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赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」(二)時間と空間が織りなす模様

 敬愛する歌人、式子内親王(しょくしないしんのう)の詩魂を、赤羽 淑(あかばね しゅく)ノートルダム清心女子大学名誉教授の二つの論文「式子内親王における詩的空間」と「式子内親王の歌における時間の表現」を通して、感じとっています。論文「式子内親王の歌における時間の表現」に呼び覚まされた私の詩想を記します。                                          ◎以下、出典か...

赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」(一)この刹那に世界がはじけ

 敬愛する歌人、式子内親王(しょくしないしんのう)の詩魂を、赤羽 淑(あかばね しゅく)ノートルダム清心女子大学名誉教授の二つの論文「式子内親王における詩的空間」と「式子内親王の歌における時間の表現」を通して、感じとっています。今回からは、論文「式子内親王の歌における時間の表現」に呼び覚まされた私の詩想を記します。                                          ◎...

赤羽淑「式子内親王における詩的空間」(五)  来る人を夢想する、歌に詠みつづける

 敬愛する歌人、式子内親王(しょくしないしんのう)の詩魂を、赤羽 淑(あかばね しゅく)ノートルダム清心女子大学名誉教授の二つの論文「式子内親王における詩的空間」と「式子内親王の歌における時間の表現」を通して、感じとっています。 今回は、論文「式子内親王における詩的空間」に呼び覚まされた私の詩想の最終回です。                                          ◎以下、...

赤羽淑「式子内親王における詩的空間」(四) 痛烈な呼びかけと、孤独と

 敬愛する歌人、式子内親王(しょくしないしんのう)の詩魂を、赤羽 淑(あかばね しゅく)ノートルダム清心女子大学名誉教授の二つの論文「式子内親王における詩的空間」と「式子内親王の歌における時間の表現」を通して、感じとっています。 今回も前回に続き、論文「式子内親王における詩的空間」に呼び覚まされた私の詩想を記します。◎以下、出典からの引用のまとまりごとに続けて、☆記号の後に私が呼び起こされた詩想を記し...

赤羽淑「式子内親王における詩的空間」(三) 松の戸。待つ人には開かれるはずの

 敬愛する歌人、式子内親王(しょくしないしんのう)の詩魂を、赤羽 淑(あかばね しゅく)ノートルダム清心女子大学名誉教授の二つの論文「式子内親王における詩的空間」と「式子内親王の歌における時間の表現」を通して、感じとっています。 今回は前回に続き、論文「式子内親王における詩的空間」に呼び覚まされた私の詩想を記します。                                          ...

赤羽淑「式子内親王における詩的空間」(二) はるかな空間を、ここに。

 敬愛する歌人、式子内親王(しょくしないしんのう)の詩魂を、赤羽 淑(あかばね しゅく)ノートルダム清心女子大学名誉教授の二つの論文「式子内親王における詩的空間」と「式子内親王の歌における時間の表現」を通して、感じとっています。 今回は前回に続き、論文「式子内親王における詩的空間」に呼び覚まされた私の詩想を記します。◎以下、出典からの引用のまとまりごとに続けて、☆記号の後に私が呼び起こされた詩想を記し...

赤羽淑「式子内親王における詩的空間」(一)  閉ざされて、開かれて。

 赤羽 淑(あかばね しゅく)ノートルダム清心女子大学名誉教授の著書『定家の歌一首』(1976年、桜楓社)は詩歌の本質をとらえていると感じる私の愛読書です。 赤羽名誉教授は定家と同時代の私が敬愛する歌人、式子内親王(しょくしないしんのう)の和歌についても歌人の魂に迫る論文を執筆されていらっしゃり、「式子内親王の歌風(一)―歌の評価をめぐって―」についての私の詩想は次のエッセイに既に記しました。  赤羽淑の...

赤羽淑の論文から。式子内親王、歌の評価(二)。魂の声が。

 私の愛読書『定家の歌一首』(1976年、桜楓社)の著者、国文学者の赤羽 淑(あかばね しゅく)ノートルダム清心女子大学名誉教授が、私の次の二篇のエッセイに目をとめ、お言葉をかけてくださいました。・藤原定家の象徴詩 ・月と星、光と響き。定家の歌 (クリックしてお読み頂けます。)  源氏物語の女性についての著書や、藤原定家の全歌集を編んでもいらっしゃいます。私も愛する『源氏物語』や和歌をみつめつづけ深く感...

