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戦時マスコミと詩と詩人。萩原朔太郎。

 萩原朔太郎の詩と詩論を数回にわたって取りあげました。著名ではありましたが彼は生活無能者とされながら詩に生きました。私はそのような朔太郎が好きです。 この「詩で想う」で取りあげる古典、詩人、詩集について、私は書く際に(学術的な細かさ自体に価値を求めるわけではなく)、詩人への礼節と偏向を避けるためと、自分が少しでも深く知りたいから、その詩人のすべては無理でも、できるかぎり主要な詩、評論は必ず読み返し...

詩人・山本みち子さんの詩「方言札 」「 ヒメユリは」を紹介します

 詩人・山本みち子さんの詩「方言札 」と「 ヒメユリは」をホームページの「好きな詩・伝えたい花」で紹介しました。 山本さんは、2010年11月のご詩集『夕焼け買い』(土曜美術社出版販売)であとがきに「前(さき)の大戦の記憶を辛うじて留める世代として、長崎への原爆投下を幼い目に焼き付けた者として、(略)いま何かに背を押される感覚」があると書かれていらっしゃいます。込められた思いを心に留め伝えたいと願います。...

詩の音楽2作品。萩原朔太郎

 萩原朔太郎の詩論を、「詩を想う」で考えました。彼が独自の言葉で浮びあがらせた日本の詩歌、自由詩の本質は、次の言葉に要約されます。 「詩の詩たる真の魅力が、音律美を外にしてあり得ない。」 「自由詩の原理は、日本語の『調べ』という一語の中に尽きる」 「自由詩は、不規則な散文律によって音楽的な魅力をあたえるところの、一種の有機的構成の韻文である。」 「有機的な内部律(調べ)とは、言語の構成される母音と...

萩原朔太郎『詩の原理』(四)自由詩、日本語の「調べ」

萩原朔太郎の詩論『詩の原理』を通して、文学、散文、詩、日本の詩歌を見つめ直しています。今回は、「第十三章 日本詩壇の現状 1、2」での自由詩についての考察を取り上げます。冒頭に私が教えられたこと、感じ考えたことを記し、その後に朔太郎の言葉の原文を区分して引用します。  初めに朔太郎は、日本語による長篇韻文としての自由詩が生まれた軌跡を振り返ります。 「新体詩」からの模索を通して「七五調が破格を生み...

萩原朔太郎『詩の原理』(三)散文律の自由詩に行く

萩原朔太郎の詩論『詩の原理』を通して、文学、散文、詩、日本の詩歌を見つめ直しています。今回は、「第十二章 日本詩歌の特色」についての続きです。冒頭に私が教えられたこと、感じ考えたことを記し、その後に朔太郎の言葉の原文を区分して引用します。  初めに朔太郎は、詩の言葉としての日本語について、「日本語には平仄もなくアクセントもない」から、その「音律的骨骼は、語の音数を組み合す外にない」と、日本語を話し...

古代歌謡。無韻素朴の自由詩。

 「詩を想う」の「萩原朔太郎『詩の原理』(二)有機的な内部律(調べ)」に記した古代歌謡の、非定型な無韻の詩のうち、私がいちばん好きな『古事記』の恋愛詩を、愛(かな)しい詩歌に咲かせます。 日本の詩の歴史の初めに、『古事記』、『日本書紀』の記紀歌謡、美しい抒情詩《リリック》があることを、私は嬉しく思います。五七調が主流となる前の、無韻素朴の自由詩です。出典は、『古典日本文学1』(筑摩書房、1978年)の...

萩原朔太郎『詩の原理』(二)有機的な内部律(調べ)

 萩原朔太郎の詩論『詩の原理』を通して、文学、散文、詩、日本の詩歌を見つめ直しています。今回は、「第十二章 日本詩歌の特色」での、詩の言葉の美しさについての深い考察を取り上げます。 冒頭に私が教えられたこと、感じ考えたことを記し、その後に朔太郎の言葉の原文を区分して引用します。 初めに朔太郎は、西洋の詩がギリシャの叙事詩から始まったのと異なり、「日本の詩の歴史は、古事記、日本書紀等に現われた抒情詩...

萩原朔太郎『詩の原理』(一)純詩、抒情詩の外になし 

 萩原朔太郎が試行錯誤のすえにとりまとめた『詩の原理』は、彼の詩論の集大成であるとともに、文学、散文、詩、日本の詩歌を考え味わううえで本質的なことを教えてくれます。数回にわたり、その要旨を読み返しながら、私が教えられたこと、考えたことを記します。各回とも、冒頭に私の言葉を記し、その後に朔太郎の言葉の原文を区分して引用します。 初回は、「第三章描写と情象」、「第十一章 詩に於ける逆説精神 2」にある...

自由詩と定律詩。萩原朔太郎「自由詩のリズムに就て」

 前回に続き、萩原朔太郎の詩論を通して、詩って本当は何なのか、考えます。冒頭に私が朔太郎の言葉に学び共感し考えたことを記し、その後に朔太郎の言葉の原文を区分して引用します。 萩原朔太郎は、詩集『青猫』の付録として「自由詩のリズムに就て」を発表しています。『青猫』とそれに続く『蝶を夢む』が朔太郎の詩の中で私はいちばん好きです。彼が切り開いた口語自由詩の魅力と可能性を今なお伝え教えてくれる詩作品として...

