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催馬楽。紫式部と流行唄。

 詩歌と歌謡の交わりを考えています。前回とりあげた神楽歌は主に宮廷儀礼で謡われましたが、そこからあふれでてひろく謡われた流行唄(はやりうた)が催馬楽(さいばら)です。 私が今回言いたいのは、紫式部は流行歌も好きだった、という一点です。 まず、『源氏物語』に登場している二曲を引用して催馬楽に触れてみます。◎引用1貫河(ぬきかは)貫河の瀬々(せぜ)の やはら手枕(たまくら) やはらかに 寝(ぬ)る夜(...

神楽歌。短歌との別れ。

 詩歌と歌謡の交わりを主題に、古代歌謡の豊かな姿をみつめました。今回は続く時代、『古今和歌集』がまとめられ短歌の規範が確立された時期に生まれた歌謡である神楽歌(かぐらうた)を見つめます。(神楽歌と関係のふかい催馬楽(さいばら)については次回取り上げます。)   私自身が、古代歌謡には親しみを抱いてきましたが、神楽歌と催馬楽については、そのようなものがあった、ということくらいしか知りませんでした。まず...

古代の物語歌(二) 慈悲の物語歌

 歌謡と詩歌の交わりの視点から古代歌謡を見つめなおしています。今回は最終回として古代の物語歌から、聖徳太子の飢え人についての歌をとりあげ、古代歌謡と和歌について考えます。 この物語歌について、出典著者の土橋寛は次のように述べています。 「片岡山の生き倒れを歌った歌を、宮廷で歌うような場はありえなかったと思われるのであり、(略)とすれば、法隆寺の法要などの折に、この片岡説話が語られるとき、この歌が夷...

古代の物語歌(一) 悲恋の物語歌

 歌謡と詩歌の交わりの視点から古代歌謡を見つめなおしています。今回と次回は古代の物語歌をとりあげます。今回の物語は古代の同母兄妹の悲恋物語です。☆作品(原文と訳文)天皇崩(かむあが)りまして後、木梨軽太子(きなしのかるのみこのみこと)、日継(ひつぎ)知ろしめすに定まれるを、未だ位に即位(つ)きたまはずありし間(ほど)に、その同母妹(いろも)軽大郎女(かるのおほいらつめ)にたはけて、歌日たまひしく、...

古代の芸謡(二) 乞食者(ほかいびと)の歌

 歌謡と詩歌の交わりの視点から古代歌謡を見つめなおしています。今回も古代の芸謡を前回に続きとりあげます。ただし宮廷で謡われた専門の語部(かたりべ)による芸謡ではなく、都市の一般の民衆を聴衆とした芸人である乞食者(ほかいびと)が謡った芸謡です。☆作品(原文と訳文)  おし照るや 難波(なには)の小江(をえ)に   蘆(いほ)作り 隠(なま)りて居(を)る   葦蟹(あしがに)を 大君召すと。   何せむ...

古代の芸謡(一)「神語(かみがたり)」の長歌

 歌謡と詩歌の交わりの視点から古代歌謡を見つめています。記紀歌謡を中心とする古代歌謡のなかで、私がとても好きな歌謡を以前ブログ「古代歌謡。無韻素朴の自由詩。」に咲かせました。 古代歌謡という花々のなかでこの抒情恋愛詩は、次の歌と並んで同じ「芸謡」という丘に咲いています。☆作品(原文と訳文)  八千矛の 神の命(みこと)は  八島国(やしまくに) 妻枕(ま)きかねて、  遠々(とほどほ)し 越(こし)...

古代の民謡、歌垣の歌

 歌謡と詩歌の交わりの視点から古代歌謡を見つめています。今回から作品そのものから、聴きとります。最初は古代の歌垣で謡われた民謡です。☆作品(原文と訳文)歌垣の歌    霰(あられ)降る 杵島(きしま)が岳(たけ)を 嶮(さが)しみと、  草取りかねて 妹が手を取る〈訳:(霰降る)杵島の岳が嶮しいので、(山に登るのに)草に取りつくことができずに、妹の手を取るよ。〉  高浜(たかはま)に 来寄する浪の ...