赤羽淑の論文から。式子内親王、歌の評価(一)。心ふかく。

 私の愛読書『定家の歌一首』(1976年、桜楓社)の著者、国文学者の赤羽 淑(あかばね しゅく)ノートルダム清心女子大学名誉教授が、私の次の二篇のエッセイに目をとめ、お言葉をかけてくださいました。・藤原定家の象徴詩 ・月と星、光と響き。定家の歌 (クリックしてお読み頂けます。)  源氏物語の女性についての著書や、藤原定家の全歌集を編んでもいらっしゃいます。私も愛する『源氏物語』や和歌をみつめつづけ深く感...

赤羽淑の論文から(一)。『源氏物語』、光、匂、薫。

 私の愛読書『定家の歌一首』(1976年、桜楓社)の著者、国文学者の赤羽 淑(あかばね しゅく)ノートルダム清心女子大学名誉教授が、私の次の二篇のエッセイに目をとめ、お言葉をかけてくださいました。・藤原定家の象徴詩 ・月と星、光と響き。定家の歌 (クリックしてお読み頂けます。)  源氏物語の女性についての著書や、藤原定家の全歌集を編んでもいらっしゃいます。私も愛する『源氏物語』や和歌をみつめつづけ深く感...

歌を忘れた現代詩は、詩歌といえるか? 変体仮名(三)。

 詩歌が初めて書き記された記紀歌謡、万葉の時代から明治時代の後半までずっと、日本人は、歌物語も和歌も俳句も、(五十文字以上の異字体を混在させて)ひらがなだけで、書いてきた。言葉の音、調べの美しさを、詩歌にとって最も大切なものとする感性と伝統を育み受け継いできた、と前回記しました。では、現在はどうか? 今回はこのことを考えます。 私が好きな詩人の八木重吉は、漢字をあまり使わず、ほとんどひらがなばかり...

歌物語も和歌も俳句も、表音の歌だった。変体仮名(二)。

 私は万葉の歌が、漢字で書かれていること、万葉仮名が用いられていることは知っていましたが、平安時代から明治時代後半までの長い時代に、日本語がどのように表記されてきたかということについての知識が、不十分だったことを今回知りました。 漢字からひらがなが生まれたという最低限の知識はもっていても、明治時代後半、百年少し前までは、日本語の五十音それぞれに、異なる字母から生まれた複数の異字体、変体仮名があり、...

古典、明治までの日本語がなぜ読めないのか。変体仮名(一)

 新古今和歌集や、源氏物語、伊勢物語など多くの愛する古典や、松尾芭蕉、与謝蕪村、小林一茶、夏目漱石の毛筆の直筆に、私は心から親しい気持ちを抱いてきましたが、最近まで読むことができませんでした。でも、前回紹介した次の二冊の本を学ぶだけで読めるようになりました。 『入門 日本語のくずし字が読める本』(角田恵理子:つのだ・えりこ、2010年、講談社)。 『実践 日本語のくずし字が読める本』(角田恵理子:つの...

『田植草紙』好きな歌(二)

 『田植草紙(たうえぞうし)』は、朝歌から、昼歌、晩歌へと一日の時の流れにのり合せて140の歌で構成され、歌われます。 前回とりあげた10歌に続き、今回は晩歌から10歌をとりあげました。どれも歌謡としての特徴が輝いていて私が好きだと感じる歌です。 出典からの引用のあと、☆印に続けて、私が感じとれた詩想を記します。挽歌二番 (101)山が田を作れば おもしろいものやれ 猿は簓(ささら)擦(す)る 狸(たぬき)鼓(つづみ...

『田植草紙』好きな歌(一)

 『田植草紙(たうえぞうし)』は、朝歌から、昼歌、晩歌へと一日の時の流れにのり合せて140の歌で構成され、歌われます。田植神事での囃し歌として、中世から歌い継がれ、今も記憶され歌われていることはすごいと私は思います。アイヌ神歌が私はとても好きですが、民族という名を越えて通い合うものはあるのだと感じられることを嬉しく思います。  全体の中から、今回と次回、10歌ずつ20の歌をとりあげました。どれも歌謡とし...

