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フランス詩の哀しいR音(ニ)

 フランス詩との出会いについてのエッセイを以前「フランス詩の哀しいR音」を以前書きました。不勉強だったこともあり、フランス詩を感じとり直したくも思い、読んだ杉山正樹著『やさしいフランス詩法』は、詩のかたちの伝統と変革について丁寧に述べられている優れた本でした。 詩人たちの詩の引用には必ず発音記号が付けられているので、ゆっくり文字を追いながら、ボードレールやヴェルレーヌの言葉の音楽をなつかしく思い起...

ノヴァーリスの詩想(二)。詩人は歌。

 ドイツ・ロマン派の詩人ノヴァーリスの詩想をみつめています。 彼の言葉を出典から断章ごとに「カッコ」内に引用(赤紫文字は強調のため私がつけました)し、続けて私の心に呼び覚まされた詩想を☆印の後に赤紫文字で記します。  2.「断章と研究1799-1800年」から。 「長編小説(ロマーン)は、徹頭徹尾ポエジーでなければならない。すなわちポエジーとは、哲学とおなじく、われわれの心情を美しく調律したものであり、そこで...

ノヴァーリスの詩想(一)。魂の音響的本性。

 ドイツ・ロマン派の詩人ノヴァーリスの「夜の讃歌」に前回は心を研ぎ澄ませました。彼の詩想を二回に分けてみつめます。 彼の言葉を読んでいると私は、北村透谷(「空(くう)の空の空を撃つ。北村透谷」)の熱意に満ちた言葉を思い起こし、二人に響き合うものを感じます。 完成された論述でも体系だった論文でもない草稿と断章であることと、厳密な概念を翻訳では推し量れないことから、私にはよく理解できない部分も含まれま...

ノヴァーリスとフリードリヒ。ドイツ・ロマン派

 ドイツ・ロマン派の詩人ノヴァーリスの「夜の讃歌」をここに咲かせます。 彼の言葉にはロマン派の真髄ともいうべき漲る心情が波うっていて、引き込まれ飲み込まれそうになります。二十代の私はこの波に溺れかけました。 その頃ノヴァーリスの詩とともに、絵画でのドイツ・ロマン派の中心人物フリードリヒの世界にも強く惹かれ画集を見つめていました。(彼の絵は次のサイトなどで御覧になれます。「バーチャル美術館」)。 芸...

ダンテ『俗語詩論』(二)詩人の誇りと試み

 前回に続き、イタリア・ルネサンスの先駆けとして生きたダンテの『俗語詩論』をみつめます。 今回はイタリアの高貴な俗詩についての鋭く詳細な論述を感じとり考えます。 第2巻での詩論でダンテは、高貴な俗語詩の望ましい姿、その形式を、一点一点こまかく確認していきます。 その項目は次のようなものです。 一行のなかの音節数。音節の強弱。行と行の関係と組み合せのスタイル。語い。歌われること。脚韻、など。 そのな...

ダンテ『俗語詩論』(一)悲劇的文体

 数回にわたり1800年代に生きたエドガー・アラン・ポオと、スティファヌ・マラルメの詩論を見つめました。 今回と次回は五百数十年ほど時を遡り、イタリア・ルネサンスの先駆けとして生きたダンテの『俗語詩論』の頁をめくります。数百年の時間は芸術、魂の本質的な響き合いの妨げにはなりません。 今回はこの詩論の全体像を、次回は詩についての鋭い論述を中心に、感じとり考えます。ポオが詩論で「この世で最も詩的な主題」と...

マラルメの詩論(二)美しい姿がおぼろげに。

 フランスの詩人・ステファヌ・マラルメの詩論を前回に続けてみつめます。(3番目の主題からになります。)3.花の観念 純粋な著作の中では語り手としての詩人は消え失せて、語に主導権を渡さなければならない。語は、一つ一つちがっているためにその間に衝突を生じ、語と語はたがいの反映によって輝き出す。それが従来の抒情的息吹き、個人の息づかいや、文章をひきずる作者の熱意などにとってかわる。 文芸の魔法とは、物の...