古代歌謡、表現形式の特徴(二)

 歌謡と詩歌の交わりの視点から、古代歌謡をみつめています。今回は出典の小島憲之氏「古代歌謡」をとおし、句数(音数)から表現形式の特徴を考えます。 句数(音数)が奏でる音数律は、明確で厳格な頭韻や脚韻や口語韻の押韻規則をもたない日本語の韻文においては、とても大切なものです。 これまで考えつくされたかのようにも思えたこの主題についての、著者の、歌謡という視点からの、ユーカラや琉球古謡という広く豊かな母...

古代歌謡、表現形式の特徴(一)

 歌謡と詩歌の交わりの視点から、古代歌謡をみつめています。今回は出典の小島憲之氏「古代歌謡」をとおし、古代歌謡の表現形式の特徴を考えます。  前回、古代歌謡は、「すでに音楽を失った古代の歌謡、換言すれば音楽が歌詞(文学)からは離れている歌謡」だと記しましたが、そのような歌謡をみつめ捉えなおす方法として、著者は、アイヌのユーカラ(Yukar)や琉球八重山古謡ユンタ、おもろさうしなどの、謡われる姿が今に伝...

古代歌謡、文学の口承と筆録

 歌謡と詩歌の交わりについて、みつめていきます。まず古代歌謡からです。 私の心に強く響く歌謡をとりあげたりしながら、その独立した個性と詩歌との入り混じる重なりを考えていきたいと思っています。 今回から三回は、出典の小島憲之氏「古代歌謡」をもとに古代歌謡の表現の特徴を考えます。続く数回は、古代の民謡、芸謡、物語歌を順にみつめていきます。 歌謡を考える時、小島憲之氏の次の言葉は、古代から現代までどの時...

芸と芸術と生活の糧と

 私は歌、歌謡もふくめた歌が好きです。今回は芸と芸術と生活の糧について思うままに記します。 歌謡、芸謡曲のいちばんの良さは、楽しさ。悲しんで感情移入した後にも元気になれること、だと思います。 旋律と声が重なり美しく響く、情感のこもった人を思い愛して喜び哀しむ歌が、私はいちばん好きです。心の感性、変えられない顔だちなのかもしれません。私は知の人ではなく情の人だと思います。 歌謡、芸謡曲の歌詞のわかり...

歌謡と詩歌の交わり

 これまで日本の詩歌を古代から室町時代まで、好きな和歌と歌人を焦点にしてみつめてきました。その後連歌、俳諧という詩歌が形づくられ、和歌も明治の革新期を経て現在へ変遷してきました。その推移に思うことやその時代の好きな詩歌と歌人、詩人については今後記していきいます。 1.歌謡と詩歌 その前に今回からしばらくの間、少し異なった視点のテーマをとりあげたいと思います。 「歌謡と詩歌の交わりの移り変わり」とい...

『正徹物語』和歌の難破

 正徹(しょうてつ、1381~1459年)は、室町時代の歌人です。 出典では次のように紹介されています。禅僧で道号は清厳。多作で一万首超の詠が現存。難解な歌風は保守的な歌壇で異端視されたが、連歌師心敬などに強い影響を与えた。家集に『草根集』、紀行文に『なぐさめ草』がある。新古今集に心酔し、とくに藤原定家を讃仰して止まなかった。 平安朝末期から鎌倉時代初期に新古今和歌集の華麗な花を咲き匂わせた和歌がどのよう...

月と星、光と響き。定家の歌

 藤原定家の和歌のうち私が好きな歌を摘み取り、ここに咲かせます。 本歌取りや物語の言葉が巧みに織り込められた歌を味わうためには調べることがどうしても必要です。そのような歌を悪くは思いませんが、「好きな歌」という野原には咲いてくれないようです。野草が好きな私の好みです。  出典の『定家の歌一首』にちりばめられた数多くの歌から摘み取りました。歌が響かせてくれる主調音を聴き、「月と星」、「花」、「亡き母...

藤原定家の象徴詩

 藤原定家(ふじわらのさだいえ、「ていか」。 1162~1241年)の和歌をみつめます。 彼は生涯をかけて和歌に生きました。年齢とともに歌風の変遷はありますが、三十一文字で言葉による虚構の世界を構築しようとした姿勢は一貫しています。新古今和歌集の撰者の一人として、象徴詩と言える領域を先頭で切り拓きました。 でも、本歌取りを多用し、『源氏物語』などの情景や言葉を織り込み違う姿で生き返らせる手法と極められた技術...

