図書館で、万葉集の花の本を見つけて数冊借りました。うた、ことばと、写真と絵がささやきあう、野の花のような。
和歌の花は桜になりすぎましたが、桜は私も好きですが、いろんな花の名と表情はみんなちがってきれいで、話をしたくなります。
万葉の花のいろんな本をずっと読んでいますが、河原で、秋の七草の、葛(くず)の花を見つけました。うれしく思います。すこし紫がかったピンクが空へ、夕焼けに染め上げられる空へのぴ、きれいです。
日本語の、語感を、感じなおし呼び覚ましたくて、私は古典を読み返します。
万葉集を巻一から、好きな歌は万葉仮名の文字と訓(よ)みを学んでいます。
柿本人麻呂
東(ひむがし)の
野に炎(かぎろひ)の
立つ見えて
かへり見すれば
月傾(かたぶ)きぬ万葉仮名での
一句二句は、
東 野炎
五句は、
月西渡
とても印象深い漢字と訓み、表現です。
訓(よ)みは、
伊藤博の「万葉集」角川ソフィア文庫では、
一句二句が
東の野にはかぎろひ立つ見えて
中西進の「校訂萬葉集」角川書店では、
東の野にかぎろひの立つ見えて
さまざまに読む試みが積み重ねられ伝えられ選ばれてきたことわかります。
五句の、月西渡 は
ツキカタブキヌ 。
中世の勅撰集
「玉葉集」では、京極為兼(ためかね)に
「かぎろひ」は「けぶり」と読まれています。
江戸の万葉国学者の
賀茂真淵が「かぎろひ」と読んだとされています。
柿本人麻呂がどうよんだか、もう誰にもわかりませんが、文学には誤読の自由があり、
誤読は読者の想像のはばたき、創造です。
こたえは強制されるようないびつな不自由な桎梏ではなく、
読者の心がふくらませかたちをかえてよいのびやかに見つける美しいもの。
ひとりの創作者として、文学が好きな読者として、私はそのように思います。
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