マラルメの詩論(一)語の音色。

 ポオの詩論に続いて、彼に強い影響を受けたフランスの詩人・ステファヌ・マラルメの詩論をみつめます。彼の詩「海の微風」は別のエッセイで咲かせています。(La mer 海、フランスの好きな詩)。 出典のマラルメの言葉を、5つのテーマに要約したあと、彼の言葉に木霊する私の詩想を☆印のあとに記していきます。   1.言語の音楽・自由詩(マラルメ詩論の要約) 「音楽」が、この宇宙の万物の相関関係を全部あらわすという...

ポオの詩論(二)『ユリイカ』。星を求める蛾の願い。

 エドガー・アラン・ポオの二つの詩論「構成の原理」と「詩の原理」から彼の詩想を感じとり見つめています。二つの詩論は体系的な学術論文ではなく、芸術家の彼は、「構成の原理」では彼自身の詩「鴉」を、「詩の原理」では彼が感動した詩人たちの英語詩を、読み感じとりながら、詩についての考えを述べています。ポオは詩論の中心にある確固とした信条を繰り返し述べています。 今回は、詩とは何か、そして詩の主題についての彼...

ポオの詩論(一)。美の韻律的創造。

 萩原朔太郎の『詩の原理』についてのエッセイで数回、エドガー・アラン・ポオの詩論について触れました。また彼の作品のうち私が一番好きな詩「アナベル・リー」を「愛(かな)しい詩歌」に咲かせました。(ポーの詩「アナベル・リー」)。 今回と次回は、彼の二つの詩論「構成の原理」と「詩の原理」から彼の詩想を感じとります。二つの詩論は体系的な論文ではなく、芸術家である彼は、「構成の原理」では彼自身の詩「鴉」を、...

ツェランの詩。ザックスの詩。

 ドイツ詩の韻律に耳をすませた前回、詩人の吉川千穂さんが論文に引用されていた詩、パウル・ツェランの「死のフーガ」と、吉川さんが研究されていたネリー・ザックスの詩を、ここに咲かせます。 ふたりの詩人とその詩を結ぶものに、第二次世界大戦時のナチスによる強制収容所があります。著者紹介を出典から引用しました。 ツェランの詩は語法も比喩も翻訳で感じとるには難解だと私は感じますが、この詩からは波状に繰り返し叫...

ドイツの定型詩と自由韻律。詩人・吉川千穂さんの論文。

 ヘルダーリンの好きな詩について書きましたが、私はドイツ語を勉強しなかったので、原詩の韻律には無知でした。詩人の川中子義勝さんにドイツ定型詩についてお話を伺う機会に恵まれ「一行のなかでの強弱の決まりごとが、行と行の脚韻とは別にある」と教えていただきました。 私は昔フランス詩をかじったときに、脚韻の美しさは感じても、行内の韻律はあまり感じとれず、ほとんど忘れていたことに気づきました。「強弱の韻律」に...

ヘルダーリン、愛の詩

 ヘルダーリンの詩から、わたしが心から好きな愛の祈りの詩を咲かせます。手塚富雄の日本語の響きが美しい訳です。 私は読む度に心ふるえ、詩は感動だ、詩を読むよろこびは自然にうちから感動がわきあがる思いをしることだと、教えられます。同時に、私もいい詩を書きたいという願いが込みあげてくる大切な詩です。  ディオティーマひさしいあいだ枯れしぼんで閉ざされていたわたしの心は いま美しい世界に挨拶する。その枝々...

ヘルダーリンの愛の祈り

 フランスの詩の象徴詩派、言葉の音象を奏でる詩人たちとその詩をみつめてきました。萩原朔太郎は新古今和歌集と詩想が通いあうと述べていますが、私もそう感じます。美しい詩世界です。 私が最も深く影響され敬愛する日本の詩人は、原民喜(たみき)です。(原民喜『鎮魂歌』)。 世界の小説家ならドストエフスキー、そして世界の詩人ではヘルダーリン、ドイツの愛と祈りの詩人です。彼の短い紹介を出典から引用します。●引用 フ...

