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風土記の逸文の浦島伝説は魅力的でした。「釈日本紀」巻十二「浦嶋子」。(亀ヒメとの約束を忘れウラシマが開けてしまったとき、肉体が年老いたのではなく、玉手)箱に封じ込められていた亀ヒメの魂が飛んで常世に帰って行ってしまった。そして、恋しさに我慢できず、ヒメと歌を詠みかわした一首に、神の乙女の遥かからの「私を忘れないで」との歌に返し子らに恋ひ 朝戸(あさと)を開き 吾(わ)がおれば 常世(とこよ)の浜の 浪の音(と)...
「古事記歌謡」 「日本書紀歌謡」(大久保正全訳注、講談社学術文庫)併読しました。本居宣長などこれまでの訓読、解釈も要所に挙げられ良い本です。古代歌謡を読み返して学んだこと。「古事記」のみにある神話のうた、ヤチホコノカミとヌナカワヒメ、彼とスセリヒメの、愛の唱和、それぞれのヒメのうたが美しく良い。初めて読んだ時から変わらずに好きなうたです。また、「日本書紀」のみにある万葉時代初期とかさなる時代のうた、...
赤羽淑『藤原定家の歌風』を読み喚起された私の詩想を記します。対象は、第三章作風、第九節光と闇、この本の最終節です。この節で著者は藤原定家の一首をとりあげ、彼の過去と後年の作品、俊成や同時代の歌人の理解、現在の批評、その文法、古典での用例をとおして読み解き、実証し、さらには藤原定家の思想から中世という時代の思想にまで考察し問いかけています。多様なテーマについての読み取りができる豊かな著作ですので、焦...
赤羽淑(ノートルダム清心女子大学名誉教授)の著作『藤原定家の歌風』(一九八五年、桜楓社)を読むことができました。目次を記しますと、 第一章 歌人としての生活(第一~第五節) 第二章 歌風の形成(第一~第七節)第七節・否定的表現。 第三章 作風(第一~第九節)韻律、押韻、母音の構造、空間、時間、イメージ、夢、面影、光と闇。 私は特に第二章、第三章から、詩歌について様々な視点を学び詩想を喚起さ...
ツイートした詩想の、落穂拾いです。 *「建礼門院右京大夫集(けんれいもんいんうきょうのだいぶしゅう)」(糸賀きみ江全訳注、講談社学術文庫)を読みおえました。こころに響きました。いちばん強く感じたのは彼女がなんどもなんども「かなしい」という言葉でうたっていることです。わたしもにています。 *建礼門院右京大夫集。かく思ひしこととて、思ひ出づべき人もなきが、たへがたくかなしくて、しくしくと泣くよりほかの...
ツイートした詩想の、落穂拾いです。 *しばらく発信が少なくなっていますけれども、生存しています。もともとわたしは作品のほかは言葉少ない性質です。なにをしているの?ものを思っています。たぶんデカルトのコギトのようにではなく、パスカルのパンセの葦のように。考える人でありたいと思っています。 *吉田兼好が徒然草で、読書は時間をこえた対話でとても心がゆたかになるというようなことを書いているようです。そ...
ツイートした詩想の、落穂拾いです。 *「源氏物語」の「若菜」で千年ほど前の猫の声を紫式部が教えてくれました。「ねうねう、といとらうたげに鳴けば、」(ねうねう、ととてもかわいく鳴けば、) *わたし個人の好みにすぎないかもしれませんが、「源氏物語」はきらびやかな栄華のめくるめく前半から、後半へ、宇治十帖へと流れてゆくほど、人間のこころと感受性の川の流れが、広がり深まってゆくように、秋の夕空のように、...
ツイートした詩想の、落穂拾いです。*いま読書しているのは最初期の原始仏典「スッタニパータ」です。ブッタは約2500年前この星に生きていた、人間だった、ということを強く感じます。後の時代に神格化されましたが、彼の言葉にとても人間らしさを感じ、励まされます。*本当に読みたいものから、ものを読もうという気持ちが強く、「源氏物語」、千年前から流れる時間をさまよっています。原文には紫式部の声、息づかいが聞こえます...
今回は、勅撰和歌集、アンソロジーについて想うことからの雑感です。 「古今和歌集」を読み返し、「和漢朗詠集」を初めて読み、「千載和歌集」を読も始め、「新古今和歌集」も読み返そうと思っています。好きな歌を抜き出してエッセイも書けたらと願ってもいましたが、中断してしまいました。 ひとつには、勅撰和歌集(詩のアンソロジーも同じと考えています)には、撰者の好み、詩観が、ある程度反映されて、集としての色合い...
平安時代末期から鎌倉時代初期の動乱の時代に生きた歌人、藤原俊成(ふじわら・しゅんぜい、としなり)の和歌から、私の好きなうたを選んで、感じとります。全4回の最終回になります。 俊成は90歳すぎまで長生きをしましたが、最晩年まで、抒情性ゆたかな愛の歌をうたいつづけて生きたことを、私は深く尊敬しています。 出典にない現代語訳をつけることはしませんが、彼の歌は訳さなくても今のこころに響くものです。それぞれ...
