前回に続き『紫式部日記』を通して『源氏物語』の作者の千年前の思いのうち、私の心を波立たせてくれた彼女の吐息にふれます。 はじめの引用箇所は、この日記のなかで、彼女が自分自身を省みた思いを書き記されているところです。紫式部の日記を読むと、宮廷でのできごとを書く場合にでも、最後には自分自身にひきよせて考える、とても内省的な魅力ある女性ですが、その心をみつめる姿が浮び上がっています。考える前に、考える...
気の向くままの寄り道です。今回と次回は『紫式部日記』を通して『源氏物語』の作者の千年前の思いのうち、私の心を波立たせてくれた彼女の吐息にふれます。 今回は紫式部が和泉式部の和歌について記した個所です。次の言葉が私にはとれも印象的でした。 「口から出るにまかせたあれこれの歌に、必ず魅力のある一点で、目にとまるものが詠みそえてあります。」 「実にうまく歌がつい口に出てくるのであろうと、思われるたち...
詩歌と歌謡の交わりを考えています。前回とりあげた神楽歌は主に宮廷儀礼で謡われましたが、そこからあふれでてひろく謡われた流行唄(はやりうた)が催馬楽(さいばら)です。 私が今回言いたいのは、紫式部は流行歌も好きだった、という一点です。 まず、『源氏物語』に登場している二曲を引用して催馬楽に触れてみます。◎引用1貫河(ぬきかは)貫河の瀬々(せぜ)の やはら手枕(たまくら) やはらかに 寝(ぬ)る夜(...
詩歌と歌謡の交わりを主題に、古代歌謡の豊かな姿をみつめました。今回は続く時代、『古今和歌集』がまとめられ短歌の規範が確立された時期に生まれた歌謡である神楽歌(かぐらうた)を見つめます。(神楽歌と関係のふかい催馬楽(さいばら)については次回取り上げます。) 私自身が、古代歌謡には親しみを抱いてきましたが、神楽歌と催馬楽については、そのようなものがあった、ということくらいしか知りませんでした。まず...
歌謡と詩歌の交わりの視点から古代歌謡を見つめなおしています。今回は最終回として古代の物語歌から、聖徳太子の飢え人についての歌をとりあげ、古代歌謡と和歌について考えます。 この物語歌について、出典著者の土橋寛は次のように述べています。 「片岡山の生き倒れを歌った歌を、宮廷で歌うような場はありえなかったと思われるのであり、(略)とすれば、法隆寺の法要などの折に、この片岡説話が語られるとき、この歌が夷...
ホームページの「虹・新しい詩」に、新しい詩「こころ絵ほん(よん)天の川、愛のうた」を公開しました。詩「こころ絵ほん(よん)天の川、愛のうた」お読みいただけると、とても嬉しく思います。...
歌謡と詩歌の交わりの視点から古代歌謡を見つめなおしています。今回と次回は古代の物語歌をとりあげます。今回の物語は古代の同母兄妹の悲恋物語です。☆作品(原文と訳文)天皇崩(かむあが)りまして後、木梨軽太子(きなしのかるのみこのみこと)、日継(ひつぎ)知ろしめすに定まれるを、未だ位に即位(つ)きたまはずありし間(ほど)に、その同母妹(いろも)軽大郎女(かるのおほいらつめ)にたはけて、歌日たまひしく、...
歌謡と詩歌の交わりの視点から古代歌謡を見つめなおしています。今回も古代の芸謡を前回に続きとりあげます。ただし宮廷で謡われた専門の語部(かたりべ)による芸謡ではなく、都市の一般の民衆を聴衆とした芸人である乞食者(ほかいびと)が謡った芸謡です。☆作品(原文と訳文) おし照るや 難波(なには)の小江(をえ)に 蘆(いほ)作り 隠(なま)りて居(を)る 葦蟹(あしがに)を 大君召すと。 何せむ...
