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古代の物語歌(二) 慈悲の物語歌

 歌謡と詩歌の交わりの視点から古代歌謡を見つめなおしています。今回は最終回として古代の物語歌から、聖徳太子の飢え人についての歌をとりあげ、古代歌謡と和歌について考えます。

 この物語歌について、出典著者の土橋寛は次のように述べています。
 「片岡山の生き倒れを歌った歌を、宮廷で歌うような場はありえなかったと思われるのであり、(略)とすれば、法隆寺の法要などの折に、この片岡説話が語られるとき、この歌が夷振(ひなぶり)で歌われたものと解されるのである。」
 また『万葉集』には和歌の姿で採られています。

作品(原文と訳文)

  『日本書紀』104

十二月の庚午(かのえうま)の朔(つひたちのひ)に、皇太子(ひつぎのみこ)、片岡(かたをか)に遊行(い)でます。時に飢者(うゑたるひと)、道の垂(ほとり)に臥(こや)せり。よりて姓名(かばねな)を問ひたまへども、言(まを)さず。皇太子、視(みそな)はして飲食(をしもの)を与(たま)ふ。即ち衣装(みけし)を脱ぎて、飢者(うゑたるひと)に覆(おほ)ひて言(のたま)はく、「安(やす)らかに臥(こや)せ」とのたまふ。則(すなわ)ち歌(うた)ひて曰(のたま)はく、

  しなてる 片岡山に
  飯に飢(ゑ)て 臥(こや)せる その旅人(たひと)あはれ。
  親なしに 汝(なれ)生(な)りけめや
  さす竹の 君はや無き。
  飯に飢(ゑ)て 臥(こや)せる その旅人(たひと)あはれ。

<訳:
(しなてる)片岡山に、食物に飢えて臥している旅人よ、ああ。
おまえは親無しに生れて来たわけでもあるまい。
(さす竹の)領主はいないのか(面倒を見てくれる親も領主も、いないわけではるまいに)。
食物に飢えて臥しているその旅人よ、ああ(かわいそうに)。>

  『万葉集』巻三

上宮聖徳皇子、竹原井に出遊(い)でましし時、竜田山の死人を見て、悲傷(いた)みて御作(つくりませる)歌一首

  家にあらば妹が手まかむ草枕旅に臥(こや)せる此の旅人あはれ


 聖徳太子のものとされるこれらの歌謡と和歌は、彼そのひとが歌ったものかどうか、その確かさはどうであれ、歌われた心に私は共感します。仏教の慈悲の心はたしかに伝えられてきたのだと感じとれます。
 どちらも心に響く歌ですが、『日本書紀』と『万葉集』には異なった姿で伝えられています。『日本書紀』と『万葉集』の歌のかたちの、違いと特徴、共通点を通して、古代の歌謡と和歌の交わりについての考えをまとめてみます。

☆ 『日本書記』
◎ 歌のかたち
  散文の説話に挟みこまれた歌謡
◎ 表現方法
  法隆寺の法要などで説話が語られるときに、ふしをつけて歌われた。
◎ 表現形式
  5音・7音に限られない自由な音数律にのびやかさがある。(ふしに合わせ謡われるときには言葉の引き延ばしや緩急がつく)。
 詞句のくり返し、対句があり、それによる押韻、韻律が美しく響く。
◎ 特徴
  謡われる声が響くその時その場に輝きがある。(ふしも声も、謡われた後には消えさるものだけに、意識が高まる)。
  その時を感じつくしその情感に浸り尽し燃えつくす刹那の感情の真実さ、強さをその命とする。

☆ 『万葉集』
◎ 歌のかたち
  三十一文字の和歌
◎ 表現方法
 和歌として書き記され詠みあげられた。 
◎ 表現形式
  5・7・5・7・7音、三十一文字の、均斉美。
  鼓動に似た音数のリズムが心に自然に快く響く。
◎ 特徴
  声に出して詠まれるときにも、文字が意識されている。(文字として残し伝承し詠み返すことへの意識がある)。
  時の流れのなかで、くり返し詠み、心に焼きつけ、伝えていく、変わらぬ永遠をみつめる真実さ、強さをその命とする。

☆ 古代の歌謡と和歌の交わり
◎ 共通する源
  歌謡も、和歌も、声調・言葉の響きが、美しさが湧き出す泉、共通の源となっている。
◎ 謡われたもの、詠まれたもの。歌謡と和歌。
 古代の歌謡は、文字のない時代に謡われるものとして生まれた。
 その後も謡われることが表現方法の中心であったとしても、筆録の時代になって和歌と同じように詠まれる歌謡もあらわれた。
 表現される時と場により、謡われることもあり、筆録文学として詠まれることもある、歌謡も生まれた。
 古代の和歌は、歌謡のゆたかな音楽性をとりこみながら、詠みあげられるものとして生まれた。

 私は古代の歌謡と和歌の交わりの姿は、このようなものであったように感じます。
 歌謡と詩歌の境界には完全な断絶などなくて繋がっています。声を響かせ謡うことをより目指したものか、筆録され伝承することをより目指したものか、作品による度合いの違いがあるだけだと思います。
 今書かれた詩歌に曲がつけられ歌曲として歌われることがあるように、歌謡の歌詞を美しい詩句として心に刻むことがあるように、歌謡と詩歌は愛し合う男女のように交わりながら、お互いを豊かにしていくものだと、私は思います。生まれ出た泉にふたりを、地下水系のように結びつけているのは、人の心、感動すること愛することができる人間の心です。

 次回からは、神楽歌(かぐらうた)・催馬楽(さいばら)を聴きとることに進めたいと思います。

出典:「記紀歌謡」土橋寛『鑑賞日本古典文学第4巻 歌謡Ⅰ』(角川書店、1975年)
(* 漢字やふりがな等の表記は読みやすさを考えて変えた箇所があります。)

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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年同
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年同
「愛(かな)」1993年同
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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