『田植草紙』豊作の祈りをこめて

 海と時を越えて詩歌の旅をしています。久しぶりに日本に戻ります。 古代からの歌謡と詩歌の豊かな交わりをみつめてきましたが、今回は古くから現在まで歌い継がれている歌謡、民謡をとりあげます。 私の母の郷里は島根県の石見地方ですので、幼少期の夏休みに訪ねた一面の田んぼがひろがり、かえるが夜通し合唱する美しくのどかな心やすらぐ風景が、祖母のほほ笑みにつつまれ心に焼きついています。 ですから、出典の「囃(は...

「隆達節小歌」、歌謡の運命

 室町小歌の豊かな歌謡の世界を『閑吟集』『宗安小歌集』をとおして聴きとってきました。その流れを受けて生まれた隆達節歌謡を今回はみつめ感じとります。  隆達節歌謡は「洒落た音曲」だと私は感じます。総説に書かれている通り、「海外へ開かれた商港であり、人口数万を擁し、町家と呼ばれる富裕な商人の活躍した経済都市」である堺の空気に響いた、「技巧的で軽みを帯びた洒脱な」歌、十六世紀のころの町衆文化に咲いた花で...

室町小歌(四)一期は夢よ、ただ狂へ

 室町時代の小歌《こうた》集『閑吟集《かんぎんしゅう》』と『宗安小歌集《そうあんこうたしゅう》』を聴きとってきました。出典は、『新潮日本古典集成 閑吟集 宗安小歌集』の北川忠彦による訳文と解説「室町小歌の世界―俗と雅の交錯」です。 最終の今回は、出典の「うき世賛歌」の章に描き出された、室町小歌を生みだした時代・世相と歌い踊った人たちの心をみつめ考えます。 『閑吟集』で最も有名なよく引用される小歌は...

『閑吟集』『宗安小歌集』の好きな歌

 室町時代の歌謡の主流だった小歌《こうた》集の『閑吟集《かんぎんしゅう》』と『宗安小歌集《そうあんこうたしゅう》』を聴きとっています。室町小歌の心の表現の新しさについて前回次のように考えました。  ① 庶民の日常の生活での会話、肉声が聞こえ、顔の表情が見えること。(語りかけの語尾の・・・・なう、など)。  ② 和歌に欠けがちだったユーモア、滑稽感、卑俗さといった感情が吐き出された歌があること  ③ それ...

室町小歌(三)庶民の心と伝統

 室町時代の歌謡の主流だった小歌《こうた》集の『閑吟集《かんぎんしゅう》』と『宗安小歌集《そうあんこうたしゅう》』を聴きとっています。出典は、『新潮日本古典集成 閑吟集 宗安小歌集』の北川忠彦による訳文と解説「室町小歌の世界―俗と雅の交錯」です。出典の言葉と小歌そのものに私が感じとり考えたことを記していきます。 出典著者の北川忠彦がこの室町小歌の解説の標題を「俗と雅の交錯」としたことからもわかるよ...

『閑吟集』の好きな歌

 室町時代の歌謡の主流だった小歌《こうた》集の『閑吟集《かんぎんしゅう》』と『宗安小歌集《そうあんこうたしゅう》』を聴きとっています。室町小歌の心の表現の新しさについて前回次のように考えました。  ① 庶民の日常の生活での会話、肉声が聞こえ、顔の表情が見えること。(語りかけの語尾の・・・・なう、など)。  ② 和歌に欠けがちだったユーモア、滑稽感、卑俗さといった感情が吐き出された歌があること  ③ それ...

室町小歌(二)通俗語の短詩の魅力

 前回に続き、室町時代の歌謡の主流だった小歌《こうた》集の『閑吟集《かんぎんしゅう》』と『宗安小歌集《そうあんこうたしゅう》』を聴きとっていきます。出典は、『新潮日本古典集成 閑吟集 宗安小歌集』の北川忠彦による訳文と解説「室町小歌の世界―俗と雅の交錯」です。出典の言葉と小歌そのものに私が感じとり考えることができたことを記していきます。 出典の著者は、室町小歌が歌われていた「旋律を正確に知るという...