詩を思ふとき。萩原朔太郎『月に吠える』序

 今回から複数回にわたり、詩人・萩原朔太郎の詩論、詩歌についての思いについて、その要点を抽出し、考えたいと思います。詩歌を深く愛し、言葉・歌について深く考え、心に響く詩を作った朔太郎に私は、多くのことを学びました。 各回とも冒頭に私が朔太郎の言葉に学び共感し考えたことを記し、その後に朔太郎の言葉の原文を区分して引用します。 初回は、詩集『月に吠える』の序での、朔太郎の詩についての宣言です。 私が愛...

詩 「愛(かな)3」、「愛(かな)4」 を公開しました。

ホームページの「虹・新しい詩」に、詩「愛(かな)3」、「愛(かな)4」 を公開しました。...

詩人・紫野京子さんの詩「日溜まり / 笹舟 / 草絮(くさわた)」を紹介します

 ホームページの「好きな詩・伝えたい花」で、詩人・紫野京子さんの詩「日溜まり / 笹舟 / 草絮(くさわた)」を紹介しました。 紫野さんは、生と死のあわいで祈り、あわいを行き来され、逝ったひとたちのおもいをすぐそばで感じ、伝えてくださいます、「忘れてはいけないからではなく / 忘れられないから」。阪神淡路大震災で「永遠に喪われた時」。それでも「私たちは 今も / 逝ったひとたちと共にいる」と。 今日1月17日...

愛(かな)しい詩歌、中原中也「嬰子」未刊詩篇

 「詩を想う」に出てくれた中原中也が歌った詩から、私の好きな花をここに招きました。 詩集『山羊の歌』の恋愛詩「盲目の秋」「みちこ」、詩集『在りし日の歌』の亡くした子供への鎮魂歌「また来ん春...」などとても好きな詩ですが、著名な詩集の収録詩なので選ばす、そこにはない未刊の詩から2篇を咲かせました。 未刊の歌も中也にとって大切なものだったと私は思います。タイトルもない(吹く風を心の友と)には「詩と其の伝...

中原中也の「ゆたりゆたり」

 私は自分がなぜ詩で伝えようとするのか、短歌や俳句ではないのか、小説ではないのか、創作・表現を行うと同時に、これまで考え、これからも考えたいと思っています。中原中也が30年の生涯をそうして生きたように。彼の「詩と其の伝統」から、共感した言葉を書きとめ、感じ思うところを記します。「」内が引用した中也の文章です。   中也はこの評論で、何を伝えようとしたかを、最後にまとめています。 「何かしら道具を以て...

詩人・吉川千穂さんの詩「海」と、詩集『再生』についての神谷恵さんの詩集評を紹介します

 ホームページの「好きな詩・伝えたい花」で、詩人・吉川千穂さんの詩「海」を紹介しました。 吉川千穂さんの詩は、魂の叫びです。私にとってもそれは詩の根源です。痛みに揺れ動く思いから詩が生まれる姿は、この詩「海」そのものです。 詩人・小説家の神谷恵さんによる吉川さんの詩集評「吉川千穂詩集『再生』を読む‐野の花のように生きるあなたへ」 も同時に紹介しました。 詩集『再生』に揺れ動く言葉の波が、詩人・神谷恵...

草野天平を青空文庫で見つけた

 主に著作権保護期間を過ぎた著作をインターネットで閲覧できる「青空文庫」を私は時たま散歩します。打ち込みされている人たちに感謝しつつ、利用させていただいています。 最近「青空文庫」で、草野天平という詩人の「詩人といふ者」という文章に出会いました。私は今日この執筆直前まで、蛙の詩で著名な草野心平が書いたんだ、いいこと言うなあ、と思い込んでいましたが、名前を良く見治すと「天平」となっているので誤植かと...

愛(かな)しく愛(いと)しい歌、『遺愛集』

 島秋人の『遺愛集』(1967年、東京美術)を初めて読みました。詩人の山下佳恵さんが教えてくださったのですが、思うことがとても多い歌集でした。 同書にある「著者のこと」を要約すると、昭和9年(1934年)生まれ、満州育ち、戦後新潟に引上げ、母は結核で亡くなった。本人も病弱で結核やカリエスになり小中学での成績は最下位で疎んじられ性格がすさみ少年院にも入れられた。昭和34年(1959年)餓えて盗みに入った家の人を殺し死刑...

愛しい詩歌 『遺愛集』島秋人の歌

 『遺愛集』島秋人著(1967年、東京美術)から、私の心に特に強く響いた歌を30首紹介させて頂きます。 当初数首から多くて10首の紹介を考えましたが、これ以上削れませんでした。生きることへのあふれだした思い、愛(かな)しみと愛(いと)しさと祈りが織り込められた歌に、心をうたれます。 *出典は、上記の新装版で、歌集は1960年(昭和35年)から処刑執行の1967年(昭和42年)まで時系列に編まれています。同著には手紙も編み込まれ...

『歌よみに与ふる書』正岡子規に

 正岡子規の『歌よみに与ふる書』を読み返して考えたことを記します。 子規は、藤原俊成が『古来風躰抄』で「歌の本體には、ただ古今集をあふぎ信ずべき事なり。」(ただ古今集を理想と仰ぎ信じるべきである)としてから数百年間の常識を覆そうとして、「貫之は下手な歌よみにて古今集は下らぬ集に有之候。」(再び歌よみに与ふる書)と主張しました。この触発的な文言だけに反応すると子規の本意を見逃してしまうにも関わらず、私...

Appendix

プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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