私のホームページ『愛のうたの絵ほん―高畑耕治の詩と詩集』に、新しい詩を生み出し発表していくことが、詩人として今の私のすべてです。今年生まれてくれた詩の子どもたちが、のびやかに心を響かせて歌い続けてくれますように。 また、既刊詩集の詩を先日やっと全篇公開できました。 その喜びの気持ちのままに、それぞれの詩集の「あとがき」を添えるかたちで公開しました。 詩で表現することに徹しようと頑なだった私は、「...
作家・崎本恵さんの小説『時の疼(いた)み』と峠三吉の『原爆詩集』を通して、戦争について考えてきました。今回はまとめとしてこの詩集の「あとがき」の言葉と、長編詩「その日はいつか」をみつめ考えます。 「あとがき」の言葉は、「過ちをもう二度と繰り返さない」ために心にとめておくべきことを教えてくれます。政治的な対立の言葉の次元で翻弄されてしまいそうな時、あくまで大切なのは「平和へのねがい」です。 峠三吉の...
今回は、峠三吉の『原爆詩集』から六篇の詩を紹介させていただきます。これらの詩は、生得の瞳と優しい手への贈り物だからです。『八月六日』、『仮繃帯所にて』、『としとったお母さん』、『ちいさい子』、『微笑』、『ある婦人へ』。 どの詩も、「国家」や「民族」や「社会」ではなく、ひとりひとりのひとを、命をみつめ、語りかけ、思いやり、思いをともにしようと懸命に、歌っています。 そのことは、この詩集の「あとがき...
詩集『死と生の交わり』の詩全篇をホームページ公開しました。 今回、つぎの24篇の詩・作品を追加公開し、この私の第一詩・作品集全篇をご覧いただけるようにできました。 詩集『海にゆれる』と『さようなら』は全篇を既に公開していましたので、今回やっと既刊詩集の詩全篇をホームページ公開できました。 絶版本に閉じ込められていた子どもたちを、ふと読みたいと感じてくださった方に届けられる機会をつくれたことを、と...
前回の作家・崎本恵さんの小説『時の疼(いた)み』と深く響きあう峠三吉の『原爆詩集』を感じとります。 政治家は、「国家」のため「民族」のため「社会」のためという概念のごまかしのなかに、ひとりひとりの顔と命を覆い隠し見えない状態にして、有権者、選挙権のない子供たちを追い込みます。 だから原爆計画を用意周到に計画し実行した政治家、軍部、兵士を私は憎まずにいられず、決して許せません。でもだからこそ同時に...
詩集『愛のうたの絵ほん』、詩集『愛(かな)』の詩全篇をホームページ公開しました。 今回、つぎの6篇の詩を追加公開し、どちらの詩集も全篇をご覧いただけるようにできました。 昨秋編んだアンソロジーに収録しなかったこれらの作品は、ある意味、不出来な落ちこぼれですが、わたし自身が社会的な地位はどうでもよい落ちこぼれですので、わたしにとっては大切な子どもです。どれも癖のある作品で、とがってもいますが、それは...
敬愛する作家の崎本恵さん(詩人・神谷恵さん)は、父と戦争についての私の思いと不思議なほど重なる小説『時の疼(いた)み』を発表されています。 前回はこの小説が、戦争体験をくぐりぬけ生きた父を親不孝な娘が探し語っていること、についての私の思いを記しました。 今回はもうひとつの共鳴、文学者として戦争をどのように書き伝えるかということについて、この小説を通して感じ得た私の思いを記します。 著者はこの小説で、...
前回は、私の父が巻き込まれた戦争に感じた思いを記しました。 作家の崎本恵さん(詩人・神谷恵さん)は、この私の思いと不思議なほど重なる小説『時の疼(いた)み』を発表されています。 ひとつには、この小説もまた、親不孝な娘が戦争体験をくぐりぬけ生きた父を探し語っていること、もうひとつには、文学者として戦争をどのように書き伝えるかということで、恐ろしいほどに私の心をも語ってくれる小説です。 今回は、「親不孝...
今年十月下旬に私の父は癌でなくなりましたが、再発入院した九月に私には生涯忘れられない事がありました。私の姪、父の孫が見舞いに駆けつけてくれたときに「おじいちゃん、戦争の話、聞かせて」と話しかけてくれて、父は話してくれました、私も聞かされたことのなかった父の戦時の記憶を。 終戦が差し迫っていた年、父は小学生でしたが、父と母と末の妹(私の祖父と祖母と叔母)を亡くしました。戦地に赴く父の兄を見送りに行...
『田植草紙(たうえぞうし)』は、朝歌から、昼歌、晩歌へと一日の時の流れにのり合せて140の歌で構成され、歌われます。 前回とりあげた10歌に続き、今回は晩歌から10歌をとりあげました。どれも歌謡としての特徴が輝いていて私が好きだと感じる歌です。 出典からの引用のあと、☆印に続けて、私が感じとれた詩想を記します。挽歌二番 (101)山が田を作れば おもしろいものやれ 猿は簓(ささら)擦(す)る 狸(たぬき)鼓(つづみ...
『田植草紙(たうえぞうし)』は、朝歌から、昼歌、晩歌へと一日の時の流れにのり合せて140の歌で構成され、歌われます。田植神事での囃し歌として、中世から歌い継がれ、今も記憶され歌われていることはすごいと私は思います。アイヌ神歌が私はとても好きですが、民族という名を越えて通い合うものはあるのだと感じられることを嬉しく思います。 全体の中から、今回と次回、10歌ずつ20の歌をとりあげました。どれも歌謡とし...
海と時を越えて詩歌の旅をしています。久しぶりに日本に戻ります。 古代からの歌謡と詩歌の豊かな交わりをみつめてきましたが、今回は古くから現在まで歌い継がれている歌謡、民謡をとりあげます。 私の母の郷里は島根県の石見地方ですので、幼少期の夏休みに訪ねた一面の田んぼがひろがり、かえるが夜通し合唱する美しくのどかな心やすらぐ風景が、祖母のほほ笑みにつつまれ心に焼きついています。 ですから、出典の「囃(は...
ダンテの『神曲』について「地獄篇」を中心にこれまで書きましたが、まとめとして今回は「浄罪篇」と「天堂篇」を見つめます。 ダンテは、「地獄篇」で地球の地下深い地獄へ下る旅を終えた後、「浄罪篇」ではエルサレムの地球の反対側にそびえる浄罪山を登り頂上の地上楽園(アダムとエヴァの原罪の地)に辿り着き、最愛の女性ベアトリーチェと再会します。そして二人、月天、水星天、金星天、太陽天、火星天、木星天、土星天、...
ホームページ『愛のうたの絵ほん』の「虹・新しい詩」に、新しい詩「さくらコスモス こころ絵ほん(なな)」を発表しました。 詩「さくらコスモス こころ絵ほん(なな)」 お読み頂けたらとても嬉しいです。...
今回は、ダンテの『神曲』を詩歌作品として読みとりながら私が考えたことを短く記します。 数回のエッセイのなかで私は『神曲』に教えられるところ、素晴らしいと感じるところだけを述べ、またダンテを詩人として敬愛すると書きました。 バランスをとるために付け加えると、私はダンテを聖人とも現世での崇拝すべき人とも思っていません。彼は政治的な闘争にまみれた人物だったし、党派抗争のリーダー格で戦闘にも加わっていて...
ホームページ『愛のうたの絵ほん』の「虹・新しい詩」に、新しい詩「はじめて愛したあのひとは」を発表しました。 詩「はじめて愛したあのひとは」 お読み頂けたらとても嬉しいです。...