ボードレールの散文詩。フランス詩歌の翻訳(二)

 好きなフランスの詩をみつめながら、詩歌の翻訳について考えています。前回は最も「歌」に近いヴェルレーヌの詩歌を聴きとりました。今回は、詩歌の海のより大きな広がりを眺めての想いを記します。 まず、おなじヴェルレーヌの詩歌の日本語訳でありながら詩歌らしい響きを感じる作品、主題と主調はまさしくヴェルレーヌともいえる「憂鬱」です。 なぜ詩歌の響きが感じられるのか? 前回、日本語の脚韻について、「秋の日の(no...

ヴェルレーヌの歌。フランス詩歌の翻訳(一)

 フランスの好きな詩を感じとりつつ、詩の翻訳についてもう少し考えます。 今回は、上田敏訳『海潮音』で紹介されてからヴェルレーヌの詩歌のうち日本で最も親しまれてきた「秋の歌」です。原題に、Chansonとあることからも、作者自身の心からの「歌」だとわかります。詩の構成をみつめてみると、① 3連の各連とも、6行で同じ。② 3連の各連とも、同じ規則的な脚韻を踏んでいる。* 1行目と2行目、3行目と6行目、4行目と5行目、全...

La mer 海、フランスの好きな詩

 フランス語のR音の哀しい響きについて記した前回を受けて、私が好きなフランスの詩を咲かせます。 R音の、「ru」より「fu」に近い、吹き出される息だけのかすれた響き、の美しさをもっとも素朴に響かせてくれるのは、私にとってはLa mer「海」です。脚韻での響きあいは、海の波のゆらめき、限りないその果ては永遠です。 この3篇の詩に通いあうものは海、今ここにないものを求めずにはいられない思いです。詩のいのちが生れて...

フランス詩の哀しいR音

 ここのところ500年くらいの時をさかのぼり歌心の交わりをしていましたが、すこしより近い時代に戻って、このまるい星のうえで海を越えた大陸の歌心との交わりをエッセイに記します。 二十歳前の文学を志しもがいていた頃、私は中原中也のまねをして東京御茶ノ水のアテネフランセというフランス語学校に通いフランス詩を学んだことがありました。象徴派の詩人たち、ランボーやヴェルレーヌの詩、マラルメやヴァレリーの詩と詩論...

詩歌の優劣。ルクレティウス『事物の本性について』(3)

ルクレティウスの『事物の本性について―宇宙論』に照らして詩を考えてきました。今回はそのまとめです。 ルクレティウスの『事物の本性について―宇宙論』のような、古代からの西洋の文学伝統に屹立する作品と見比べると、日本の詩歌はとても狭い世界のなかで、思想のかけらもない感情を歌っただけだ、と否定的に捉える見方もあります。たしかに抒情か叙景の短い詩である和歌を本流とする日本詩歌の文学伝統と、ルクレティウスの作...

詩と真実。ルクレティウス『事物の本性について』(2)

 ルクレティウスの『事物の本性について―宇宙論』から、詩を考える試みの2回目です。今回は、思想と信仰と詩について思うことを記します。ルクレティウスはこの本で、真理と確信する思想を読者に教えるために、その思想の根本概念で事物を捉え描きなおし説明します。だからこの本は、宇宙を理性で解読して原子論の正しさを証明しようとする論文ともいえます。そのことは、たとえば彼の恋愛の捉え方に顕著に現われています。恋愛を...

宇宙を歌う。ルクレティウス『事物の本性について』(1)

 ルクレティウスの『事物の本性について―宇宙論』は、原子論を全六巻にわたる詩句で織りあげた稀有の長詩として、世界文学と思想史に独自の光を放ち輝いています。私はこのような類例のない作品を書きあげたルクレティウスに尊敬の念を覚えます。 この作品を読むことで惹き起こされた詩についての考えを、3回に分けて記します。 ルクレティウスは、この本を詩句のリズムにのせて書き上げた理由を第四巻の冒頭で、「快くひびく歌...