平安時代末期から鎌倉時代初期の動乱の時代に生きた歌人、藤原俊成(ふじわら・しゅんぜい、としなり)の和歌から、私の好きなうたを選んで、感じとります。全4回の3回目になります。 俊成は90歳すぎまで長生きをしましたが、最晩年まで、抒情性ゆたかな愛の歌をうたいつづけて生きたことを、私は深く尊敬しています。 出典にない現代語訳をつけることはしませんが、彼の歌は訳さなくても今のこころに響くものです。それぞれの...
平安時代末期から鎌倉時代初期の動乱の時代に生きた歌人、藤原俊成(ふじわら・しゅんぜい、としなり)の和歌から、私の好きなうたを選んで、感じとります。全4回の2回目になります。 俊成は90歳すぎまで長生きをしましたが、最晩年まで、抒情性ゆたかな愛の歌をうたいつづけて生きたことを、私は深く尊敬しています。 出典にない現代語訳をつけることはしませんが、彼の歌は訳さなくても今のこころに響くものです。それぞれの...
平安時代末期から鎌倉時代初期の動乱の時代に生きた歌人、藤原俊成(ふじわら・しゅんぜい、としなり)の和歌から、私の好きなうたを選んで、感じとります。今回から4回になります。 俊成は90歳すぎまで長生きをしましたが、最晩年まで、抒情性ゆたかな愛の歌をうたいつづけて生きたことを、私は深く尊敬しています。 出典にない現代語訳をつけることはしませんが、彼の歌は訳さなくても今のこころに響くものです。それぞれの...
日本の詩歌、和歌をよりゆたかに感じとりたいと、代表的な歌学書とその例歌や著者自身の歌を読み、感じとれた私の詩想を綴っています。『千載和歌集』の撰者、藤原俊成が式子内親王に贈った歌論『古来風躰抄(こらいふうていしょう)』に記された、彼の和歌、詩歌の本質についての想いへの共感を記します。最終回です。 今回引用した箇所での彼の言葉も、歌のほんとうの姿をとらえようとする俊成のまなざしの強さを感じます。歌...
日本の詩歌、和歌をよりゆたかに感じとりたいと、代表的な歌学書とその例歌や著者自身の歌を読み、感じとれた私の詩想を綴っています。 前回に続き、『千載和歌集』の撰者、藤原俊成が式子内親王に贈った歌論『古来風躰抄(こらいふうていしょう)』に記された、彼の和歌、詩歌の本質についての想いへの共感を記します。 引用箇所で、彼のあまりに正直な、あからさまな告白は、日本語の詩歌を創る一人の者として、胸に痛く響き...
『古来風躰抄』藤原俊成(一) 日本の詩歌、和歌をよりゆたかに感じとりたいと、平安時代からの代表的な歌学書とその例歌や著者自身の歌を読み、感じとれた私の詩想を綴っています。 今回からは、藤原俊成が1197年頃執筆し式子内親王に贈った『古来風躰抄(こらいふうていしょう)』です。俊成は、第七代勅撰集『千載和歌集』撰者で、藤原定家の父です。 引用箇所は、俊成の、和歌についての考えが述べられている箇所です。あわ...
『古今和歌集』の巻第十一から巻第十五には、恋歌が一から五にわけて編まれています。五回に分けてそのなかから、私が好きな歌を選び、いいなと感じるままに詩想を記しています。 平安時代の歌論書についてのエッセイをいま並行して書いていますが、優れた歌論書、歌人に必ず感じるのは、彼自身が好きな良いと感じた多くの歌をいとおしむように、伝えようとする熱情です。 なぜなら、好きな歌を伝えることは、彼自身の心の感...
『古今和歌集』の巻第十一から巻第十五には、恋歌が一から五にわけて編まれています。五回に分けてそのなかから、私が好きな歌を選び、いいなと感じるままに詩想を記しています。 平安時代の歌論書についてのエッセイをいま並行して書いていますが、優れた歌論書、歌人に必ず感じるのは、彼自身が好きな良いと感じた多くの歌をいとおしむように、伝えようとする熱情です。 なぜなら、好きな歌を伝えることは、彼自身の心の感動...
『古今和歌集』の巻第十一から巻第十五には、恋歌が一から五にわけて編まれています。五回に分けてそのなかから、私が好きな歌を選び、いいなと感じるままに詩想を記しています。 平安時代の歌論書についてのエッセイをいま並行して書いていますが、優れた歌論書、歌人に必ず感じるのは、彼自身が好きな良いと感じた多くの歌をいとおしむように、伝えようとする熱情です。 なぜなら、好きな歌を伝えることは、彼自身の心の感...