源実朝の海と純真のうた

 鎌倉時代の歌人、源実朝の歌のうち、私が好きな十八首をここに咲かせます。源実朝(みなもとのさねとも・1192~1219・薨年二十八歳)の私家集は『金槐(きんかい)和歌集』(『鎌倉右大臣家集』)のみですが、藤原定家に歌の教えを仰ぎ、秀歌を論じた『近代秀歌』や、万葉集を贈呈されています。  実朝の歌集に感じることは、古歌をとてもよく読みこんでいて、本歌取りで歌の姿を変え言葉として生き返らせていることです。万葉...

式子内親王、言魂の韻律美

 式子内親王の美しく愛(かな)しい、私が好きな歌をここに咲かせます。彼女の思いのどうしようもない切実さは言魂となって心を打ちます。余計な説明はいらない歌なので、耳を澄ませ惹かれるままに、その韻律の美しさを☆印の後に記しました。(カッコ内数字は出典の通し番号と勅撰入首歌番号です)。式子内親王の歌は、心の感性で選びつつ紡がれた言葉の響きに、意味と表象と音象が渾然と自然に融け、美しい調べを今も奏でています...

式子内親王、うた魂の響き

 式子内親王(しょくしないしんのう、「しきし」「のりこ」とも。)は、新古今集を代表する女性歌人です。 彼女の歌の世界にはじめて入り込もうとした二十代の頃、私には彼女の歌の良さがまだ分かりませんでした。彼女が亡くなったのと同じくらいの年齢となった今、彼女の歌はとても心に響き、心の重なりを深く感じとれるようになりました、嬉しいことです。 式子内親王の生涯に華やかさはなく、不遇だといえます。後白河天皇の...

和泉式部あくがれる魂の歌

 和泉式部の和歌から、私が好きな歌をここに咲かせました。 恋の歌も、哀傷歌も、切実な、痛切な、愛(かな)しみが心に響いてきます。歌は心の感動だと、いちばん大切なことを教えてくれる詩歌です。千年前の感動が今も心に響きます。 和泉式部の生涯は歌だったと感じます。毎日、些細なことから魂の極まるところまで、喜びも悲しみも、楽しいことも可笑しいことも嘆きも噂話まで、感じる心のままに言葉の抑揚にのせ歌にしまし...

和泉式部の歌日記

 平安朝期、華麗に花開いた女流文学の中心で激しく生き美しい歌の花を咲かせた和泉式部(いずみしきぶ)の作品、和歌と『和泉式部日記』について考えます。1.彼女の生きざま  和泉式部は、結婚して娘の小式部内侍を産んだ後夫と離れ、契った為尊(ためたか)親王は26歳で夭折してしまいますが、彼の同母弟の敦道親王と出会い結ばれました。その出会いから親王邸に入るまでが『和泉式部日記』に綴られています。その後敦道親王も2...

夏目漱石『夢十夜』の詩心

 前回、アンデルセンの小説翻訳について森鴎外のことを記しました。 明治時代のもう一人の文豪、夏目漱石について今回は記します。夏目漱石とアンデルセンの直接の影響関係があるかどうか私は知りません。ここに記すのは、夏目漱石とアンデルセンの作品に響きあって感じられる詩心のことです。 アンデルセンの『絵のない絵本』を想うとき、私の心には、夏目漱石の『夢十夜』が自然に心に浮かんでしまいます。十夜からなる短編小...

歌え。歌道と物のあはれ

  本居宣長(もとおりのりなが)の『紫文要領(しぶんようりょう)』を通して、『源氏物語』をより深く読み感じ取ろうとしています。引用文の出典は、『紫文要領(しぶんようりょう)』(子安宣邦 校注、岩波文庫、2010年)です。章立ての「大意の事」と「歌人の此の物語を見る心ばへの事」から任意に引用(カッコ内は引用箇所の文庫本掲載頁)しています。 最終回は、「歌道と物のあはれ」を宣長がどのようにとらえていたか、...