歌謡と詩歌の交わりの視点から古代歌謡を見つめています。記紀歌謡を中心とする古代歌謡のなかで、私がとても好きな歌謡を以前ブログ「古代歌謡。無韻素朴の自由詩。」に咲かせました。 古代歌謡という花々のなかでこの抒情恋愛詩は、次の歌と並んで同じ「芸謡」という丘に咲いています。☆作品(原文と訳文) 八千矛の 神の命(みこと)は 八島国(やしまくに) 妻枕(ま)きかねて、 遠々(とほどほ)し 越(こし)...
歌謡と詩歌の交わりの視点から古代歌謡を見つめています。今回から作品そのものから、聴きとります。最初は古代の歌垣で謡われた民謡です。☆作品(原文と訳文)歌垣の歌 霰(あられ)降る 杵島(きしま)が岳(たけ)を 嶮(さが)しみと、 草取りかねて 妹が手を取る〈訳:(霰降る)杵島の岳が嶮しいので、(山に登るのに)草に取りつくことができずに、妹の手を取るよ。〉 高浜(たかはま)に 来寄する浪の ...
ホームページの「虹・新しい詩」に、新しい詩「こころを込めて」を公開しました。詩「こころを込めて」お読みいただけると、とても嬉しいです。...
歌謡と詩歌の交わりの視点から、古代歌謡をみつめています。今回は出典の小島憲之氏「古代歌謡」をとおし、句数(音数)から表現形式の特徴を考えます。 句数(音数)が奏でる音数律は、明確で厳格な頭韻や脚韻や口語韻の押韻規則をもたない日本語の韻文においては、とても大切なものです。 これまで考えつくされたかのようにも思えたこの主題についての、著者の、歌謡という視点からの、ユーカラや琉球古謡という広く豊かな母...
歌謡と詩歌の交わりの視点から、古代歌謡をみつめています。今回は出典の小島憲之氏「古代歌謡」をとおし、古代歌謡の表現形式の特徴を考えます。 前回、古代歌謡は、「すでに音楽を失った古代の歌謡、換言すれば音楽が歌詞(文学)からは離れている歌謡」だと記しましたが、そのような歌謡をみつめ捉えなおす方法として、著者は、アイヌのユーカラ(Yukar)や琉球八重山古謡ユンタ、おもろさうしなどの、謡われる姿が今に伝...
歌謡と詩歌の交わりについて、みつめていきます。まず古代歌謡からです。 私の心に強く響く歌謡をとりあげたりしながら、その独立した個性と詩歌との入り混じる重なりを考えていきたいと思っています。 今回から三回は、出典の小島憲之氏「古代歌謡」をもとに古代歌謡の表現の特徴を考えます。続く数回は、古代の民謡、芸謡、物語歌を順にみつめていきます。 歌謡を考える時、小島憲之氏の次の言葉は、古代から現代までどの時...
私は歌、歌謡もふくめた歌が好きです。今回は芸と芸術と生活の糧について思うままに記します。 歌謡、芸謡曲のいちばんの良さは、楽しさ。悲しんで感情移入した後にも元気になれること、だと思います。 旋律と声が重なり美しく響く、情感のこもった人を思い愛して喜び哀しむ歌が、私はいちばん好きです。心の感性、変えられない顔だちなのかもしれません。私は知の人ではなく情の人だと思います。 歌謡、芸謡曲の歌詞のわかり...
好きだった、好きな歌です。歌謡と詩歌の交わりの推移について書いていきますが、今回は力をぬいて軽く楽しく、私自身が好きになった歌謡(芸謡)を思い出してみます。歌手名と曲名だけしか記しませんが、その歌を好きな方はそれだけで思い浮かぶと思います。(表記はうろ覚えで不正確です。)☆ 1970年頃。5、6才頃。皆川おさむ「黒ネコのタンゴ」。歌手になりたいとまねて歌ってた。フォーククルセダーズ「帰ってきたヨッパラ...