室町小歌(一)閑吟集と宗安小歌集

 詩歌の豊かな流れに交わりあう歌謡を、古代から平安時代末の『梁塵秘抄《りょうじんひしょう》』まで聴きとってきました。続く時代に支流として生まれ本流に注ぎこみ、そのゆらめきをゆたかにしてきた歌謡を、今回から取りあげます。 最初は数回にわたり、室町時代の歌謡の主流だった小歌《こうた》集の『閑吟集《かんぎんしゅう》』と『宗安小歌集《そうあんこうたしゅう》』を聴きとっていきます。出典は、『新潮日本古典集成...

『梁塵秘抄』日本中世の祈りの歌

 中世日本の民衆の心の歌『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』から響きだす祈り、「法文歌(ほうもんのうた)」から、私の心に沁みてあふれるような好きな歌をここに咲かせます。 歌謡は、知識の厳密さを極めるものではないので、訳はつけません。なんとなく伝わってくる、感じてしまうもののほうが、歌っている人の心を、より伝えることってあるからです。(22)釈迦(しやか)の 正覚(しやうがく)成ることはこのたび初めと思...

『梁塵秘抄』(三)法文歌、中世の讃美歌

 中世に咲いた歌謡、『梁塵秘抄』の今様のうち、「四句神歌(しくのかみうた)・雑(ぞう)」に集められた民衆の心の歌に前回は耳を澄ませました。 今回は、心のより深い低音部から紡ぎだされた仏教信仰の歌、「法文歌(ほうもんのうた)」を聴きとります。学んだ三つの出典から心に響いた言葉 を紡いで記します。 私は大阪育ちですので幼少期から奈良や京都の寺院を訪ねる機会は多くて親しみも感じてきました。 でも今回法文歌にふ...

『梁塵秘抄』(二)中世民衆の心の歌

 中世の歌謡、今様の花園『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』を感じとろうとしています。この歌謡集はおおきく、中世の民衆の心の咲き匂う園である「四句神歌(しくのかみうた)の雑(ぞう)」と、中世信仰の園である 「法文歌(ほうもんのうた)」にわかれています。どちらも心の豊かな深みからの歌声の魅力を、異なった表情で湛えています。まず今回は、「四句神歌(しくのかみうた)の雑(ぞう)」を聴きとります。 「四句神...

『梁塵秘抄』(一)今様、中世の歌謡

 古代から今この時まで絶え間なく流れている詩歌の豊かさをみつめるとき、ふしにのせ声にして謡う歌謡と、文字に書き詠む和歌は、交わったり時に離れたりしながらも、いつも寄り添うさざなみでした。古代歌謡、神楽歌(かぐらうた)、催馬楽(さいばら)につづき生まれ出た歌謡をみつめていきます。今回から数回、平安末期から鎌倉初期の激動の時代に後白河院が執念で書き留め伝えようとした、今様(いまよう)と呼ばれる歌謡をあつめた...

紫式部のまっすぐな歌『紫式部集』

 『紫式部集』から彼女らしさを感じる歌を選び出しました。 ゆたかな歌物語『源氏物語』に織り込められた創作歌794首は除いた、彼女の自選だとみなされている、約百数十首の私家集です。ここには七首のみ選びましたが、彼女の歌の特徴が現れていると思います。 彼女の和歌は、まっすぐです。ストレートに思いを綴っています。心のみ見つめた内省そのものの歌もあります。 基調音は悲哀の情感です。いのちの憂さと悲しみに揺れ...

紫式部の憂いと信仰。紫式部日記。

 前回に続き『紫式部日記』を通して『源氏物語』の作者の千年前の思いのうち、私の心を波立たせてくれた彼女の吐息にふれます。 はじめの引用箇所は、この日記のなかで、彼女が自分自身を省みた思いを書き記されているところです。紫式部の日記を読むと、宮廷でのできごとを書く場合にでも、最後には自分自身にひきよせて考える、とても内省的な魅力ある女性ですが、その心をみつめる姿が浮び上がっています。考える前に、考える...

 『紫式部日記』(一)和泉式部の歌

 気の向くままの寄り道です。今回と次回は『紫式部日記』を通して『源氏物語』の作者の千年前の思いのうち、私の心を波立たせてくれた彼女の吐息にふれます。  今回は紫式部が和泉式部の和歌について記した個所です。次の言葉が私にはとれも印象的でした。 「口から出るにまかせたあれこれの歌に、必ず魅力のある一点で、目にとまるものが詠みそえてあります。」 「実にうまく歌がつい口に出てくるのであろうと、思われるたち...

Appendix

プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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