ケプラーの詩心(三)星の音楽

 ケプラーの言葉「地球はミ・ファ・ミと歌う。」に私は心うたれます。 彼の詩心、彼の祈りに、私は共鳴し、響きあう音楽を奏でたいと願っています。これまでも、これからも。 これまで私が授けられ発表できた星の音楽の詩は、ホームページの章『あどけない心の森 星のこもりうた』にまとめています。(リンクしていますのでお読み頂けます。) 目次詩「星の愛 星の祈り」(連詩「愛と祈りの星魂(ほしだま)の花」)詩「星の...

ケプラーの詩心(二)天体の音楽と祈り

 ケプラーは生涯にわたる探求で見出した天文学の法則を叙述する著作に、彼の心では切り離せず一体となっている詩心と祈りの調べを織り込めています。前回『世界の調和』の全体イメージをまとめたことを受け、彼が本当に探していたもの、伝えたかったものは何だったのかを考えます。 引用は、『世界の調和』(ヨハネス・ケプラー、島村福太郎訳、『世界大思想全集(社会・宗教・科学31)』所収、河出書房新社、1963年)によります...

ケプラーの詩心(一)天体の音楽と祈り

 詩についてのこのエッセイで、どうしてケプラー?と思われる方にも、彼の天文学に詩心が息づいていること、彼の著述には祈りの調べがあることを伝えられたらと思います。 ヨハネス・ケプラーは天文学の開拓者として三つの法則に名が添えられ、彼の法則の暗記とともに通り去られがちです。 第一、第二法則は『新しい天文学』(1609年)に、第三法則は『世界の調和』(1619年)という豊かな著作で述べられていますが、科学は原典...

アンデルセンの『即興詩人』

 『絵のない絵本』は月が語りかけてくれるやわらかな水彩画でしたが、アンデルセンは若い情熱があふれてロマンが強く香り、極彩色の濃淡が波打つ油絵のような小説『即興詩人』を描き切る力量をもつ作家でした。 この小説を読むと、アンデルセンは本当に詩人だと強く感じます。 明治の文豪・森鴎外の良さを私はわからずにいましたが、『即興詩人』の訳文を読むと、鴎外は熱く強い魂と意思をもつ文人だったのだと素直に感じました...

月の光と詩の絵本

 私はアンデルセンの『絵のない絵本』を、詩を書き出してからもずっと大切に心に抱いてきました。 月が言葉の絵の具が描いた三十三の短いお話優しくを語りかけてくれて、読んでいる時は月のひかりに私の心は自然に染まり浸され泳いでいます。 次のような何気ない言葉に、アンデルセンの豊かな詩心が溢れ出していて、言葉が詩の響きをもつと絵本になるんだと教えてくれます。◎原文引用:第一夜の結びの文章。「あの人は生きてい...

アンデルセンの『マッチ売りの少女』

 ハンス・クリスチアン・アンデルセンの童話が私はとても好きです。「マッチ売りの少女」や「みにくいアヒルの子」など幼心にともった小さな火が、ずっと消えずに灯り続けてくれていると感じます。 心優しい詩人の山下佳恵さんは「マッチ売りの少女」の詩を書かれています。   詩「マッチ売りの少女」 山下さんの詩句「最後まで読もうと思っても/涙でぐちゃぐちゃになって/見えないんだ文字が」に、私も心の重なりを感じます...

ポーの詩「アナベル・リー」

 ブログ「詩を想う」の「恋と物のあはれ」で、恋の歌について記しました。 その際、本居宣長の叙述と共鳴している萩原朔太郎の『詩の原理』を再び取り上げました。その著書にある朔太郎の言葉、「詩の中での純詩と言うべきものは、ポオの名言したる如く抒情詩の外にない。」「実に抒情詩というべきものは恋愛詩の外になし。」が私は好きです。ポーの詩論もいつか取り上げるつもりです。 この「愛(かな)しい詩歌」は時代も大陸...

Appendix

プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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