歌物語と善悪と信仰

 本居宣長(もとおりのりなが)の『紫文要領(しぶんようりょう)』を通して、『源氏物語』をより深く読み感じ取ろうとしています。引用文の出典は、『紫文要領(しぶんようりょう)』(子安宣邦 校注、岩波文庫、2010年)です。章立ての「大意の事」と「歌人の此の物語を見る心ばへの事」から任意に引用(カッコ内は引用箇所の文庫本掲載頁)しています。 6回目の今回は、「歌物語と善悪と信仰」についての宣長の考えを起点に...

戦争と特攻隊と本居宣長

本居宣長(もとおりのりなが)の『紫文要領(しぶんようりょう)』を通して、『源氏物語』をより深く読み感じ取ろうとしています。引用文の出典は、『紫文要領(しぶんようりょう)』(子安宣邦 校注、岩波文庫、2010年)です。章立ての「大意の事」と「歌人の此の物語を見る心ばへの事」から任意に引用(カッコ内は引用箇所の文庫本掲載頁)しています。 5回目の今回は、この著書での宣長自身の言葉を、日中戦争、太平洋戦争時...

心は女童のごとく。本居宣長

本居宣長(もとおりのりなが)の『紫文要領(しぶんようりょう)』を通して、『源氏物語』をより深く読み感じ取ろうとしています。引用文の出典は、『紫文要領(しぶんようりょう)』(子安宣邦 校注、岩波文庫、2010年)です。章立ての「大意の事」と「歌人の此の物語を見る心ばへの事」から任意に引用(カッコ内は引用箇所の文庫本掲載頁)しています。 4回目の今回は、「人の実の心」を宣長が『源氏物語』を通してどのように...

恋と物のあはれ

 本居宣長(もとおりのりなが)の『紫文要領(しぶんようりょう)』を通して、『源氏物語』をより深く読み感じ取ろうとしています。引用文の出典は、『紫文要領(しぶんようりょう)』(子安宣邦 校注、岩波文庫、2010年)です。章立ての「大意の事」と「歌人の此の物語を見る心ばへの事」から任意に引用(カッコ内は引用箇所の文庫本掲載頁)しています。 3回目の今回は、「恋と物のあはれ」について、宣長がどのようにとらえ...

哀れと愛(かな)しの詩

 本居宣長(もとおりのりなが)の『紫文要領(しぶんようりょう)』を通して、『源氏物語』をより深く読み感じ取ろうとしています。引用文の出典は、『紫文要領(しぶんようりょう)』(子安宣邦 校注、岩波文庫、2010年)です。章立ての「大意の事」と「歌人の此の物語を見る心ばへの事」から任意に引用(カッコ内は引用箇所の文庫本掲載頁)しています。 2回目の今回は、「哀れ」という言葉を宣長がどのようにとらえていたか...

本居宣長と源氏物語

 本居宣長(もとおりのりなが)の『紫文要領(しぶんようりょう)』を通して、『源氏物語』をより深く読み感じ取りたいと思います。引用文の出典は、『紫文要領(しぶんようりょう)』(子安宣邦 校注、岩波文庫、2010年)です。章立ての「大意の事」と「歌人の此の物語を見る心ばへの事」から任意に引用(カッコ内は引用箇所の文庫本掲載頁)しています。 今回は、物語は物の哀れをしらする、とする宣長の言葉に感じ思うことを...

『源氏物語』物のあはれ

 ひとりの詩人として私なりの感性で、『源氏物語』を「蛍」の巻の物語論を通して、読み取り感じ取ろうとしました。 汲み尽くせないほど豊かなこの物語を、本居宣長(もとおりのりなが)は二百数十年前にこよなく愛しその本質に迫りました。彼の著述を通して、さらにこの美しい絵巻についての思いを深めたいと思います。 彼は67歳で『源氏物語玉の小櫛(げんじものがたりたまのおぐし)』としてこの物語論を集大成しまとめました。...

『源氏物語』に咲いてる花

 『源氏物語』に私が惹かれるのは、匂やかな女性たちの息づかいがたゆたっているからですが、その世界に咲いている草花や草木に触れられその呼気に包まれ癒される思いになるのも、繰り返しその森を訪れたくなる理由のひとつだと感じています。 紫式部の原文の語り口には、眺めやるまなざしの掌と指で、草花や草木を愛で撫でているうごきを感じます。草花や草木がとても好きと、紫式部の声が響いています。 物語に息づく花と女性...

Appendix

プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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