『古今和歌集』の巻第十一から巻第十五には、恋歌が一から五にわけて編まれています。五回に分けてそのなかから、私が好きな歌を選び、いいなと感じるままに詩想を記しています。 平安時代の歌論書についてのエッセイをいま並行して書いていますが、優れた歌論書、歌人に必ず感じるのは、多くの彼自身が好きな良いと感じた歌をいとおしむように、伝えようとする熱情です。 なぜなら、好きな歌を伝えることは、彼自身の心の感動...
日本の詩歌、和歌をよりゆたかに感じとりたいと、代表的な歌学書とその例歌や著者自身の歌に感じとれた私の詩想を綴っています。 藤原公任(きんとう)の『新撰髄脳』に続く今回は、1111年~1114年頃に書かれた、源俊頼(しゅんらい)の歌学書『俊頼髄脳(しゅんらいずいのう)』の言葉です。著者は第五代勅撰集『金葉和歌集』撰者でもあります。 引用文中で彼が模範としている『金玉集』は前回の藤原公任の和歌撰集ですので、...
『古今和歌集』の巻第十一から巻第十五には、恋歌が一から五にわけて編まれています。五回に分けてそのなかから、私が好きな歌を選び、いいなと感じるままに詩想を記します。 平安時代の歌論書についてのエッセイをいま並行して書いていますが、優れた歌論書、歌人に必ず感じるのは、多くの彼自身が好きな良いと感じた歌をいとおしむように、伝えようとする熱情です。 なぜなら、好きな歌を伝えることは、彼自身の心の感動を響...
前回から、日本の詩歌、和歌をよりゆたかに感じとりたいと、代表的な歌学書とその例歌や著者自身の歌に感じとれた私の詩想を綴っています。 『古今和歌集』仮名序に続く今回は、十世紀末から十一世紀前半に書かれた藤原公任(きんとう)の歌学書『新撰髄脳(しんせんずいのう)』の言葉です。著者は平安時代を通じて広く読まれた『和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)』の編纂者でもあります。 彼が和歌をどう捉えたか、...
今回からは、断続的になるかもしれませんが、日本の詩歌、和歌をみつめなおし、よりゆたかに感じとってゆきたいと思います。具体的には、代表的な歌学書とその例歌や著者の歌人の歌をとおして感じることができた私の詩想を綴っていきます。 初回は、905年頃まとめられた勅撰集『古今和歌集』の有名な「仮名序」。著述者は撰者の一人、紀貫之です。 冒頭の一文、この一段が私はとても好きです。詩歌はこのようなものだと素直に...
敬愛する歌人、式子内親王(しょくしないしんのう)の詩魂を、赤羽 淑(あかばね しゅく)ノートルダム清心女子大学名誉教授の二つの論文「式子内親王における詩的空間」と「式子内親王の歌における時間の表現」を通して、感じとってきました。今回が最終回です。 論文「式子内親王の歌における時間の表現」に呼び覚まされた私の詩想を記します。 ...
敬愛する歌人、式子内親王(しょくしないしんのう)の詩魂を、赤羽 淑(あかばね しゅく)ノートルダム清心女子大学名誉教授の二つの論文「式子内親王における詩的空間」と「式子内親王の歌における時間の表現」を通して、感じとっています。今回も前回に続き、論文「式子内親王の歌における時間の表現」に呼び覚まされた私の詩想を記します。 ...
敬愛する歌人、式子内親王(しょくしないしんのう)の詩魂を、赤羽 淑(あかばね しゅく)ノートルダム清心女子大学名誉教授の二つの論文「式子内親王における詩的空間」と「式子内親王の歌における時間の表現」を通して、感じとっています。今回も前回に続き、論文「式子内親王の歌における時間の表現」に呼び覚まされた私の詩想を記します。 ...
敬愛する歌人、式子内親王(しょくしないしんのう)の詩魂を、赤羽 淑(あかばね しゅく)ノートルダム清心女子大学名誉教授の二つの論文「式子内親王における詩的空間」と「式子内親王の歌における時間の表現」を通して、感じとっています。今回も前回に続き、論文「式子内親王の歌における時間の表現」に呼び覚まされた私の詩想を記します。 ...
敬愛する歌人、式子内親王(しょくしないしんのう)の詩魂を、赤羽 淑(あかばね しゅく)ノートルダム清心女子大学名誉教授の二つの論文「式子内親王における詩的空間」と「式子内親王の歌における時間の表現」を通して、感じとっています。 今回も前回に続き、論文「式子内親王の歌における時間の表現」に呼び覚まされた私の詩想を記します。 ...
敬愛する歌人、式子内親王(しょくしないしんのう)の詩魂を、赤羽 淑(あかばね しゅく)ノートルダム清心女子大学名誉教授の二つの論文「式子内親王における詩的空間」と「式子内親王の歌における時間の表現」を通して、感じとっています。今回も前回に続き、論文「式子内親王の歌における時間の表現」に呼び覚まされた私の詩想を記します。 ...