』1949年・昭和24年
身をかはし身をかはしつつ生き行くに言葉は痣の如く残らむ
◎戦争中に多感な青年期、恋愛や正義に思い悩む季節を剥ぎ取られた世代の、苦渋の歌。「痣の如く」としう詩句が、そのようにしか生きる方法がなかったと、心に苦く痛く、刻まれるようです。
犠牲死の一人の少女を伝え伝え腕くみ涙ぐみ夜半に湧く歌 『喚声』1960年・昭和35年
◎60年安保闘争デモでの樺美智子さんの死を傷む歌。この瞬間の傷みと連帯の想いが凝結し、政治的な価値観に曇らされず潰されずに、屹立した歌として心に響きます。
核兵器地の隈覆いようやくに知るべき虚妄国と呼ぶものに 『樹々のしぐれ』1981年・昭和56年
『殺すな』という一点に立ち返るべき岐路の問い世界の運命として ◆『希求』1994年・平成6年
◎これら二首は、主張する歌で「知るべき」「返るべき」と意思を明確に表現しています。これは先に見た問いかけの歌「この詩型に新しき生を賭け得るや」「歌などこの現実に耐へ得るや」と呼応しています。
戦争をくぐりぬけて生き抜いてきた歌人の言葉だからこそ、この言葉には政治的な戦略や力学が押し潰すことの決してできない個人の真実が響いていると感じます。だからこそ、「虚妄国とよぶものに」、「『殺すな』という一点に」という詩句は、主張の押付けにまつわりがちな「口先だけの嘘」だとは感じさせない歌としての真率な響きを、辛うじて持ちえていると思います。
私個人は、「虚妄国とよぶものに」、「『殺すな』という一点に」、この言葉に強く共鳴します。
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)から。
次回も、美しい歌の花をみつめます。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年
3月11日、
イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
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